ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

くちづけ

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 久しぶりに映画館で思い切り泣きました。現在公開中の邦画「くちづけ」です。映画ずれしていて、職業上も無縁な世界でもなく、身近に同じような人がいる自分がこれだけ感動できるとは、ある意味新鮮な驚きでした。
 ストーリーだけを追うととても残酷な結末なのですが、不思議と出る涙は暖かかったです。多くの方に観ていただき、素直に暖かい涙を流していただけたらと思います。

『 2013年 日本映画 配給 東映  上映時間 123分

スタッフ
監督: 堤幸彦
原作、脚本: 宅間孝行

キャスト
貫地谷しほり竹中直人宅間孝行田畑智子橋本愛、岡本麗、嶋田久作麻生祐未平田満、宮根、伊藤高史、谷川功、屋良学頼、尾畑美依奈、万田祐介

劇作家で俳優の宅間孝行が主催し、2012年をもって解散した劇団「東京セレソンデラックス」の名作舞台を、堤幸彦監督、貫地谷しほり主演で映画化。

知的障害のため、心は7歳児のままの女性マコ(貫地谷しほり)は、元人気漫画家の父親愛情いっぽん(竹中直人)に連れられ、知的障害者の自立支援グループホーム「ひまわり荘」にやってくる。無邪気で陽気な住人たちに囲まれ、のびのびと日々を送るマコは、そこで出会った男性うーやん(宅間孝行)にも心を開いていく。ようやく見つけた理想の場所で娘が幸せになれば、いっぽんも漫画家として復帰できるかと思われたが、やがてひまわり荘の一同に厳しい運命がふりかかる。 (映画.comより) 』

 映画は新聞紙の切れ端が風に乗って町を流れていく様を俯瞰で撮り、その紙切れが辿り着くある小さなグループホームの庭へとズームインしていきます。それからエンディングで再びこの家からズームアウトして俯瞰での町の風景に変わるまで、この映画はこのグループホームのみを舞台として固定して撮られています。もともと舞台演劇であった作品である事が良く分かる、心憎い構成であったと思います。

 さて、カメラが辿り着いた先ではうーやん(宅間孝行)という男性が結婚相手の女性を待っている気配があるのですが、彼も同僚の男性たちもどうも様子がおかしい。舞台演劇的な誇張された台詞回しの要素もありますがそれだけでは説明がつかない。そう、彼らは「知的障害」を抱えているのだな、と分かります。そこへうーやんの妹(田畑智子)が登場、涙目になりながら、うーやんに婚約者は来ないことを告げます。うーやんは理解できていないようですが、そこで先程の新聞紙の切れ端がズームアップされ、どうやら婚約者らしき女性が死亡している事が示唆されます。

 これが12月25日。そこからシーンは半年前へと切り替わります。所謂倒叙法にのっとった脚本です。倒叙法は結果が先に分かってしまっているので、ヘタをすると観客をその世界に巧く引き込めないリスクがあるのですが、この映画は丁寧に知的障害者と彼等に関わる人々の日常を描くことにより、観客をこの奇妙な閉鎖空間へとうまく引き込んでいきます。このあたり宅間孝行が舞台で培った経験と芝居勘を巧く活かしていたと思います。

 このグループホームは小児科開業医の先生(平田満)が知的障害者のために半ばボランティア的にはじめ、妻の麻生祐未、娘の橋本愛も協力する事により成り立っています。ただそれだけでは人手は足りず、一癖も二癖もあるおばさん岡本麗を使用人として雇っています。
 最初はこの岡本麗が困ったおばさんだなあという印象を与えるのですが、実は彼女の視点というのはとても大切です。というのは、知的障害者に対して管理運営者は理解があって当然ですが、一般人はそうではないのだ、という現実をしっかりと観る者に示す必要があるからです。
 そういう意味で、橋本愛の同級生である今時のちゃらい高校生南(尾畑美依奈)、さんざんからかわれる役柄ではありますが彼女の視点も意外に重要な意味を持っています。南は知的障害者を理解しようとしてやってくるわけではありません。それをレポートすると高い点数を取れるという現実的な打算をもってやってくるのです。

