ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

だまし絵展@兵庫県立美術館

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 兵庫県立美術館で開催されている「だまし絵展」に出かけてきました。いつもとは一風変わった作品群を楽しんできました。

Photo_2 だまし絵の代表的画家と言えば、以前ハウステンボス紀行で紹介したエッシャーマグリットダリあたりがすぐ思い浮かぶと思います。しかし今回の展覧会の「だまし絵 Visual Deception」の範疇はもう少し広くて、見る者の目をあざむくような仕掛けをもった作品の系譜が、16世紀の画家アルチンボルドを嚆矢として時代順に紹介されています。
 ジュゼッペ・アルチンボルドの代表作は冒頭写真の「ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)」や「水の寓意」が有名です。その一見奇妙な肖像画は、果実や魚のモチーフが別のものにも見えるダブルイメージの古典的名作です。書籍では何回か見たことはありましたが実物は初めてでした。実物はなかなか見応えがありますし、当時の人々が驚いて絶賛したのも良く分かります。(ただ、「水の寓意」の方は本人ではなく彼の工房の弟子たちが仕上げたようです)

Photo_3  そのほかの手法としてはエアハルト・シェーン木版画(リンク先にあります)のように、ある視点から斜めに見ると正しい絵柄が浮かび上がる「アナモルフォーズ」、そして、その後長らくは今で言うスーパーリアリズム、つまり迫真的な描写によって絵を現実と見誤らせる「トロンプルイユ」手法がだまし絵の主流となります。画家が鑑賞者の視覚に挑む知的な遊戯としてバロック時代のヨーロッパ、さらには19世紀のアメリカで大いに流行たようで、展覧会の前半の作品は殆どがこのタイプの絵に終始していました。まあ面白いと言えば面白いけれども、21世紀の現在ではそれ以上の何かを感じる事もありません。

Photo_4  一方、日本美術においても、画面の枠をはみ出すかのような「描表装(かきびょうそう)」や、歌川国芳らのユーモラスな浮世絵など、視覚のトリックを巧みに操った作品が数多く生み出されました。
 歌川国芳の「みかけはこはゐがとんだいいひとだ」と言う作品(リンク先にあります)は裸の男たちを組み合わせて顔を作った、マルチンボルドのダブルイメージ手法に通ずる面白い作品です。「この作品を実際に作ってみたい」という探偵ナイトスクープのネタを覚えておられる方はおられるでしょうか?探偵になったばかりの石田靖が奮闘した傑作でした(笑。

 とまあ、一応真面目に紹介してきましたが、やはりだまし絵が芸術的鑑賞に耐えるジャンルとなるのは20世紀以降、マグリットダリエッシャーといった巨匠たちの登場を待たなければなりませんでした。展覧会は6部構成になっていましたが、彼ら3人の展示はようやく第5部になってから。随分引っ張られました(笑。しかも3人合わせて18作品と言う展示数はなんとも寂しい。しかもダリ、エッシャーは実物は初めてのものが多いとはいえ、見慣れた作品ばかり。

 と言うわけでマグリットが無ければとても満足できませんでした。彼の「囚われの美女」「前兆」「夢」「望遠鏡」「落日」 「白紙委任状」の6作はなかなか見応えがありました。特に「白紙委任」(リンク先にあります)はあまりにも有名ですが、実物は一見の価値があります。

 この3人の活躍やシュールレアリスム、抽象画の発展、そして写真と言う究極のリアリズムの登場により、20世紀以降は更に多様な「だまし絵」を産み出されますが、それが最後のセクションを飾っていました。さすがに19世紀までのトロンブルイユとはレベルの違う作品が多数あり、見応えがありました。

 シュールレアリスト、マン・レイの「だまし卵」(フランス語でトロンブルイユとのシャレになっています)は便器の中の陶器の白の部分が卵になっているという茶目っ気たっぷりのしゃれた作品です。また、チャック・ローズの「ジョー」と言う巨大な作品は、一見白黒写真を引き伸ばした巨大な顔写真なのですが、実は全て手書きのアクリル・キャンパス画という究極のスーパーリアリズム作品でした。日本人では高松次郎の「影A」(リンク先にあります)の如何にも日本人らしい繊細で幽玄な感じが印象に残りました。

 まあ、あまり力まずに気軽に楽しめば、面白い展覧会だと思います。小学生の子供さんがおられる方は一緒に楽しんでもいいと思います。11月3日まで開催されていますので是非どうぞ。