ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

高村薫・藤原健 作家と新聞記者の対話

高村薫・藤原健 作家と新聞記者の対話
 いきなりで恐縮だが、高村薫は「言葉」を駆使する達人である、と思う。それは小説だけにとどまらず広くエッセイ、時評にも及ぶ。普段新聞を読まれている方ならば一度くらいは彼女の時評を目にされた経験がおありだろう。各新聞社からの信頼も厚く、大きな事件があった時には必ずと言っていい程彼女の意見がどこかの新聞に載る。どんな自称専門家の意見より、不偏不党の「一物書き」 としての視点から事件全体を俯瞰しその本質を暴き出す彼女の分析は鋭く、ほぼ正鵠を外さない。

 そのような文章をまとめた本としては過去に「作家的時評集2000-2007 (朝日文庫)」が出ており、ミレニアムに浮かれた2000年から、政治をショー化し言葉や言動を軽んじた小泉政権時代、国民の信も得ずに成立したにもかかわらず憲法改正に手をつけ果ては無責任に辞任した安部政権時代と、日本が構造改革の名の元に壊れていった時代を鋭く描写している。殆どが新聞や雑誌に載ったエッセイであるが、だからと言って彼女は決して平易な文章を書かない。「言葉」と「教養」が衰えている現状を嘆き、敢えて彼女は言葉と格闘し、そこから見えてくる世相の軽薄さ、政治の無策、政治家の言葉の嘘と責任感の不在を嘆く。その真髄は今読んでも全く古さを感じさせないところにある。彼女がこの本で指摘している日本の構造的問題に対する批判は今の時代でも十分通用するし、むしろ今こそこの本を読み直して見るべき時ではないかとさえ思わせる。彼女の言葉使いの正確さ、教養の深さ、そしてその視点にブレがないことが最大の要因であろうと思われる。
 とはいえ、この本が出てから3年が経過した今、彼女が予想していなかった民主党政権が誕生した。となると、小選挙区制の怖さをまざまざと見せつけられた彼女の意見を聞きたくなるのは当然であろう。既に何点か、彼女の時評は目にしてはいるが、まとまった本としてはこの対談集が初めての出版となる。「高村薫・藤原健 作家と新聞記者の対話」である。

『劇的な政権交代を遂げた日本が、イバラの道を乗り越え新しい幸せの形を手にするには、何が必要か。多ジャンルわたるスリリングな対話。(AMAZON解説より)』

 個人的に最も残念な事はこれが対談集であり、彼女自身の文章ではない事である。さすがに語りでの彼女の言葉は今一つ迫力に欠けるし、某市長との3名での対談はやや生ぬるい。彼女の「文章の力」を再認識させられる皮肉な結果となってしまっている。
 もう一つ残念な事は、私がまだ毎日新聞をとっていた頃毎月1回掲載されていた連載「高村薫さんと考える」を下敷きとしており、大半を知っていた事である。
 それでもやはり、連載終了後の自民党政権末期を論じた「『崩壊』前夜に-私たちの政治、暮らし、言葉の現在」と、民主党政権の今後を展望した「民主党政権の時代へ」が入っている事で満足しなくてはなるまい。

 民主党に変わっても国会周辺ではあいも変わらず政治家とカネの問題ばかり取り沙汰されていて代わり映えしないように見える。そのような状況下で、今本当に真剣に考えなければならない問題は何であるのか、日本はどう舵を取るべきなのか、その羅針盤高村薫である、と私は考える。そして、特に若い方には彼女の書く事語る事をとりあえず一通りは理解できるだけの言葉の知識と教養を持って欲しい。そうでないと日本の未来は暗い。その意味でも今回紹介した2冊は是非とも読んでいただきたいと思う。

 と、いつもとちょっと変わった雰囲気でレビューしてみました、高村薫中毒でしょうか(苦笑。