ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

Winter Journal / Paul Auster

Winter Journal
 度々拙ブログで紹介してきたポール・オースターですが、先日新刊「Report From The Interior」が発表されました。実はそれ目当てでKindle Paperwhiteを買ったのですが、解説を読むと多分に自伝的要素が強いとのこと。それなら同じく自伝的ということであまり評判が良くなく未読だった「Winter Journal」を先に読んでしまうことにしました。

 「You」という二人称で語られているので最初は少し戸惑いましたが、前知識もありますのですぐに

You = Paul Auster

であることが分かります。二人称を用いることにより、努めて冷静かつ客観的に自らの人生を描写しています。といってもオースターの作品だけあって、自画自賛的な通り一遍の自伝ではありえません。時代順に成長する姿が語られるわけでもなく、テーマを明確にして書き分けるわけでもなく、時代や話題が転々とする変則的な構成となっています。

 とは言え散漫でも退屈でもないところはさすがです。冷静かつ客観的記述とは述べましたが、それでもくすり笑いあり大笑いあり、泣かせるところあり、ほろっとさせられるところあり、おのろけありで最後はぞくっと恐がらせ考えさせて終わるところなど、文章の闊達さ、ストーリーテリングの上手さは本作でも健在です。

 というわけで、小説でなかっただけに落胆する人が多かったようですが、個人的にはいい作品だと思いました。Winter Jouralとあるように諸所に冬の寒さと静けさを感じさせる情景が散りばめられ、一冬をかけて64年の人生を振り返り、その日その日に思い出したことをタイプしている、そろそろ老境に達したオースターの姿が見えるようで、そういう意味で今までにはない味わい深さもあったと思います。

 ちなみに私にとってKindle Paperwhiteで初の洋書でしたが、全く違和感なく今までのペイパーバックと同様に読み進めました。単語がすぐ検索できるのは便利ですが、オースターに多い慣用句や熟語はやはり別に電子辞書を用意しておかないといけないです。

 さて内容を振り返ってみましょう。最初は何歳の時どこをけがしたとかこうとか、細かいエピソードが延々と続き、なんじゃこの傷だらけの人生的展開は?と思ってしまいますが、落ち着く暇もなく目まぐるしく話題は変わっていきます。

 子供時代の遊び、野球、友達のこと、思春期の性の目覚めのこと、初体験のこと、船乗りの仕事のこと、フランス生活のこと、貧乏のこと、フランスの売春婦たちのこと、性病のこと、結婚とその失敗のこと、自分の起こした事故のこと、幾度かの致命的であったかもしれない病気のこと、家族のこと、特に親の死のこと、祖父母の死のこと、現在の妻(シリ・ハストヴェット)との出会いとそれからのこと、そして自らの出自であるユダヤ人種のこと等々。

 勿論話題の内容によっては退屈と感じることもありましすし、待ってました、という話題もあります。そのあたりオースターのファンの中でも評価が分かれるところだろうとは思います。

 そのような中でも特にこだわってかなりのページ数を咲いて説明しているのは自分の引越し歴です。これでもかと言うくらい精密に番号まで振って(なんと21番まであります)説明しているあたりはかなり偏執的で、オースターらしいと言えばオースターらしいですが、なんせ土地鑑のない場所ばかりなので戸惑うこともありました。もちろん旅の本的な面白さは堪能できます。
 それにしても20回もの引越しとは小説以上に目まぐるしい人生ですね。とは言え、私も仕事柄若い頃は転勤が多く、振り返って勘定してみたら15回引っ越してました。人のことは言えません(苦笑。

 さて、自分の過去のことは努めて冷静にかつ露悪的にさえ語るオースターですが、「ユダヤ」という人種意識と自らの家族については、過去の作品同様に強いこだわりを見せています。ですから、本作では自分の作品について殆ど語らなかったオースターですが、父の家族の驚愕の過去について書かれたデビュー作「孤独の発明The Invention of Solitude )」のことについては触れています。
 日本人には分かりにくい西洋でのユダヤ人種の立場の難しさ、差別のこと、そこから来る団結力、家庭の絆の深さを個人のレベルで分からせる筆致はさすがです。

 その一方で妻のシリがノルウェイ系であり、娘が15歳くらいの時に自分のことを

Jew-wegian

と新造語で表現したことに、苦笑しながらも新しい世代の感覚を受け入れているあたり微笑ましくも感じます。

 You doubt there are many people who can lay claim to that particular brand of hyphnated identity, but this is America, after all, and yes, you and your wife are the parents of a Jew-wegian.

  この一節で余韻を残しつつ幕を閉じるのか、と思いきや、さすがオースター、まだもう一つの最終節が残っていました。映画でエンドロールが流れた後、更に20分くらいのエピソードが流れた、と言う感じです。

 それも冒頭から延々と食べ物についての話題が続きます。子供の頃にこだわっていた食べ物から現在の志向までそれはもう細かく語られ、その記憶力と表現力にはまたまた脱帽です。子供の頃に食べた甘いものをよくもこれだけ食べたもんだと並べ立て、

 よくぞこれだけ食べて縦にだけ伸びて横に伸びなかったもんだ

と嗜虐的に振り返るあたり、ちょっと筒井康隆的な雰囲気も感じました。

 なんだこの展開は?と思うまもなくテーマは突然フランスのエッセイストでモラリストでもあったJoseph Joubertの死についての格言

The end of life is bitter.

One must die in lovable(if one can)

に移ります。そううまくはいかないけれどできれば自分の両親のようにlovavleに死にたいもんだ、と結んでいます。

 その後自分の喉に信じられないほどの魚の骨が刺さって下手したら死んでいたという恐いけれどユーモラスなエピソードや、信じられないくらい素晴らしいダンスなどのコネタを挟んだ後、最後の最後に彼が生涯に一度だけ経験した幻聴について語ります。以下ネタバレになりますのでご注意。

 あのアンネ・フランクが命を落としたベルゲン・ベルゼン強制収容所をオースターは友人の編集者の案内で訪れます。そこで拷問され殺されて埋められた50000人ものロシア兵の叫びという恐ろしい幻聴。
 このような戦慄すべきエピソードを最後に披露するあたりは稀代のストーリーテリングの名手オースターの真骨頂ではないでしょうか。このような驚愕のラストを用意した上で、この自伝は静かに幕を閉じます。特に結びの文章の美しさには感じ入るものがありました。

Holding your infant children in your arms.

Holding your wife in your arms.

Your bare feet on the cold floor as you climb out of bed and walk to the window.You are sixty-four years old.Outside, the air is grey, almost white, with no sun visible. You ask yourself: How many mornings are left?

A door is closed. Another door has opened.

You have entered the winter of your life.

Winter Journalという題名に相応しい、老境に達した諦観に満ちた名文だと思います。

 これで「Report From The Interior」を読む気が俄然湧いてきました。評判のあまりよくなかった本書ですが、読んでよかったと思いました。