ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

Homage To Marc Bolan and T.REX(2) History of the 20th Century Boy

Marc_bolan_plaque_2
マーク・ボランの生家)
はむちぃ: さて、40万ヒット記念企画、T-Bolanの第二回でございます。
ゆうけい: じれったい~、おまえの愛が~、うざったい~♪、ってわしは森友嵐士かい(怒。
は: そんなええもんですか(;一_一)、とは言え失礼をばいたしました、T.REXの故Marc Bolan様に捧げる企画第二回目はマーク様の音楽人生を振り返りつつ、T.REXの虚像と実像に迫っていきたいと思います。

ゆ: 1970年のこんにっちわ~、とか日本が万博と高度成長で浮かれていた時代、イギリスでは「ティラノザウルス・レックス」というアコースティック・デュオをやっていたマーク・ボランという地味でカルト的なミュージシャンがパートナーをティーブ・トゥックからミッキー・フィンに替え、突如として路線変更し、アコギをエレキギターに持ちかえ、薄化粧を施してきらびやかな衣装をまとい、ロックとブギーを融合した独特のスタイルで一世を風靡しつつありました。グラム・ロック(glam or glamolous rock)の華麗なる幕開けでした。
は: その人気は日本にもすぐ飛び火してそれはビートルズ以来と言っていい熱狂を巻き起こします。厨房だったご主人様もその例外ではございませんでした。プログレ命とか言いながら、、、
ゆ: これこれはむちぃ君、余計な事はイワノビッチ。まあ、そうなんだけどね、その後長く聴きこむ事になるデビッド・ボウイにしてもロキシー・ミュージックにしてもこのムーブメントからのし上がっていったアーチストですし。後年も活躍するこれらのアーチストに比べてT.REXは瞬間最大風速が凄かった分あっという間に飽きられて短命だったせいか、今一つ実像が分かりにくいグループであった事も事実です。そこで、はむちぃ君、まずはマーク・ボラン生存中どの時期にどの程度の数のオリジナルシングルとアルバムを発表したのか調べてくれたまえ。
は: かしこまりました。ほぼ確実な数字としては下記の通りでございます。

1: as Marc Bolan: 3 singles (1965-1966) , Decca  manager/producer; Simon Napier-Bell

2: as John's Children: 3 singles (1967), Decca   manager/producer; Simon Napier-Bell

3: as Tyrannosaurus Rex:  5 singles, 4 Studio albums (1968-1970), Regal Zonophones, manager/producer; Toni Visconti

4: as T.Rex: 22 singles,  8 studio albums, 5 compilation albums (1970-1977),  Fly, EMI, Mercury, EDSEL,  manager/producer; Toni Visconti, Marc Bolan

Beginningofdoves ゆ: Marc BolanT.REXと言うのが世間一般の常識だと思います。そしてちょっと詳しい方なら、前身となるTyrannosaurus Rexもご存知でしょう。そしてその当初から手がけて彼をスターダムにのし上げたのがToni Viscontiである事も。
は: ところが、それ以前にも彼の活動歴はございまして、6枚のシングルを出しているんですね。
ゆ: そうなんですね、その時期の楽曲は「The Beginning of Doves」「You Scare Me to Death」などのアルバムに垣間見る事ができ、それはそれで貴重ではあるんですが、これがまあ、マークに無断だわ、勝手なオーバーダブしまくりだわの顰蹙モノのコンピレーションでして、
は: 特に前者はT.REX人気に便乗しようとしたものの一旦マーク・ボラン様に差し止められた経緯もございました。

Simon (Simon Napier-Bell)
ゆ: その厄介なアルバムのプロデューサーが無名時代のマネージャーだったサイモン・ネピア=ベル。今でこそ、T.REXデビッド・ボウイでのし上がったトニ・ヴィスコンティの名前の方がはるかに有名ですが、当時はサイモンの方がはるかに大物で、若き日のマーク・ボランにしても、実は彼の方から押しかけていったんです。
は: 当時ではヤードバーズのマネージャーをしておられましたし、後年Japanクイーンワムなどを手がけられておりますね。マーク様と契約した経緯に関しては、当時内輪喧嘩ばかりしているヤードバーズにいい加減飽き飽きしているところに、押しかけてきた彼の才能に驚いてすぐに契約したそうでございます。
ゆ: 彼が手がけたアーチストから何となく匂ってくると思いますが、実際は「才能に」と言うよりは「容貌と体」に惚れ込んだんじゃないかと言われてますね。マーク・ボランが男娼のような生活を送っていた時期は確かにありますし、サイモンとマークの肉体関係はほぼ間違いないようです。
は: もちろん彼の売出しには色々と頑張られたようでございますが、結局はブレークする事なく終わってしまいます。
ゆ: 去ったら去ったでそのままにしておけばいいものをね、まあマークの無名時代の音楽を聴けるという功績とアコギな商売をしたというマイナス面と功罪相半ばすると言ったところですかね。
は: 随分サイモン様には厳しゅうございますね。
ゆ: 「Scare Me To Death」をT.REX時代の未発表音源と信じ喜び勇んで買ってしまった者の恨みと申し上げておきましょう(笑。ちなみに邦題は「霊魂の叫び」(をいをい、前回申し上げたいい加減な対談もこのアルバムに載っておりました(-_-;)。

