ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

Invisible / Paul Auster

Invisible
 過去に何度も紹介して来たアメリカの売れっ子作家ポール・オースターの最新刊「Invisible」です。と言っても実は去年発刊されたんですが、なかなかペイパーバックが手に入らないので手をこまねいているうちに遅くなってしまいました。結局Faber and Faberのハードカバーを持ち歩く羽目に(笑。

『時は1967年。20歳の青年アダム・ウォーカーは詩人志望のコロンビア大学の学生。彼はあるパーティーでパリから来た客員教授ルドルフ・ボーンと彼の恋人マルゴットと出会う。ボーン教授は雄弁ながら少し謎めいたところがあり、マルゴットは物静かでありながら魅惑的なところがある女性だった。どういうわけかアダムボーン教授に気にいられ、詩の雑誌の編集者にならないかと持ちかけられる。彼のオファーした出資金の大きさ、そしてマルゴットに惹かれた事もあり、彼は喜んでそれを引き受けるが、ボーン教授の二重の三角関係の渦中に巧妙に引きずりこまれてしまう。そしてある日ボーン教授と二人でニューヨークの町をあるいている時に惨劇は起こる。。。』 

 これが第一章の概略で、実はこの第一章は死ぬ間際のアダムが大学時代の友人ジムの元へ送り届けた「1967」という小説原稿の第一章「Spring」である事が第二章冒頭で明らかにされます。オースターの十八番、小説中小説です。
 「1967」と言えば村上春樹の「1Q84」と題名がちょっと似ていますね。そう言えば「1Q84」も三人の語り手がおり、ふかえりの書いた小説中小説「空気さなぎ」が核となっていましたが、こういう構成は元々オースターが得意としているところであり、本作も当然ながら「1Q84」ほど直線的で単純な構造ではなく、巧妙で重層的になっています。全部で四章ありますが、目まぐるしく語り手と舞台、年代が変化していきます。

 「1967」という小説は「Spring」「Summer」は完成していましたがアダムの死により、そこから先は完成を見る事はありませんでした。ただ構想を箇条書きにしただけの状態の第三章「Fall」は運良くジムの手に渡り、それをジムがある程度体裁を整える、という形をとって提示されます。

 「Winter」は当然全く影も形もありませんが、この小説がほぼ事実に沿って描かれていると確信したジムはどうしても謎の真実を知りたく、登場人物でまだ存命の人物を探し、パリでその一人と接触する事に成功します。その人物の「Red Notebook」に記された日記のコピーを手に入れます。そこに記載されていたのはリタイアしてカリブ海の孤島の高台で隠遁生活を送るルドルフ・ボーンが語る驚愕の真実でした。。。

 どこまで読んでいただく皆さんの興味を引けたか、心もとないところですが、面白そうなミステリー小説だな、と思っていただければ幸いです。

 とここで終わってしまえば、オースターの小説ではありません(笑。普通のミステリー小説と違って展開は不条理であり、登場人物には何らかの心の傷や自己嫌悪、暴力性が内在し、セックスは禁断的であり、希望よりは絶望の方が最後には勝利し、英語とフランス語を駆使した衒学的な会話があり、そして最後には読者をつき離すようなエンディングが用意されている。

 昔はポストモダンという表現ですんでいたんでしょうが、21世紀も10年が過ぎ、オースターを苦しめ続けた9・11からも数年が経ち、この小説の内容・形態をどう評価して良いのか、そろそろ難しい局面にきていると思います。
 と、こういう奥歯に物が挟まったような言い方をするのは何故かと自問するに、結局今回は今一つ満足度が高くないからです。

 もう一度初心に帰って自らの青春時代であった1960年台の正義感や愛の葛藤を描きたかった、そして冷戦時代とイラク戦争後の世界秩序を比較してみたかったという意図は悪くないと思うけれどもやや古臭い。
 上述したように構成や文章は相変わらず他の追随を許さぬ見事なものであるにもかかわらず、贅沢なファンはそこにマンネリズムを見てしまう。
 ストーリーテリングの見事さが頂点を極めた感のあった「The Book of Illusions」のような醍醐味にはやや乏しいし、イラク戦争や9.11による心の痛手から書き上げられた「The Brooklyn Follies」「Man In The Dark」のような衝撃にも乏しい。。。

 そして今回一番理解に苦しんだのは

「何がInvisibleなのか?」

という謎です。一応それらしき文章は第四章の途中で一度出てきます。アダムの原稿を全て読み終わったジムが帰りの飛行機の中で、アダムが禁断の愛を捧げ、ジムが恋をしていたグインという姉のことを回想している時の

「An invisible America lay silent in the darkness beneath me.」

という一文です。色々な解釈が可能ではあると思いますが、書き手と読み手の間に今回は温度差のようなものを感じざるを得ませんでした。

 そんなファンに付き合いを強いられるオースターも気の毒ですが、今回はどうもジャズの「手癖」を聴かされている気がした一冊でした。もちろん初めてオースターを読まれる方、英文に初めてチャレンジして見ようと思われる方にはとても面白い本だと思いますので、是非トライしてみてください。