ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

記者たちは海に向かった / 門田隆将

記者たちは海に向かった  津波と放射能と福島民友新聞 (ノンフィクション単行本)
 またまた本のレビューとなります。 最近段々とブクレコにはまり始め、多くのレビュワーのレビューを拝見しているのですが、3月に出たこの本をレビューしておられる方がおられ、そのレビューに感銘を受け即AMAZONで購入しました。
 著者はノンフィクション作家門田隆将氏、東日本大震災福島第一原発所長で日本を救ったと言っても過言ではない故吉田昌郎氏を主人公とした「死の淵を見た男」を著された方です。

 本作「記者たちは海に向かった 津波放射能と福島民有新聞」では、同じく東日本大震災時を題材とされ、津波により死亡された福島民有新聞の若い記者と、その同僚たちをはじめとする多くの関係者の行動を丹念に追い、その後の心の葛藤を描き出した、迫真のノンフィクションとなっています。「群像」とも呼べる数多くの関係者への取材を丹念にまとめ上げた作者の執念と力量に先ずは敬意を表したい、と思います。

『 2011年3月11日、一人の新聞記者が死んだ。

福島民友新聞記者、熊田由貴生、享年24。福島県南相馬市津波の最前線で取材をしていた熊田記者は、自分の命と引きかえに地元の人間の命を救った。

その死は、仲間に衝撃を与えた。それは、ほかの記者たちも同じように津波を撮るべく海に向かい、そして、命の危機に陥っていたからである。なかには目の前で津波に呑まれる人を救うことができなかった記者もいた。

熊田が死んで、俺が生き残った――。熊田記者の「死」は、生き残った記者たちに哀しみと傷痕を残した。それは、「命」というものを深く考えさせ、その意味を問い直す重い課題をそれぞれに突きつけた。

創刊以来、100年を超える歴史を持つ福島民友新聞はこの時、記者を喪っただけでなく、激震とそれに伴う停電、さらには非常用発電機のトラブルで、新聞が発行できない崖っ淵に立たされた。創刊以来の「紙齢(しれい)を欠く」ことは新聞にとって「死」を意味する。ぎりぎりの状況で、凄まじい新聞人たちの闘いが展開された。

さらに地震津波放射能汚染という複合災害の現場となった福島県の「浜通り」では、この“三重苦"によって、「読者」も、「新聞記者」も、「販売店」も、すべてが被災者となり、そのエリアから去らざるを得なくなった。

それは、日本の新聞が初めて経験した「新聞エリアの欠落」にほかならなかった。考えられうる最悪の事態の中で、彼ら新聞人はどう闘ったのか。

「震災を、福島を報じなくては――」。取材の最前線でなぜ記者は、死んだのか。そして、その死は、なぜ仲間たちに負い目とトラウマを残したのか。ノンフィクション作家・門田隆将が当事者たちの実名証言で綴る『死の淵を見た男』に次ぐ福島第二弾。「命」とは何か、「新聞」とは何か、を問う魂が震える感動の実話とは――。

AMAZON解説より) 』

 

 内容はAMAZONの内容に詳細に記されたとおりで、特に付け加えることもありません。あの日あの時のあまり報じられることのなかった福島浜通り津波による甚大な被害、その事実を前にして言葉もなくひたすらページをめくっている自分がいました。

 そしてその悲劇に更なる悲劇が重なります。福島第一原発事故です。東電を責めることは容易いことですが、登場する記者たちはほとんどが民有新聞、すなわち地元記者たちで東電の原発関係者にも親しく日ごろから付き合いのある人も多く、その葛藤も良く描かれています。

 一方で個人的には新聞社の「紙齢」が途切れることが、あの未曾有の大震災を前にしてそれほどまでに深刻な問題なのか、「会社」の危機意識と「社会」の危機を混同しているのではないか、と言う疑問が頭を離れませんでした。

