ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

1Q84雑感

1Q84(1)1Q84(2)
 村上春樹の新刊「1Q84」を読了しました。先日の記事で「三人称の小説」「暴力が一つのテーマとなる」のは間違いないと書きましたが、とりあえずその通りでした。まだ読了しておられない方が多い段階だと思いますので、ストーリーや登場人物は伏せてとりあえずの雑感を書いておきたいと思います。その前に一応の採点をしておきます。

採点(十点満点、☆2点、★1点)

総合点: ☆☆☆☆

技術点: ☆☆☆☆★
構成点: ☆☆☆★
内容 : ☆☆☆★

 総合点8点と言うのは

村上春樹作品としてまずまず満足しました」

と言うレベルだと考えていただければと思います。私の中では「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が10点、「ねじまき鳥クロニクル」が7点、「海辺のカフカ」が9点程度だと思ってください。(それ以前の作品とは比較が大変難しくなってしまっています。)

 技術的には文章の上手さ、人物描写の上手さ(料理、服装等も含めて)、比喩、暗喩の芸術的な手際等々、ほとんど文句の付けようがありません。ただ、新たな進歩が無いというか、完成された春樹文体の中で全てを語っていると言う点では若干のマンネリ感は否めません。

 構成的な事を細かく語るとネタバレになってしまうので、一言だけ言うと、三人称の文体でABABAB,,,,の構成はあまり好きではない。春樹氏はこの線を継続するつもりだと思いますが。

 内容についてはおそらく今、ネット上のいろいろな場所で熱い論議がかわされていることと思います。私は未だ見ていませんが、おそらくカルト教団の教祖の扱いについて賛否両論が渦巻いているのではないかと思います。私は否をとりますが、さりとて、逆の扱いをすればどんなストーリーになったのか、落とし所があるのか、難しいところです。春樹氏の見解を聞きたいところですが、おそらく

「説明しなければ分からないものは、いくら説明しても分からない」

とはぐらかされてしまうでしょう。ただ一言言わせていただくならば、あの当時「アンダーグラウンド」「約束された場所で」の二冊のノンフィクションしか書かなかった春樹氏が14年の歳月を経て真っ向正面から長編大作フィクションとしてこれを書いた以上、

「そういう幻想を持っているのか」

と批判されても、それは仕方の無い事と甘んじて受け入れるべきだろうと思います。イスラエル賞を受け入れた時と同じように。

 以下雑感です。内容がある程度推測できてしまいますので、読みはじめるまで何も予備知識を持ちたく無いという方はご遠慮ください。

1: 男女二人のプラトニック・ラブの物語が、溢れかえるほどの性と暴力に修飾されているアイロニー

2: 彼は「留保の無い~」という形容をよくしますが、彼のセックス描写は村上龍の直截的な描写に比べると留保が多い。だからといってポルノ小説でないとは言えないけれど。

3: 本作は所謂パラレルワールドものの範疇に入る「留保の無い」SF小説だと思うのだけれど、春樹氏は後半にそれを留保している。

3: パラレルワールドの設定は、Paul Austerの「A Man In The Dark」に通じるところがある。

4: 疑いようも無く真っ向から実在の団体、宗教を取り上げている。オウム真理教連合赤軍ヤマギシエホバの証人等々。2冊のノンフィクションを書いた時に

「彼ならあの事件をネタにいくらでも小説が書けるはずだろうにそんなに楽して金儲けがしたいのか」

と言う批判を読んだ事がある。それに対する説明はいろいろな機会にされていたが、とりあえずこれが最終解答(Q.E.D.)なのだろう。本作までに14年の歳月が何故必要だったのか、分かるような気もすれば、ただ危なくない時期を選んだだけという気もする。

5: 文壇を真っ向から批判している、エッセーなどではそれとなく語っていたが、おそらくフィクションの中でこれだけ書くのは初めてでは?また、主要登場人物の編集者は安原顯を思い起こさせる。

6: ディスレクシアサヴァン症候群などが取り上げられているのも時代の流れか、それとも某心理学者の影響か。ディスレクシアは欧米圏の表音文字に関して語られる事の多い障害で、日本語にそのまま当てはめるのは無理があるような気がする。サヴァンの子の描写はTVドラマ「相棒」の某回を思い起こさせる。氏がそれを見ているかどうかはまあ誰にも分からない。

7: insane, lunaticの違いは春樹氏が言うのだから間違いないのだろうけれど、あれでいいのかな?go insaneという表現もあるけれど。まあそれはそれとして、今回は英語の扱いがいやにぞんざいだ。いくらなんでも「マザ」「ドウタ」はないだろう。

8: ジョージ・オーウェルの「1984」はやはりキーの一つだったが、阿Q正伝は関係なかった。氏がアジアに傾倒していると言う意見は発行前に多く見られたが、今回はゼロではないが影を潜めた。それだけ日本の病根にこだわりたかったということか。

9: ストーリーに関係無い範囲で気に入った文章を一つあげると、

「人類が火や道具や言語を手に入れる前から、月は変わることなく人々の味方だった。それは天与の灯火として暗黒の世界をときに明るく照らし、人々の恐怖を和らげてくれた。その満ち欠けは時間の観念を人々に与えてくれた。月のそのような無償の慈悲に対する感謝の念は、大方の場所から闇が放逐されてしまった現在でも、人類の遺伝子に強く刷り込まれているようだった。集合的な暖かい記憶として。」

10: 主人公の女性には今一つ共感できなかったけれど、読了してみると結構後に尾をひきそうな予感がする。じわじわと。じわじわと。