 そのように最初から理解しようという意思のない人たちの目に知的障害者はどう映るのか、その視点があってこそ、このペーソス溢れる泣き笑いのストーリーがただ単なる福祉映画ではなく一般鑑賞に耐え得るしっかりとした骨格を持つのです。もう一歩踏み込んで言うと、宅間孝行は一般観客(= 一般人)の視座がついつい橋本愛のような優等生的な視点になってしまうけれど、現実世界で知的障害者とじかに接すれば一転して南的になってしまうことを良く承知しているのだと思います。

 さて、前置きが長くなりましたが、そんなグループホームに一人の元人気漫画家(竹中直人)が住み込み就職を希望してやってきます。そこからいきなりドタバタ喜劇が始まり観客を笑わせますが、それはさておき、先ほどの話に戻ると、この漫画家の視点は一般人とは異なっています。それは彼が連れてきた娘(貫地谷しほり)がまた知的障害者であるからです。父親一人で彼女を育てる生活に疲れており、娘も心に深い傷を負って男性恐怖症に陥っています。

 そのような二人がようやく安息の場所を見つけられた、その安堵感がしばらくはスクリーンに漂いますが、やがてじわじわとこの安息世界に崩壊の予感が漂い始めます。善意での経営の限界、障害年金を着服する両親、知的障害者の突発的暴力・事故・犯罪被害、障害者の兄弟姉妹の結婚問題、介護者の健康問題等々、キレイごとではすまない現実世界の問題を手際よく提示し物語はクライマックスへと収斂していきます。

 これ以上はネタバレになるので書きませんが、物語をハッピーエンドでは終わらせなかったこのストーリーに深く共感します。そしてそのあとにささやかではあるけれど救いのエピローグを用意してくれた事に暖かい涙を禁じ得ません。

 宅間孝行さんのことばかり書いてきましたが、もちろん堤幸彦監督の演出も素晴らしかったと思います。。「TRICK」「SPEC」「二十世紀少年」など娯楽映画のイメージの強い方ですが「明日の記憶」などの社会派映画も撮っておられ、今回もその力量を存分に発揮しています。
 冒頭に述べたひまわり荘へのフレームインからフレームアウトまで、限られた空間の中で様々なカメラワークを駆使し、ある時は演劇的に、ある時は映画的にと、的確にシーンをつなげていった見事な手際は賞賛に値します。

 もちろん俳優さんへの演出と、その演出に応えた俳優陣の頑張りにも拍手です。

 まずは竹中直人さん。この頃は脇役でコミカルな演技ばかりが目立つ印象でしたが、もともとは演劇畑出身の純然たる演技派。今回久々に主役としての演技を見せていただきましたが、鳥肌が立つような凄みを感じさせる素晴らしい演技でした。

 そして貫地谷しほりさん。実際グループホームへ出かけて障害者の演技を勉強されたそうですが、実際を知っている私の目からも素晴らしい演技だと思いました。というか、演技臭さを感じさせない自然な振る舞いに感心しました。寡聞にしてこれほどの演技派女優だとは存じませんでした。脱帽です。

 続いて原作・脚本・主演の三役宅間孝行さん。十分舞台の上で演じ続けたきたとは言え、多動多弁の難役を演出される側に立って新たに演じることにはそれなりの戸惑いもあったと思います。若干舞台臭さを感じるところもありましたが、それも含めての彼の個性でしょう。

 長くなりますのでここでやめますが、以上述べた以外の全ての俳優さんにも拍手を送りたいと思います。それにしても橋本愛は綺麗ですね、「桐島、部活やめるってよ」でも光っていましたが。NHKの連ドラは観ていませんが、くだらないゴシップ記事に惑わされずこれからも伸びて欲しい素材です。

 最後に重要な鍵を握る音楽が、なつかしのアン・ルイスさんの名曲「グッド・バイ・マイ・ラブ」。まこ(貫地谷しほり)の下手な歌が心に沁みました。

 というわけで評価は文句無し。本年邦画初の「傑作」です。

評価: A: 傑作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)