ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

ピサロと印象派展@兵庫県立美術館

1899
(エラニーの菜園と鐘楼、1899年)
 日本では「印象派の展覧会さえ催せば人が入る」ということで、やや安直に開催される傾向がある、と思います。私もさすがに食傷気味です。そこにこのたび兵庫県立美術館が10周年企画として「カミーユ・ピサロと印象派 永遠の近代」という企画を持ってきました。その手に乗るか、と言いたいところですが(笑、ピサロという比較的印象の薄い、はっきり言ってあまり集客力のないであろう画家をメインに持ってきたところに興味を引かれ、観てきました。

『フランス印象派と言えば、まずモネやルノワールの名前が浮かびます。しかし彼らは計8回の「印象派展」に、実は半分ほどしか参加していません。
個性あふれる印象派の面々を最年長者として忍耐強くまとめ、8回の展覧会に欠かさず出品した唯一の画家が、カミーユピサロ(1830-1903)です。ファン・ゴッホやスーラなど新世代にも慕われ、印象主義のためには新奇な手法を取り入れることも恐れませんでした。
自然の風景や人々の暮らしを描いたピサロの穏やかな作品には、19世紀という激動の時代における都市と田園の対比や変貌する自然観など、同時代の様々なテーマも見てとれます。
兵庫県立美術館の開館10周年を記念し開催する本展では、国内外に所蔵されるピサロ約90点に、モネやルノワールも加え100点以上を展示。印象主義の探求に生涯を捧げたピサロの作品を軸に、近代の絵画、そして社会の原点を、あらためて見つめ直します。(公式HPより)』

 1872
(ポール=マルリ-のセーヌ河、洗濯場、1872年)
 ピサロというと比較的地味な風景画家の印象が強いですが、上記の紹介文にもあるように、名だたる印象派画家の陰に隠れがちなピサロですが、実は8回の印象派展全てに出品した唯一人の画家でした。初期はモネやシスレーらと初期の印象派を牽引し、後期はゴーガンやスーラ、ゴッホ等に慕われ、影響を与えました。
 この展覧会でも、同様の風景でのピサロと他の名だたる画家、モネドービニークールベコローシスレールノアールセザンヌ等との比較で同じ印象派での画風やタッチの違いをうまく見せていました。このあたりがキュレーターの力量でしょうか(原田マハの読みすぎ?)
 その比較で如実に分かるのはピサロの実直さ、誠実さ。ピサロ単独で観ると、樹木の描きこみの見事さなど、非常に優れた作品がたくさんありました。しかし、モネルノアールセザンヌあたりと比べると、タッチの大胆さや発想の卓抜さ等で天才と秀才の差を感じざるを得ませんでした。特に最後の方にモネの「霧の中の太陽(ウォータールー橋)」が展示してあったのですが、それまでの作品群を全て忘れさせてしまうほどのインパクトがありました。それはもう残酷なほどでしたよ、キュレーターさん。

1903
(ロワイヤル橋とフロール館、曇り、1903年
 とはいえ、初期から晩年までのピサロの作品を網羅してあると、彼が生涯をかけて印象主義を探求し続け、進化、或いは深化させていった過程を辿ることができ、後半に至るにつれて感銘の度合いが増していきました。このロワイヤル橋の描き込みの緻密さなども実物を見るとよく分かりました。そして最後の絵、「木の下の農民、モレ(小さな物乞い)」に見られる弱者への優しいまなざしにも深く感じ入るものがありました。

 というわけで、やはり印象派は奥が深いなあ(をい、と感じ入った展覧会でした。