ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

永遠のゼロ

Zero

  最近では珍しいことに周囲の若い人たちから

 「え~○○さん、あんないい映画まだ観てないんですか?号泣ですよ号泣!」

てなプレッシャーを受け続けていた映画「永遠のゼロ」をようやく観てきました。ちなみに現在6週連続邦画興行収入一位を続けているそうです。岡田准一三浦春馬井上真央目当てで行かれた方も多いと思いますが、まあ若い人がこういう映画を観てくれることは嬉しいことで、これを機会に少しでも太平洋戦争のことに興味を持って勉強してもらえればいいですね。

『 2014年日本映画、配給:東宝

スタッフ
監督: 山崎貴
原作: 百田尚樹
脚本: 山崎貴、林民夫

キャスト:
岡田准一三浦春馬井上真央濱田岳吹石一恵田中泯山本學風吹ジュン平幹二朗橋爪功夏八木勲 他

百田尚樹の同名ベストセラー小説を、「V6」の岡田准一主演、「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズを手がけてきた山崎貴監督のメガホンで映画化。司法試験に落ち続け、人生の目標を失いかけた青年・佐伯健太郎と、フリーライターの姉・慶子は、実の祖父だと思っていた賢一郎とは血のつながりがなく、本当の祖父は太平洋戦争で特攻により戦死した宮部久蔵という人物であることを知る。久蔵について調べ始めた2人は、祖父が凄腕のパイロットであり、生きることに強く執着した人物であったことを知る。そんな祖父がなぜ特攻に志願したのか。元戦友たちの証言から祖父の実像が明らかになっていき、やがて戦後60年にわたり封印されてきた驚きの事実にたどり着く。健太郎三浦春馬、久蔵の妻・松乃を井上真央が演じる。

(映画.comより)』

 安部政権発足以来、右左の論戦がかまびすしくなっている折柄、この映画もその批判に晒されているようで、そのあたりどうなのかな、と若干心配しておりました。

 しかし、百聞は一見にしかず、ストーリーの組み立て方はちゃんと映画の作法にのっとっており、泣かせどころのツボも要所要所に配してあり、伏線の回収の仕方もよく、ROBOTが担当した3DCGも素晴らしく、名優、演技派に拮抗して岡田准一井上真央がきっちりと主役をこなすという、映画としての基本がちゃんとできた作品だったと思います。

 「妻と子のためにどんなことがあろうと生きて帰りたい

という信条が当時の日本軍の中で有り得たのか、そのために抜群の操縦技術を持ちながら乱戦に巻き込まれることを嫌ってすぐに帰還するなどと言うことが有り得たのか、そんな「臆病者」「卑怯者」が特攻の教え子の一人だけを救う手立てを最後の最後に用意したのは信条と相違するのではないか?など、主人公宮部久蔵の考え方に若干の疑問があります。
 しかし考えてみれば久蔵が特攻で亡くなったのは現在司法浪人で怠惰な生活を送っていた健太郎と同じなんですよね、一貫した人生哲学を持ち信念を貫き通せなんていうほうが無理な年齢です。

 また、現在の彼の孫たちが主人公の謎を解き明かしていく中で参考にするのが彼に恩義のある人ばかりであれば、そりゃ「実は臆病者ではなかった、立派な人だった」という結論になるでしょうよ、という揶揄があっても不思議ではありません。が、映画に入り込んでいる間はどんどんストーリが流れていくのでそんな茶々を入れる暇もなく、泣いておりました(苦笑。

 さて、先程も述べたように超タカ派の安部政権がいろいろと国内外で軋轢を生じているこの時期ですから、こういう映画は左からの批判に晒されます。
 ゆるやかに確実に世の中が右翼志向に流れている中での公開は明らかに安部政権の後押しをしている、というような批判もあるようです。しかし本作を観た限りではそんな批判は恣意的に過ぎ、左翼寄りの人たちは過剰反応しているのではないかな、と思います。
 バリバリ左翼の宮崎駿などは映画ができる前からゼロ戦というだけで嫌悪感を露わにしていましたが、じゃああんたの作った「風立ちぬ」はどうなんだと言いたいですし、「観たことを記憶ゼロにしたい」と井筒和幸監督は言い放ったそうですが、どう思い返してみても特攻賛美の映画とはとても思えない。

