ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

レンピッカ展@兵庫県立美術館

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(イーラ・Pの肖像、1930年、油彩、個人蔵)
 今月16日から兵庫県立美術館で始まった「美しき挑発 レンピッカ展」にでかけてきました。タマラ・ド・レンピッカ(1898-1980)は1920年代のパリに彗星の如く現れ、その独特の画風と美貌で瞬く間に注目を集め、社交界を闊歩し、亡命貴族や財界人、文化人の肖像画を描きながら画家としての地位を築いていきました。
 自由奔放なライフスタイルで、私生活ではモデル達との同性愛で浮名を流したり、まだ珍しかった自動車を運転するなど、常に1920年代パリの最先端にいました。あの「狂乱の時代」に咲いた背徳の香りのする大輪の花がレンピッカだと言えましょう。
 アメリカのフィッツジェラルド夫妻がそうであったように彼女も大恐慌第二次世界大戦と続く世相に埋もれて忘れ去られていきますが、1970年代に入り再評価がなされ、マドンナがレンピッカ好きで(いかにも、な感じですね)、我々の世代なら彼女のPVでレンピッカ独特のタッチの女性像を目にしているはずです。

Photo_3  『プロのカメラマンに撮らせた、ハリウッド女優のようなポートレイト。セレブの一日を切りとったかのようなニュース映像。そこからは、自分の才能と魅力を誰よりも知り尽くし表現する、「セルフ・プロデュース」に長けた生き様が感じられます。

レンピッカの作品はまとまった点数を所蔵、展示している美術館がない上、個人所蔵家も多く、フランス、アメリカ、メキシコなど世界中に点在しています。このため、これほどの点数が一堂に集まることは極めて稀。初期から絶頂期、そして晩年に至るまで、日本でレンピッカの画業を網羅的に観ることができるまたとないチャンスです。(上記リンク先オフィシャルHPより抜粋)』

 上記の案内のように、油彩を学び始めた初期の作品から、1920年代黄金期の代表作群、そして鬱病を病みながら宗教的な要素も取り入れ始めた1930年代、抽象画にも取り組みはじめたかと思えば静物画に回帰したりと創作姿勢にブレが見られる後期作品まで、年代別にきっちりと整理された陳列で、彼女の画業のほぼ全容を知る事が出来ます。
 また彼女自身がグレタ・ガルボに間違えられた事もあるほどの美貌でしたから、彼女のポートレイトも数多く飾られていました。画家自身のポートレイトが展覧会の作品として重要な位置を占めるところがレンピッカならではと言えましょう。それだけに晩年の容貌には写真の持つ残酷さも感じましたが。。。

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(ピンクの服を着たギゼット、1926年、油彩、ナント美術館)
 さて、彼女の画風の最大の特徴は、性的な魅力や魔性を女性モデルから引き出す才能と技術にあったと思います。実際全作品を通して見てもやはり一番精彩を放っていたのは自らの娘ギゼットやレスビアン運動の創始者シュジー・ソリドールイーラ・Pマルジェリー・フェリー等の愛人を描いた女性肖像画群でした。肉感的なボディ・ラインの強調と滑らかでなまめかしい色彩で描かれる女性像は蟲惑的でセンシュアル。

 ドイツの女性誌の表紙を飾った事でも分かるように、その画風は通常の具象肖像画的ではなく、ポスター的な人工美に溢れています。しかも、参考展示されていた「ヴォーグ」誌の表紙絵のジョルジュ・ルパップの作品などに比べると、圧倒的に芸術的です。
 あの時代の形式を参考に敢えて分析すれば、キュビズム的な分割的形態把握とフォービスム的な色彩感覚を融合したような印象を受けました。それを自己流で殆ど独学でやってのけたところがレンピッカの天賦の才能なのでしょう。

 最も衝撃を受けたのは冒頭の「イーラ・Pの肖像」。対角線上に愛人の圧倒的な肉体美をキュビズム風に誇示し、その上でレンピッカがこよなく愛したカラーの花やイーラのドレスの白系統とルージュや布地の赤系統とのくっきりとした対比をフォービスム的に処理した見事な作品でした。

 本邦初公開となる「緑の服の女」と代表作「ピンクの服を着たギゼット」はともに娘ギゼットがモデル。娘をこれだけ官能的に描く事自体背徳の香りがしますが、特に「ピンクの服を着たギゼット」は片方の靴が脱げているのが暗示的で、ナボコフの「ロリータ」の表紙を飾っています。あの時代にこのような絵を描く事には、今の子供を児童ポルノ商品にする馬鹿な親に対するような批判があっても不思議ではなかったでしょう。実際レンピッカはギゼットをそれほど愛していなかったらしいという解説がありましたが、犯罪的背徳からギリギリで踏みとどまらせているのが絵の持つ芸術的価値でしょう。

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(緑の服の女、1930年、油彩、ポンピドゥーセンター蔵) 
 特に色の使い方は見事で、「緑の服の女」でのギゼットの肉体美をピタッと包みこみ乳首や臍まで大胆に見せる青みがかった緑、「ピンクの服を着たギゼット」でのピンクと称しつつ意識的に白を多用する色彩感覚が見事。

 このような圧倒的な傑作群に比べると残念ながら鬱と名声の喪失とに悩ませられた40年代以降の作品群には、「彼女ならでは」という魅力を感じさせる作品は少なく、その才能が次第に色褪せていく印象を受けました。
 実生活でも1961年に行われた回顧展も失敗に終わり、その後はメキシコに隠遁します。1972年に画商アラン・ブロンデルが催した個展が再評価のきっかけとなり、再び脚光を浴びますが、1980年にメキシコのクエルナパカで没します。

 名声の没落による散逸と再評価後のセレブの蒐集により、なかなか一堂に会する事のない稀代の美女画家の官能的作品群、関西在住の方はこの機会に是非ご覧になって「美しき挑発」の虜になってみられてはいかがでしょうか。