ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

星を追う子ども

Hoshioi
 先日内田樹(たつる)の文庫本新刊「映画の構造分析 」を読んでみました。映画批評の本ではなく、映画を通じて構造主義を勉強しようという本なのですが、まあ駄文を連ねている拙ブログの映画レビューに多少でも役に立てば、というくらいのつもりでした。判定は某TV番組的に言えば「う~ん」でしたが、一点これは痛いところを突かれたな、という指摘がありました。それは

「映画は個人の創造ではなく、集団的創造の産物」である

という事です。よく「・・・の映画」と有名監督や脚本家、俳優、プロデューサーなどを取り上げ、その人だけが映画製作の主体的中心とみなす批評をしてしまいがちですが、そう言う批評のあり方は既にかなりの予断を含んでいます。それを批判したのがロラン・バルトで、「作者無き間テクスト」という概念を提唱しています。。。てな事が書いてあるわけですが、実際スタッフ・キャストの全員を紹介して彼らの映画への貢献度を説明するなんてことは到底不可能です。昨今のエンドロールの長大さをみれば気が遠くなってしまいますよね。

 では映画の全てがただ一人の作者の完全なコントロールの元に従属する作品と言うのが皆無かというとそうでも無い。例えばアニメーション映画界にそういう人が一人います。新海誠がその人で、2002年に公開した処女作『ほしのこえ』は、監督・脚本・演出・作画・美術・編集などほとんどの作業を一人で行い高い評価を得ました。
 その後も初の劇場長編作「雲の向こう、約束の場所」、以前紹介した「秒速5センチメートル」と着実に良質な作品を完全主義で作り続けています。
 というわけで随分前置きが長くなってしまいましたが、その新海誠の最新作「星を追う子ども」を観てきました。今回は痛切な青春ビルドゥングスロマンであった前作と打って変って、神話伝承に題材をとったファンタジー冒険映画となっておりました。

『2011年日本映画
原作・脚本・監督 新海誠
作画監督・キャラクターデザイン 西村貴世
美術監督 丹治匠
音楽 天門
声優: 金元寿子入野自由井上和彦

現代の青春を美麗なアニメーションで描ききった名作『秒速5センチメートル』から4年――。
デジタル・アニメーションシーンを革新した鮮烈なデビュー作『ほしのこえ』以来“心の距離”を丹念に描き続け、若者の絶大な支持を得てきた新海誠。そのもとに気鋭のスタッフが再び集結し、2010年代に描かれるべき冒険譚に挑む!』

 舞台はおそらく1960-70年台当たりの田舎町。父を亡くし仕事で留守がちの母と二人暮らしながら明るく生きる少女アスナが主人公です。
 そのアスナは山の中腹の巨岩に一人で過ごすための隠れ家を作っているのですが、ある日、その巨岩の上で父の形見の鉱石ラジオから聴こえてきた不思議な唄に心を奪われ、以後その摩訶不思議なメロディが忘れられなくなります。
 そんな彼女の前に現れる不思議な少年シュンと彼の弟シン、そして代理教師としてやってきた、なにやら不気味な教師モリサキ、彼が語るイザナギイザナミの黄泉の国の物語。

 物語後半への導入部である現実世界編はこの登場人物たちに様々な伏線を張りつつ、適度な緊張感と美しい背景作画でなかなか充実したものとなっています。特にこの山川空の自然が新海誠得意の精密で美しいタッチで描かれており、その完成度はさすがです。

 そして後半はいよいよ地下世界アガルタでの冒険譚が始まります。息を飲むような美しい星空やオーロラなどの幻想的風景は新海誠の真骨頂と言えますし、そのストーリーも良く練られていて見るものを飽きさせません。

 が、常に不思議な既視感が後半にはずっと付きまとっていました。

 一つには世に溢れているファンタジーものである事。そしてその題材が世界に古くから伝わる地下世界の伝承譚を元にしている事で、先ほど述べた構造主義で言えばまさにレヴィ=ストロースが専門にしているところでした。
 レヴィ=ストロースはお話には必ず枠組みがあると主張し、それを「構造」と呼びました。内田の本には、プロップと言う研究家が「昔話の形態学」という著書でロシアの民話を徹底的に分析したところ、人物キャラクターは最大7種類構成要素は最大31種類に過ぎないという結論を得ている、と書いてあります。例えば

「主人公がある使命をおびて旅に出る」「家族の誰かが行方不明になる」「呪具を利用して移動する」「悪者と戦う」

などです。どこかで聞いた事のあるシチュエーションばかりでしょう。
 実際、ロシア民話だけではなく古今東西の無数の民話や竜退治の冒険譚、昨今のSF・ファンタジー映画からRPGゲームに至るまで、実はプロップの調べたような有限数の物語構造を反復しているに過ぎません。簡単に言えば面白い話や映画、ゲームは必ず昔からある必勝パターンをなぞっているという事です。
 ですから、物語が面白ければ面白いほど、どこかで見たなあ聞いたなあという既視感は付きまとうのかもしれません。

 もう一点は、むしろこちらの方が少々問題かなと思うのですが、人物にせよ、異形のものにせよ、マスコット的な動物にせよ、登場キャラクタのデザインに宮崎駿的な印象が拭えないことでした。(更にはエヴァ的なものもありました。)
 宮崎駿はこういうジャンルを確立した人ですから影響は受けて当然なのかもしれませんが、彼が敢えて手塚治虫の画風の影響を排除したところから始めたように、新海誠には新海誠の新しい世界を開拓していって欲しいなと思います。

 いろいろと注文はつけましたが、標準以上のクオリティを備えたアニメーション作品であると思います。新海誠ファンはもちろん、多くのアニメファンに見ていただきたいと思います。

評価: C: 佳作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)