ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

リスト「巡礼の年」/ ラザール・ベルマン

Liszt: Annees de pelerinage (Complete recording)
 ロシアが生んだ名ピアニスト、ラザール・ベルマンが残した傑作、リストの「巡礼の年」です。ベルマンのリストと言えば「超絶技巧練習曲」がやはり一番に思い浮かぶと思いますが、こちらも叙情性に溢れ、美の極致とでも言うべき素晴らしい演奏です。

 な~んて、偉そうなことを書いてしまいましたが、ご他聞に漏れず村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで聴きたくなってみたクチです。先日届いて少しずつ聴いていたのですが、CDでなんと3枚組だわ、途中でシガー・ロスが割り込んでくるわ、で随分遅くなってしまいました。

CD1
第1年「スイス」S.160 (1848-1854) 全9曲
 ウィリアム・テルの聖堂
 ワレンシュタット湖畔で
 田園曲
 泉のほとりで
 嵐
 オーベルマンの谷
 牧歌
 郷愁(ル・マル・デュ・ペイ)
 ジュネーヴの鐘:ノクターン

CD2
第2年「イタリア」S.161 (1837-1839,1849) 全7曲
 婚礼
 物思いに沈む人
 サルヴァトル・ローザのカンツォネッタ
 ペトラルカのソネット第47番
 ペトラルカのソネット第104番
 ペトラルカのソネット第123番
 ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲

第2年補遺「ヴェネツィアナポリ」S.162 (1859) 全3曲
 ゴンドラを漕ぐ女
 カンツォーネ
 タランテラ

CD3
第3年 S.163 (1867-1877) 全7曲
 アンジェルス!守護天使への祈り
 エステ荘の糸杉にI:哀歌
 エステ荘の糸杉にII:哀歌
 エステ荘の噴水
 ものみな涙あり / ハンガリー旋法で
 葬送行進曲
 心を高めよ

録音;1977年・ミュンヘンレジデンツヘラクレスザール7

 フランツ・リスト、と聞いてオーディオファイルの方の多くが思い浮かべるのが名録音エンジニア、キース・O・ジョンソンの手になる「Nojima Plays Liszt」ではないでしょうか。このアルバムにおいて彼が「メフィスト・ワルツ#1」や「ラ・カンパネラ」などでのノジマの驚異的に正確無比な演奏を完璧に録音しきったように、リストといえば「超絶技巧」を要する曲を数多く書いて一誠を風靡した作曲家・ピアニストというイメージがあります。

 ところがこの「巡礼の年」にはその様なイメージとは異なり、リストにしては素朴な美しさを感じさせる曲が多いように感じます。もちろんかなりの技巧を要する曲も多いのですが、全体としてはその技巧は難曲を弾きこなすというベクトルではなく、静のパートの旋律をいかに端正に表現し、かつ飽きさせずに聴かせるかに向けられるべきである、という印象を受けます。

 そのような観点から想像すると、「色彩を持たないー」中でシロのような繊細な女性が弾いていたように、女性ピアニストの方が合っているのではないかと私のような素人は思ってしまいます。
 が、このラザール・ベルマンの演奏は男らしい力強いタッチで余計なアゴーギグも使わずひたすら端正に弾いているにもかかわらず、随所で繊細な美しさを表現しており長時間の録音にもかかわらず意外に退屈することなく聴けてしまいます。

 まあ素人の悲しさでこんな傑作にこの程度の感想しか抱けないわけですが、村上春樹ともなると、さすがの表現力でこのアルバムを紹介しております

 「色彩を持たないー」において重要な役割を果たすことになるこの作品は62ページで初めて登場します。友人「灰田」が多崎つくるの部屋に持ち込み、二人で聴いているレコードがベルマンの「巡礼の年」という設定です。曲は言わずと知れた、というか、この本でいきなり有名になった「ル・マル・デュ・ペイ」。では著作権に引っかからない程度でそのさわりだけを紹介しましょう。

灰田「フランツ・リストの『ル・マル・デュ・ペイ』です。『巡礼の年』という曲集の第一年、スイスの巻に入っています。」

「技巧的にはシンプルに見えるけど、なかなか表現のむずかしい曲です。楽譜どおりにあっさり弾いてしまうと、面白くも何ともない音楽になります。逆に思い入れが過ぎると安っぽくなります。ペダルの使い方ひとつで、音楽の性格ががらりと変わってしまいます」

「ラザール・ベルマン。ロシアのピアニストで、繊細な心象風景を描くみたいにリストを弾きます。(中略)現存のピアニストでリストを正しく弾ける人はそれほど多くいません。僕の個人的な意見では、比較的新しいところではこのベルマン、古いところではクラウディオ・アラウくらいかな」

 なるほど見事な紹介ですねぇ。まあ「リストを正しく弾けるピアニス」トが「それほど多くいない」とも思えませんが、確かに「ル・マル・デュ・ペイ」という曲は美しさと退屈の狭間を揺れ動いているような曲で、退屈させずに聴かせるには相当の技量が要るだろうことは私のようなものにも想像に難くありません。というか、どうしてこんな小難しい曲をわざわざ選ぶかなあ、ちょっとアコギですねえ春樹さんも。

 というわけでこの後、中盤の山場であるクロとの再会の場面、そしてラスト近くでこの「巡礼の年」は登場します。そのあたりは是非作品を実際に読んでお楽しみください。