Tonivisconti(Toni Visconti)
は: さて、いよいよトニ・ヴィスコンティ様と組んでの快進撃を開始した時代に移りましょう。ティラノザウルス・レックス時代はCSルイスやトールキンの影響を受けた衒学的・神秘的な詩をアコースティック・ギターとパーカッションのみのシンプルなアレンジで歌う、後年のグラム・ロックとは随分印象の異なるグループでしたね。パートナーのティーブ・ベレグリン・トゥックの名前も「指輪物語」から取られたそうですし、デビューアルバムはナルニア国の王アスランに捧げるとクレジットされておりました。
ゆ: 当時アート・ロックとか呼ばれてましたね。
は: ピンク・フロイドクリームジミ・ヘンドリックスなどの流れでございますね。
ゆ: アート・ロックから始めて後年完全にイメチェンしてブレークしたと言う点ではディープ・パープルと似ている印象がありますね。でも実を言うと、マーク・ボランスティーブ・ハウが所属していたTOMORROWのようなエレクトリック・バンドをやりたかったようで、決してアコースティック志向ではなかったんですね。要するに

金が無かった

実際はむちぃ君が紹介したデビューアルバムはドル換算で100ドルで作り上げたといわれておりますな。ちなみに嘘か真か彼はギターをエリック・クラプトンから習ったと公言しておりましたし、実際結構上手いんですよね。

Marcandmic2 (Mickey Finn and Marc Bolan)
は: さて、ブレークする契機はティーブ・トゥック麻薬中毒で離脱し、ミッキー・フィンが替わりに加入した1970年に訪れました。4枚目のアルバムを最後にT.REXと改名し、その後ティーブ・カーリー(b)、ビル・レジェンド(ds)を加えてエレクトリック・ロック路線に変更し快進撃が始まりました。
ゆ: T.REXとしてのファーストアルバムのジャケットのマーク、ミッキーの薄化粧は今では可愛いもんですが、ビートルズの長髪以来と言える物議を醸し世間を驚かせました。グラム・ロックの幕開けです。では、はむちぃ君、この2時代のアルバムを紹介してください。
は: はい、かしこまりました。

  Albums(太文字はオリジナル・アルバム、数字は英国チャート最高位)

Tyrannosaurus Rex
1968: My People Were Fair And Had Sky In Their Hair,
        But Now They're Content To Wear Stars On Their Brows
         
(ティラノザウルス・レックス登場!!) (#15)
        Prophets, Seers And Sages, The Angels Of The Ages(神秘の覇者)
1969: Unicornユニコーン) (#12)
1970: A Beard Of Stars(ベアード・オブ・スターズ) (#11)

T.Rex
1970:  T.RexT.Rex) (#13)
1971:  The Best Of T.Rex (#21)
         Electric Warrior (電気の武者) (#1)
1972:  Bolan Boogie (ボラン・ブギー) (#1)
         The Slider (ザ・スライダー) (#4)
         Great Hits ( グレイト・ヒッツ) (#32)
1973:  Tanx (タンクス) (#4)
1974:  Zinc Alloy And The Hidden Riders Of Tomorrow
         
Or A Creamed Cage In August
              (ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー ) (#12)
         Marc - The Words and Music 0947-1977
         Marc Bolan - The Beginning Of Doves
         Light Of Love
1975:  Bolan's Zip Gun (ブギーのアイドル ) ( - )
1976:  Futuristic Dragon (銀河系よりの使者) (#50)
         Get It On
1977:  Dandy In The Underworld (地下世界のダンディ) (#26)

