ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

雷桜 / 宇江佐真理

雷桜 (角川文庫)
雷桜 (角川文庫)
 先日、蒼井優岡田将生主演の映画「雷桜」のレビューで、個々の演技や各カットの美しさはともかく、ストーリー自体がとんでもないファンタジー時代劇(?)になっており、見られたもんではないという厳しい評価をしてしまいました。
 まあその思いは今でも変わらないのですが、このままのストーリーなのであれば、原作もとんでもない噴飯ものだ、と書いたのが少々気になっておりました。というのも、宇江佐真理という作家は時代物の書き手として定評がありますし、映画のパンフレットでもしっかりとした時代劇の世界観もお持ちのようだったからです。
 と言うわけで、原作小説を読んでみました。。。お見それしました。m(__)m

『運命の波に翻弄されながら愛に身を裂き、一途に生きた女性の感動の物語。

江戸から三日を要する山間の村で、生まれて間もない庄屋の一人娘、遊が雷雨の晩に何者かに掠われた。手がかりもつかめぬまま、一家は失意のうちに十数年を過ごす。その間、遊の二人の兄は逞しく育ち、遊の生存を頑なに信じている次兄の助次郎は江戸へ出、やがて五三卿清水家の中間として抱えられる。が、お使えする清水家の当主、斉道は心の病を抱え、屋敷の内外で狼藉を繰り返していた…。遊は”狼少女”として十五年ぶりに帰還するのだが―。運命の波に翻弄されながら、愛に身を裂き、凛として一途に生きた女性を描く、感動の時代劇編。解説・北上次郎 (AMAZON解説より)』

 解説の北上次郎氏も述べられていますが、美しく、胸に残る小説です。桜の花のように儚くも美しい小説であり、かつ構成のしっかりとした時代小説でした。
 まずはクライマックスシーンである主人公二人が結ばれる日の情景を頂点として、ストーリーが美しい、江戸と田舎村の情景の対比が美しい。舞台の中心となる雷桜の咲く瀬田山の風景は一幅の絵画を見るようで特に美しい。そして登場人物各々の心根の優しさ、芯の強さが美しい。
 癇病みの若い御殿様と山育ちの「おとこ姉様」のような女が、普通なら有り得ない一瞬の恋に落ち結ばれると言う核心の部分はもちろん映画と同じです。であれば荒唐無稽なファンタジーに堕するのかといえばそんなことは全く無い。練られた筋書き、隅々まで行き届いた説明、巧妙なプロットにより、説得力のある紛う方無きしっかりとした時代小説となっております。

 私が映画で強引・不可解に感じた進行や設定は、この小説を読んで、すとん、と全てが腑に落ちました。例えば、いくら何でも垢で真っ黒な山の女は殿様には臭くて近づけるはずも無かろうと思っていましたが、やはり二人の最初の出会いは山の中での突然の邂逅などではありませんでした。その随分前に山の女は既に山を降りて瀬田家に入っています。

 そしてそれは幾らなんでも有り得ない設定だろうと思われるところは小説には微塵も出て来ませんでした。例えば映画レビューでもちょっと内容に触れてしまいましたが、柄本明が演じたご用人様の犬死にの様な発作的切腹など有り得ない話で、当然ながら原作にはありませんでした。

 じゃあ何故映画脚本は原作を極端に改竄して、強引なラブストーリーにしてしまったのか?これが映画化の難しいところですね、確かに。多少の起伏はあるとは言え、原作は淡々と流れる物語で、このままで映画化すると確かに退屈だろうと思います。大体主人公の二人が初めて出会うのは物語も後半に入ってなのですから。。。

 まあ映画としての面白さ、2時間での起承転結、エピソードの意外性、そのあたりを追求すればあの様な構成にするしかなかったのか、とも思います。とは言えやはり、もう少し脚本を練り直してちゃんとした時代劇に出来なかったのか、と言う憾みは残ります。

 ま、そういう文句の一つも言いたいほど、小説は秀逸です。映画でがっかりした方は是非ご一読ください。そして映画をまだ観ておられない方は是非先にお読みください。と褒めちぎって、レビューでご無礼を申し上げてしまった罪滅ぼしとさせていただきます。