ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

海炭市叙景

海炭市叙景 [DVD]
 以前、自殺により夭折した作家佐藤泰志の小説「海炭市叙景」を紹介した事がありました。その時点で映画にもなっており観たいと思っておりましたがミニシアター系上映で残念ながら観る機会を逸してしまっておりました。レンタルになる事もないかな、と半分あきらめておりましたが先日レンタル屋さんにおいてあるのを見つけ、喜んで借りてきました。
 地味で暗めな映画であろうことは予想しておりましたが、静かに胸に染み入る、というよりはずっしりと重いものが心にのしかかるような映画でした。

『 2010年 日本映画 「海炭市叙景

スタッフ
監督: 熊切和嘉
原作: 佐藤泰志

キャスト
加瀬亮 小林薫 南果歩 谷村美月 大森立嗣 他

北国の小さな町・海炭市の冬。造船所では大規模なリストラが行われ、職を失った颯太(竹原ピストル)は、妹の帆波(谷村美月)と二人で初日の出を見るため山に登ることに……。一方、家業のガス屋を継いだ晴夫(加瀬亮)は、事業がうまくいかず日々いら立ちを募らせていた。そんな中、彼は息子の顔に殴られたようなアザを発見する。(シネマトゥデイより)』

 原作は冬から初夏にかけての18の短編で構成されていますが、本作は5話のオムニバス映画となっています。
 ベースとなる架空の街海炭市について簡単に説明しておきますと、函館市がモデルであり、実際ロケも函館で行われています。一昔前までは炭鉱や造船業で賑わっていたものの、それらの産業の衰退により、不況が押し寄せる一方で、再開発の波にもさらされている、そんな地方にはありがちな街です。よって、年末年始の楽しい時期にもかかわらずここに登場する人々の心は寒々としています。

第一話: まだ若い廃墟: 小説でもこの第一話が最も印象的でしたが、映画でも冒頭と終盤のクライマックスに登場する印象深い演出がなされています。特に二人が路面電車の線路を渡るシーンは、とても効果的に使われてます。

 造船所の大規模なリストラで解雇された兄と、一緒に暮らす妹には、大晦日に年越しそばを食べた後にはもう僅かな小銭しか残っていませんでした。そのなけなしの金で臥牛山(函館山)に登り初日の出を拝んだあと、兄は妹だけをロープウェイで下山させ、自分は徒歩で下りる事にしたのですが、その兄はロープウェイが終了する時間になっても現れません。待ち続ける妹の不安そうな表情が大写しになった後、スクリーンは暗転し、ここで初めて「海炭市叙景」のタイトルロールが現れます。

 海炭市の状況を説明することにより端的にこの映画の背景を説明するとともに、先程も述べたように、オムニバス映画を見事に収束させる役目を果たしています。

 もちろんこの話自体も印象深い良い演出がなされています。8ミリフィルムのような荒い粒子で描かれる船好きの兄妹の子供時代のシーン、解雇通知書で船の折り紙を作る兄竹原ピストルのなんともやるせない表情、そして兄の下山を待ち続ける妹谷村美月の憂いを含んだ表情。とても良い出来でその後のエピソードを期待させました。

第二話: ネコを抱いた婆さん: 産業道路沿いの再開発のため周囲の家が殆ど立ち退いたなか、一軒だけぽつんと残った家畜のいるボロ屋。そこに住むのは、周囲から臭い「豚の家」と非難されようと、立ち退き料吊り上げ作戦だと裏口を叩かれようと、親身に市の職員が説得しようと、頑として受け入れない老婆。現実的には決して明るい話ではないのですが、このエピソードだけはたくまざるユーモア、不思議な明るさがありました。

 驚くのはこの老婆を見事に演じきった中里あきさん。なんと函館に住む素人の方をオーディションで採用したのだそうです。プロ俳優のキャスティングにおいては堅実で奇を衒わない一方で、このような荒業が映画に新鮮な伊吹を吹き込んでいたのですね。

第三話: 黒い森: 星好きが嵩じてプラネタリウムで働く中年男(小林薫)。はじめは家計を助けるためだったのか、夜の仕事をはじめた妻(南果歩)はもうその世界にどっぷりつかってしまい、どうやら客と浮気している気配。いら立つ夫と、そんな二人に嫌気がさして口をきかなくなった息子。

 全体を通してやりきれない陰鬱さばかりが目立つ話で、小林薫がこんな暗い役を演じ、南果歩がこんな自堕落な女を演じた記憶はちょっとないですね。そのなかで唯一明るいシーンが、昔まだ家族が幸せだった頃に近くの林で3人が夜空を見上げ、満天の星の美しさに感嘆するところ。不況下の現在(映画の中での)と精神的にも物質的にも豊かだった時代の対比として上手い演出だと思いました。なお、頻繁にプラネタリウムにやってくる子供がいるのですが、その秘密が次の第四話で明らかになるという巧いリンクがなされています。

第四話: 裂けた爪: 地元の小さいガス会社の若社長(加瀬亮)は新規に始めた浄水器販売が巧くいかずいら立つ毎日。おまけに迎えた後妻の元同級生と浮気中。それを知って苛立ち、義理の息子に当たり散らし暴力を振るう妻。

 この物語がこの映画の中では最もじっくりと丁寧に描かれています。そして加瀬亮の演技がこの映画の白眉と言ってよいでしょう。苛立ち、怒り、暴力を振るい、そして泣く。これほど感情の起伏の激しい役を演じる加瀬亮は、私にとっては初めてでした。演技が巧いのはもう織り込み済みでしたが、彼の出演作の中でも1,2を争う名演技ではないかと思います。

 そしてまたも驚くのは、彼の後妻役も函館でオーディションをした素人さんであることと、それを感じさせない見事な演技指導と演出がなされている事。熊切和嘉という監督の映画を観るのは初めてですが、相当なやり手ですね。公式HPでのコメントで

絵葉書のような風景ばかりを切り取ったいわゆる観光映画にするつもりは毛頭ありません。例えば、長年潮風に晒され錆び付いたトタン屋根とか、例えば本物の生活者の節ばった手であるとか…そんなところに「映画」は生まれるような気がします。

と、述べているように函館を舞台とし、函館の市民の方々を多く採用しながら普遍性のある市井の人々の苦悩を見事に描ききっていると思います。

第五話: 裸足: 長年路面電車の運転手を務める男は偶然、東京に出たままだった息子を見かける。息子は仕事を探すために帰ってきていたのだが、父とは折り合いが悪く、実家には帰っていなかったのだった。息子は大晦日の晩、とあるバーに引き込まれ、そこでちょっとした事件が起こる。空けた正月に墓参りに出かけてばったりと父と出会い、バスの中で短い会話を交す。

 比較的淡々とした進行の中に地方都市の現実と世代間のギャップを描き、まさに「叙景」的なエピソードです。そして父親が正月未明に運転する路面電車に第三話と第四話の夫婦が乗っており、その電車の前を第一話の兄妹が横切るという演出が憎い。

 第一話の兄がどうなったかは敢えて伏せますが、第五話の息子が再び船に乗り海炭市を去る際に眺める臥牛山(函館山)の風景は胸に沁みるものがありました。

 思わぬ長いレビューになってしまいました。個人的にはとても印象に残る良い映画だと思いましたが、客観的に見るとあくまでも地味で暗い作品であり、万人にお勧めできる映画ではありません。できれば原作を読んでいただき、興味をもたれればご覧いただきたいと思います。最後にジム・オルークという音楽家が担当した音楽が映画にマッチしてとても良かったことを申し添えて終わりたいと思います。

評価: B:秀作
((A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)