ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

コクリコ坂から

Kokuriko
 ジブリの最新作「コクリコ坂から」を観てきました。今回は企画・脚本が宮崎駿、監督が息子の宮崎吾郎となっています。以前「ゲド戦記」で自分は投げ出し、息子に初監督をやらせた挙句、落第の烙印を押しておきながら何を考えているんだろう、と思わないでもない組み合わせですが、さて出来やいかに?

『2011年 日本映画 製作:スタジオジブリ 配給:東宝

スタッフ
監督: 宮崎吾朗
脚本: 宮崎駿 / 丹羽圭子
原作: 高橋千鶴 / 佐山哲郎
プロデューサー: 鈴木敏夫
音楽: 武部聡志
主題歌: 手嶌葵

声優
長澤まさみ 岡田准一 竹下景子 石田ゆり子 風吹ジュン 内藤剛志 風間俊介 大森南朋 香川照之

ゲド戦記』以来、宮崎吾朗が約5年ぶりに演出を手掛けるファンタジックな要素を排したスタジオジブリ作品。16歳の少女と17歳の少年の愛と友情のドラマと、由緒ある建物をめぐる紛争を軸に、真っすぐに生きる高校生たちの青春をさわやかに描いていく。主人公となる少年少女の声を担当するのは、長澤まさみ岡田准一。企画・脚本は宮崎駿。さまざまな価値観が交錯する戦後の高度成長期を背景に、現代を生きることの意味を見つめていくストーリーが感動を呼ぶ。(シネマトゥデイより)』

 東京オリンピックの開催を目前に控える経済成長期の横浜を舞台として、ある高校での、明治時代に建てられた由緒ある建物の取り壊し反対運動を通して、父を朝鮮戦争で無くした海と、出生に秘密のある俊の、ほのかな交情を描くさわやかな作品でした。

 ですから良く言えばオーソドックスな佳品と言えるのですが、悪く言えばこじんまりとした凡作とも言えます。今回は家内と娘と私で観たのですが、3人が3人とも

「いまいちやな~」

という感想でした。私はスケールの小ささとジブリ特有のキャラクタのマンネリ化が気になりました。

 あとでDVDやTV放映で儲ける事まで考えているとしても、商業映画である限り興行収入は生命線です。特に夏休みはかきいれ時で各社が大作を投入してくる時期です。例えばハリポタポケモン(これのやり方もアコギだなあと思いますが)と対等に勝負しなければいけない時期に、一時は常勝だったスタジオジブリがこの作品ではなあ、という気はしますし、実際後塵を拝しているようです。

 ジブリファンでなければこの作品に共感できるのは、この映画の時期に青春を過ごした団塊の世代であり、夏休み商戦のターゲットである子どもではありません。昨日も金曜の夕方でしたが、3~4割の入りという寂しいものでした。当然ながら子どもは殆どいませんでした。

 実際団塊の世代である宮崎駿アリエッティとこの作品を映画化するのが長年の夢だったそうです。ですから彼も企画・脚本に関わっているわけで、この程度の規模の作品になるのはあえて承知の上だったと思います。となると興行収入もそれほどは望めないだろうという計算は鈴木敏夫とともにできていたはず。ある程度負け戦さでかまわないとわかっている映画なら自分が全てを背負えばいいはずですが、監督に息子を再起用するのは一体?と首をひねりますね。

 家内は俊をめぐる出生の秘密の描写に不満があったようです。確かに原作を知らない者には(殆どの人がそうだと思いますが)細かいところでやや不親切な点がありました。例えば海が掲げる旗信号の意味をテロップか何かでいれて欲しかったと思いますし、「カルチェラタン」が何なのかも最初からもう少し説明して欲しかったと思います。そう言えば海の愛称が「メル」になっています。これはフランス語のラ・メール(海)に由来するものと思いますが、その説明も無かったですね。

 また海の父が戦死した朝鮮戦争におけるLST(Landing Ship Tank:戦車揚陸艦海上輸送とはなんだったのか、普通の人はまず知らないでしょう。宮崎駿がそのことを知ってほしいと願うのであればもう少し詳しい説明が映画中で語られるべきでしょう。

 娘は海が長澤まさみにしか思えなかったと言っておりました。これも私がずっと指摘してきたことですが、ジブリが主人公の声に人気俳優を使うことの弊害であると思います。うまければ文句も出ませんが、長澤まさみはちょっと舌足らずで独特の声質を持っていてそれが声優としては、確かにミスキャストであったように思います。岡田准一は前回の「ゲド戦記」のアレンに比すれば格段に良かったと思いますが。

 まあいろいろ書いてきましたが、個人的には悪くない作品であるとは思います。手嶌葵の歌も聴けますしね。

評価: D: イマイチ
((A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)