 確かに原作では大新聞では最も左よりの朝日新聞社を想定した新聞社の記者を罵倒する場面があり、百田尚樹氏が基本的には右翼よりの思想を持っていることは最近の言動でも明らかです。しかし、少なくともこの映画では監督で脚本も担当した山崎貴がうまく処理して右翼色を薄めていたと思います。

 敢えて討論する余地のあるのは、「特攻」と「自爆テロ」は違うと言う論理で特攻を正当化するのか?という点でしょう。

 しかし冷静に客観的に考えてみれば、いくら非人道的で残酷な方法であろうと「特攻」は戦術です。あくまでも戦時下であり、敵機の迎撃をかいくぐって敵艦に到達しなければいけないという、正常な精神状態と技術が求められる戦術と、極端なイスラム原理主義で洗脳されて何も知らされていない民間人を大量虐殺する「自爆テロ」とは、どう考えても違うでしょう。

 美化するとかしないとかではなく、根本的な戦術と思想が違うということは明らかです。勿論自爆テロにはそれなりのやる方の道理なり理屈なりがあるのでしょうけれどもどう考えても正当化できるものではありません。

 日本の戦後教育は歴史上の恥として「特攻」を否定し続けてきましたし、わたしもそのような教育の中で育ってきましたが、諸外国から「自爆テロ」と混同されることには、冷静に理論的に反論すべきであると考えます。

 本作では久蔵の孫の健太郎がコンパでヘラヘラした同僚に「特攻って自爆テロじゃん」と揶揄されて、怒って席を立ってしまいます。同じくらいの年齢で国のため銃後の人たちのためと信じて命を落とした人の名誉を踏みにじる言動には、正確な答えを用意するべきであると思いますが、残念ながら健太郎はきっちりと反論しませんでした。それどころか過去に遡っても「特攻は愚策だ」と吐き捨てるだけでした。右よりの映画どころか、逆にそこに踏み込み足りなかったのではないかと思うほどです。

 とりあえず右左の考察はこれくらいにしておきます。

 さて、俳優で良かったのは岡田准一井上真央、それに田中泯。特に田中泯演じる右翼の大物が主人公の孫健太郎を抱きしめるシーンにはジーンと来ました。夏八木勲さんは亡くなられてからの方がお目にかかる機会が多すぎて、あ、どうも、って感じ(苦笑。
 岡田君は以前にも書きましたが、麻生久美子と共演した「おと・な・り」あたりから演技力に注目していましたが、すっかり「俳優」になりましたね。もうジャニーズというレッテルを外してもいいんじゃないでしょうか。井上真央も岡田君の背丈に見合う女優として人選されたとか言う噂もありましたが、「八日目の蝉」「綱引いちゃった!」に続いて堅実な演技を見せてくれました。
 一方で孫を演じた三浦春馬は今一つでしたね。現代っ子という役柄で損をしているのかもしれませんが、泣くにしても怒るにしても今一つ演技に切れがなかったように思いました。

 その三浦春馬演じる健太郎が、都会の空を久蔵の乗ったゼロ戦が飛ぶ幻想を観て、その幻想のゼロ戦が現実の特攻シーンに移っていくラストシーンは素晴らしかったです。原作ではちょっと映像化することがためらわれる久蔵の最期が描かれますが、映画は岡田准一君の笑顔で終わります。これはこれで正解なんだろうと思います。

 ところがその後がいけない。エンドロールで流れた桑田圭祐の主題歌はいただけません。余韻ぶち壊しの歌声にげんなりしました。観客動員ありきでセンスのなさを露呈するのが邦画の悪い癖。これだけは何とかならんかと思いますね。

 いろいろと文句をつけてしまいましたが最初に述べたように基本的にはかっちりと作られた良い映画で、お金を出して観るに値する秀作であると思います。

評価: B: 秀作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)