 私は度々このブログに書いてきたように阪神淡路大震災を経験したわけですが、その後美談のように語られ、映画にもなった神戸新聞の発行続行に関しても、当時はそれほど関心はありませんでした。というか、神戸新聞が来る来ないをどうこう考えていられるような悠長な事態ではなかったです。

 ですから本作の主舞台である福島民有新聞に関しても、当事者である震災被害者の皆さんは、民有の「紙齢」が途切れることを心配している余裕などこれっぽっちもなかったと思います。

 しかしそのことに関して作者がこだわりすぎだどうだという気は毛頭ありません。主人公である若い記者が民有の記者であったのですから、その本体を丹念に追うことはノンフィクション作家として当然のことだと思いますし、そのあたりの経過を追う筆の冴えも見事であったと思います。

 しかし、この本が人の心を揺さぶる力を持っているのは、やはり個々の人間の行動と心理を丹念に追っているところにあると思います。

 メインテーマとなる、取材途中で無念にも命を落とした記者熊田由貴生氏の死が確認された第十六章「遺体発見」は本当に辛く、読んでいて涙を禁じえませんでした。

 若干24歳、学生時代からスポーツマンで皆に慕われ頼りにされており、民有の記者としても将来を嘱望されていた、という人物像が数多くの証言から浮き彫りになってきます。

 ただ、有能な若い人材が命を落としたから気の毒だということになれば、そうでない人たちの死は気の毒ではないのか、ということになります。決してそうではない。彼は取材先で津波に遭遇し、一人の地元の人間を助けようとして自らの命を落とした。その行為が尊いからこそ胸を打つのでしょう。
 そして記者の命であるカメラさえ見つかれば、彼が最後の最後まで何を追いかけ何を見つめていたのか分かるのにそれがみつからないのが痛恨だ、という文章も胸に迫るものがあります。

 一方で生き残った人たちの心情にも読んでいてとても辛いものがありました。特にカメラに気を取られなければ目の前で津波に流されていった二人を助けられたのではなかったかと悔やみ続ける木口拓哉氏。それがトラウマとなり自分を責め続ける日々はどんなに辛かったか。そして当時東京にいて、震災から三ヶ月が経ってそのことを知り、

「その方の命をあなたが助けようとして、もし、あなたがここにいなかったら、私は耐えられない」

ときっぱりと言い切ったときの奥様の心情にも。

 そのお二人の遺族は2年9ヶ月が経ってようやく見つけ出すことが出来ました。しかし木口氏が面会を希望したおばあさんは避難生活にあり療養中でもあることから面会を断ります。そしてこう伝言します。

「木口さんに”これは、どうしようもない運命ですので、気になさらないでください”とお伝えください」

簡潔で明快なメッセージであるだけに

「あの光景を、運命として許していいのか」

と、木口氏は自問自答します。この自問自答は誰からどう慰められようと、これからも一生木口氏についてまわるでしょう。それが大震災を生き延びた人間の背負う十字架なのだと思います。

 本作にはその十字架を背負う人たちがなお多数取材され記載されていますが、あまりにも長くなるのでこのエピソードだけにとどめて置きます。

 さて、今更こんなお涙頂戴本を出さなくても、という意見もあるでしょう。しかし、それは違うと思います。

 手前味噌な話になりますが、私自身阪神淡路大震災を経験して私なりのトラウマを抱えて生きてきました。
 大震災から10年近く経ったころにブログを始め、毎年1.17には追悼記事を書いていましたが、「病院が大震災から学んだこと」という書評に託して心の奥底に溜め込んだその心情を吐露するには更に2年の歳月を待たねばなりませんでした。

 作者があとがきに書いているように、「時」を経なければ語ることのできないものがあります。そして第十七章「傷痕」の冒頭にあるように、本当の哀しみを「時」が癒すということは決してないのです。

 帯にある

    「命」とは何か、「新聞」とか何かを問う、魂が震えるノンフィクション大作

という惹句に嘘偽りはありません。多くの方に読んでいただきたいと願います。