ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

ルパン、最後の恋 / モーリス・ルブラン(平岡敬訳)

ルパン、最後の恋
ルパン、最後の恋
 モーリス・ルブランが1941年に亡くなってから70年ぶりに出版され、大変な話題を呼んだ未発表作品の日本語訳「ルパン、最後の恋」が早川書房から出版されました。学生時代夢中になって読んでいたルパン・シリーズの未発表作がこの歳になって読めるとは夢にも思っていなかったので、早速購入して読んでみました。

『1922年、父親のレルヌ大公が突然自殺し、一人娘のコラは悲しみに沈んでいた。そんなコラを助けるのは、大公から後見を託された4人の男たち。大公は遺書の中で、じつはこの4人の中に正体を隠したアルセーヌ・ルパンがいる。ルパンは信頼に足る人物なので、それが誰かを見つけ出して頼りにするようにと記していた。やがて思いがけない事実が明らかになる。大公はコラの本当の父親ではなく、彼女はじつはマリ・アントワネットの血を引くコラの母親が、イギリスのハリントン卿との間にもうけた子で、次期英国王の有力候補とされるオックスフォード公の許嫁だったのだ。高貴の血をひくコラは、にわかに国際的陰謀に巻き込まれ、そんなコラを救うべく、ルパンは動きだすが……永遠のヒーロー、ルパンと姿なき敵との死闘が幕を開ける!(AMAZON解説より)』

 届いた本を手にとってみますと、まず本の帯の

長らく封印されてきた正統アルセーヌ・ルパン・シリーズ未発表の最終作、ついに解禁

 という惹句が目を引きます。その解禁の経緯について訳者の解説をまとめてみますと、本書の初稿をルブランが書き終えたのが1936年の9月、ストーリー的には一応完結していました。ところが、雑誌に掲載すべく推敲を始めたわずか2ヵ月後にルブランが脳血栓の発作を起こしてしまったため最終稿に至らず、ルブランの息子もその完成度の低さから公表を望まず、残念ながらその存在自体は知られていたものの幻の作品となってしまいました。
 転機が訪れたのは2011年、祖父の遺品を整理していた孫娘がたまたまこの原稿を発見し、折りしもその年はモーリス・ルブラン死後70年著作権の切れる年であり、ルパン・シリーズの復刻本を企画していた出版社がその話を聞きつけ、出版を申し出て実現したそうです。

 そういう経緯ですから、「奇岩城」のような完成度は望めないのは当然と思っていましたが、一読してその予想以上に質の低さにはさすがにがっかりしてしまいました。文章やストーリーは凡庸で、諸所でぎくしゃくした展開となっており、推敲不足は歴然で、モーリスの息子が公表を望まなかったのもむべなるかな、と思わせます。
 これといった目を見張るトリックもありませんし、ルパンはいつも余裕綽々で難敵に追い詰められるようなスリルある場面も殆どありません。ガニマール警部ショルメスシャーロック・ホームズ)といった強力なライバルも登場しません。

 それでもこの本には不思議な魅力があり、心地よい読後感があります。それはモーリス・ルブランが最後に描ききった怪盗紳士アルセーヌ・ルパンの人を惹きつけて止まない魅力的な人間像によるところが大きいと思います。

 聡明で美しい女性に一途な恋心を抱きながらも

 「自分は普通の幸福を得てはいけない人間だ

と常に一歩引いた立場で彼女に接し、その危機に当たっては全力で彼女を守り抜く、内に秘めたパッションの強さと表裏一体の自制心の強さ。

 怪盗でありながらも罪を憎んで人を憎まず、決して敵対するものを殺めたりはせず、可能な限り話し合いで解決しようとする平和主義者的一面。

 ろくでもない父親の暴力に苦しむ子供を引き取ったり、多くの子供を集めて指導する教育者としての一面。(現代教育の観点から見ると随分おかしな面もありますが、これには当時の社会状況を考慮する必要があるでしょう)

 英国諜報部員に「きみに現実を見る目(リアリズム)が欠けているのは残念」と忠告されて「理想主義(イデアリズム)のほうがずっとすばらしい」と返す理想主義者的一面。

 あまりにも完璧な人間像をルパンに託し過ぎているきらいは否めませんが、最後の最後にルパンの恋はほのぼのとした形で結実します。

これがアルセーヌ・ルパンの最後の冒険になるかどうかはわかりません。でも私は確信しています。これが最後の恋に・・・・・ただ一つの恋になると

 この凡庸なストーリーでルパン・シリーズが終わるのかと思うと少し悲しかったですが、このいかにもフランスらしい粋な台詞でシリーズが締めくくられた事には十分満足しました。

 なおこの物語のほかにも、シリーズ第一作である「アルセーヌ・ルパンの逮捕」の初出版(日本では単行本初収録)と、「アルセーヌ・ルパンとは何者か」というエッセイがおまけとして掲載されています。