Electricworrier(Electric Warrior)
は: あれほどの熱狂の渦中にいながら、オリジナルアルバムとしては「電気の武者」一枚しか英国でも一位は取れず、もちろん米国では1位を取る事はありませんでした。
ゆ: ところが記憶に今も鮮明なんですが、実際は「The Slider」の発表直前の盛り上がりは凄くて、殆ど狂騒状態だったんですよ、あの頃がピークじゃないかと思うくらい。その鳴り物入りで発表されたスライダーがトップに登り詰められなかったのは、皮肉な事にコンピレーションである「Bolan Boogie(ボラン・ブギー)」が売れすぎたあおりを喰らってしまったからなんですよ。
は: このアルバムは契約が切れたFLYレーベルがマークの抵抗を押し切って発売した、まさに粗製濫造を絵に描いたような出来損ない盤ですよね、これが何故それほど売れてしまったんでしょう?
ゆ: そこなんだよ、はむちぃ君、前回T.REXはアルバムでは語れないと言ったのは。じゃあ逆に訊くけどT.REXをスターダムにのし上げグラム・ブームの火付け役になった

Ride A White Swan」「Hot Love

はどのオリジナルアルバムに入ってる?
は: えーっと、そう言われれば入っておりませんね!まさしくコンピレーションであるこの「ボラン・ブギー」が最初でございます!
ゆ: グラムはハード・ロックプログレが小難しくなりすぎた反動として起こった面もあって、単純に楽しめてアイドル性もあるバンドがシングル・ヒットを連発する事が生命線だったんだ。極端な話、松田聖子を語る時、シングルヒットのオリコンチャート連続第一位を何曲連続で達成したかが評価対象になるんであって、決してアルバムセールスではないでしょう。
は: なるほど、シングル盤の動向こそが時代を代表するアイドル・スターの盛衰を反映しているわけでございますね、では早速調べてみましょう。

Singles(数字は英国チャート最高位)

Tyrannosaurus Rex
1968:  Debora (#34)
         One Inch Rock (#28)
1969:  Pewter Suitor
         King Of  The Rumbling Spires (#44)
1970:  By The Light Of The Magical Moon
         
T.Rex
1970:  Ride A White Swan (#2)
1971:  Hot Love (#1)   
         Get It On (#1)
         Jeepster  (#2)
1972:  Telegram Sam (#1)
         Metal Guru (#1)
         The Children Of The Revolution (#2)
         Solid Gold Easy Action(#2)
1973:  Twentieth Century Boy (#3)
         The Groover (#4)
         Truck On(Tyke) (#12)
1974:  Teenage Dream (#13)
         Light Of Love (#12)
         Zip Gun Boogie (#41)
1975:  New York City (#15)
         Dreamy Baby (#30)
         Christmas Bop
1976:  London Boys (#40)
         I Love To Boogie (#13)
         Laser Love (#41)
1977:  The Soul Of My Suit (#42)
         Dandy In The Underworld
         To Know Is To Love Him
         Celebrate Summer

は: なるほど、T.REXに名前が変わってから突如売れ始め1970-73年にかけて10曲連続でベスト5以内に送り込み、うち

Hot Love」「Get It On」「Telegram Sam」「Metal Guru

の4曲が立て続けに第1位に輝いております。ご主人様がおっしゃるように後者2曲は「The Slider」時代の曲ですよね。
ゆ: この方がよほどT.REXの盛衰が分かるでしょ。「Ride A White Swan」は長い期間かけて2位まで登ってきたものでグラムの時代の到来を予感させるのに対して、
は: 「The Groover」が4位というのは順位としては悪くないように見えても、確実にブームが去ってしまう兆候であったんですね。
ゆ: 中後期ビートルズ以降ハード・ロックプログレッシブ・ロックがアルバム主体となってしまっていたという時代背景もあるし、同じグラムからでてきたデビッド・ボウイロキシー・ミュージックが後年成長してアルバム・アーチストになっていったものだからついついT.REXもアルバム主体に考えがちになるんだけど、マーク・ボランはあくまでも時代のアイコンとしてのアイドルであってシングル・ヒット・メイカーだったんだよね。
は: それが逆にマーク様ご自身の首を絞める事にもなるわけですね。
ゆ: そうですね、「The Slider」がなまじ良く出来たアルバムだった為自己過信してしまったのか、勘違いしてアルバム志向に走ってしまったきらいはありますね。
は: 当時日本で最新設備を誇っていた東芝EMIスタジオで録音され、ファンへの感謝の「Thanks」の意味をこめた「Tanx」あたりはまだそれほど悪くないと思うんですが、
ゆ: トータルアルバムを作ろうとして明らかにボウイの「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars」の猿真似をしてしまった

Zinc Alloy And The Hidden Riders Of Tomorrow Or A Creamed Cage In August (ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー )」

なんて駄作を作ってしまったのは rock'n'roll poet を自称していた自身の才能の限界を露呈してしまった感がありますね。
は: 朝焼けの仮面ライダーなんて邦題もひどいですね。
ゆ: まあマークが日本滞在中にTVで仮面ライダーを見て思いついたアルバムだから、これにはあまり文句もつけられないんだけどね(苦笑。

は: その頃からエゴイストの面がひどくなりドラッグに溺れるようになり、黄金時代を一緒に築き上げたミッキー・フィントニ・ヴィスコンティも離れていってしまうわけですが、
ゆ: これは明らかに痛手でしたね、「Bolan's Zip Gun」なんてチャート入りすら出来ずに終わってますからね。曲自体は決して悪くないんですけどね。

は: この頃からアメリカツアーで知り合って愛人となるグロリア・ジョーンズ、ミッキー・フィンに替わって音楽的パートナーとなるディノ・ダウンズの影響が強くなり、ブラック・ミュージックの影響が色濃く出始めておりますね。
ゆ: 「Futuristic Dragon(銀河系よりの使者)」なんか結構ブラック色が濃いよね、シングルカットされた「New York City」が14位まで登っていてやや復活の気配が感じられましたけど、アルバム自体は50位が最高だったんですか。

は: この不調を一新するためマーク様は再起を賭して1977年新生Marc Bolan & T.Rexを結成、新作「Dandy In The Underworld(地下世界のダンディ)」を完成させてプロモーション・ツアーも行われました。
ゆ: 前回お話したように勃興しつつあったパンク・ムーブメントをサポートしていた彼はこのツアーのサポートにダムドを起用していますね、
は: 更に8月にはグラナダTV制作による番組「MARC」が始まり、パンク・バンドを積極的に紹介し応援しています。
ゆ: これも因縁でしょうか。そのゲストの最後はデビッド・ボウイだったんですよね。この映像は今でもDVDで観る事ができます。
は: ところが事態は一転、突然の訃報に全世界のロック・ファンが衝撃と悲しみに包まれます。

1977年9月16日リッチモンドの自宅へ向う途中、愛人グロリア・ジョーンズの運転するミニ・クーパーが街路樹に激突。助手席に居たマーク・ボランは衝突の衝撃で後部座席に飛ばされ、死亡。

ゆ: 再起をかけての活動が軌道に乗り始めていただけに、彼にとっては無念だったでしょう。でももっと気の毒だったのは事故を起こしたグロリアでしょうね。直後より強烈なバッシングに晒された彼女は追われる様にイギリスを去り、つい最近までこの地を踏む事はできなかったそうです。
は: そのグロリア様との親密ぶりが今回紹介する「The Final Cuts」には溢れております。
ゆ: そういう意味でも息子ロランには嬉しいサプライズだったでしょうね。

Greathits は: 皆様長文のお付き合い、まことにご苦労様でございました。時代のアイコン、グラム・ロック最高のスター、マーク・ボラン様の実像が少しでも伝わりましたら幸いでございます。ではご主人様、最後に一言どうぞ。
ゆ: 20th Century Boyが最近浦沢直樹の「20世紀少年」ですっかり有名になってしまいましたが、今回の記事で'boy'に男娼のニュアンスが含まれている事をご理解いただけると思います。そんなカッコ良くてちょっと物悲しいスマッシュ・ヒットが入っているのもまたオリジナル・アルバムでは無く、「グレイト・ヒッツ」が最初だったんです。
は: シングル・ヒット・メーカーにとってはこういうベスト物が最高傑作となりうるんですよね、
ゆ: ちゃんとトニ・ヴィスコンティがプロデュースしていますし、T.REXの最高傑作に挙げる評論家もいるんですよ。好きだった虎に乗ってマークもご満悦そうですしね。とにもかくにも彼らの絶頂の瞬間を封じ込んだこのアルバムは、厨房だった私が有り金はたいて買ったこともあり(笑、私にとっての宝物です。

は: では皆様、あと一回よろしくお付き合いくださいませ。

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