ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

グラン・トリノ

Grantrino
はむちぃ: みなさま、こん**は、GWいかがお過ごしでしょうか、今日のレビューは、GWに是非ご覧いただきたい洋画「グラン・トリノ」でございます。監督・主演のクリント・イーストウッド様は先日わが国の春の叙勲に叙せられ、話題になりました。
ゆうけい: 彼自身が叙勲をどう考えているのかは知りませんが、丁度この映画のプロモのため来日していた息子さんのカイル・イーストウッド(ベーシストで音楽担当)がとても喜んでいましたね。おそらく硫黄島二部作がいたく選者の琴線に触れたのだと思いますが、まあ最終肩書きだけでタナボタで降ってくる叙勲とは違って、彼には十分受けるだけの資格があると思います。

は: そしてこの映画も傑作の誉れが高いですね。これも秀逸な前作「チェンジリング」から殆ど間をおかず作られたとは思え無いほどの完成度には、はむちぃメ、驚きを隠せませんでした。
ゆ: 全くね、元々俳優出身だけあって殆ど全てをワン・テイクで撮ってしまうし、息のあったイーストウッド組を全面的に信頼しているから、あっという間に撮影は進んでしまうらしいけど、それにしても呆れるほどいとも簡単に傑作を作っちゃいますね。
は: 今回は新人脚本家ニック・シェンク様の持ちこみ脚本をいたく気に入って自ら主演・監督を買って出たとのことですね。
ゆ: これをやるのは自分しかいない、と一読して思ったそうです。彼は新人を世に出すことを自分の使命と感じていますし、その点でも素晴らしい監督ですね。彼を巨匠と呼ぶのはもう誰も否定しないと思うけど、それにしてもこれが79歳の監督が79歳の俳優を主人公にして撮った映画とは信じ難いねえ。

は: はむちぃメ、パンフレットを読ませていただきましたが、このお年でこのような傑作の監督・主演をするのはオーソン・ウェルズチャーリー・チャップリンにも不可能だったし、おそらくウッディ・アレンにも不可能であろうと書いてございました。
ゆ: まるで元巨人の王・長嶋の引退年齢を超えて4番を張っている阪神金本みたいだな(笑。いや、冗談はともかく、マカロニ・ウェスタンと蔑まれ黒澤明の「用心棒」のパクリと非難された「荒野の用心棒」から彼の映画俳優人生が始まったことを思うと、

よくぞクロサワを超えたな!

と思いますね。
は: 黒澤明様は88歳でお亡くなりになりましたが、79歳以後に撮った映画は「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」の三本でございましたね。
ゆ: もうすっかり老成しちゃって、今のイーストウッドのような興行的にも芸術的にも映画を成功させるエネルギーは残っていませんでしたからね。
は でははむちぃメが序盤をまとめてみましたので、映画を振り返って参りましょう。

 舞台は現代のデトロイト。かつての自動車王国の面影はなく、住宅街は黒人やアジア系移民で溢れ、民族間の小競り合いが耐えない。そんな治安の悪い街からは白人は殆ど出て行ってしまった。
 主人公のポーランド系白人ウォルト・コワルスキクリント・イーストウッド)は、頑固で不機嫌な老人。元フォードの熟練工である事を誇りにし自らがスティアリング・コラムを取り付けた愛車のグラン・トリノを磨き上げる事が唯一の楽しみである。また、朝鮮戦争も出征したが、その際の苦い記憶を持つ。
 映画は彼の妻の葬儀で始まる。トヨタのディーラーをして羽振りのいい息子がランドクルーザーに乗っているのを苦々しく思い、葬儀にへそ出しルックで表れた孫には愛車を褒められても唾を吐き、亡き妻から面倒見を頼まれてやってくる神父には悪態をつく。「移民が増えた」と怒りながらも、転居して施設で暮らすよう説得する息子夫婦を叩きだすほど愛着のあるこの街を離れない彼は、護身用の銃で、周囲に睨みをきかす。
 そんなある日、隣に住むラオス・モン族の一家の息子タオ(ビー・バン)が、グラン・トリノを盗もうと忍び込む。見つけたウォルトは激怒するが、根はまじめなタオが従兄らに脅されていると知り、興味を覚える。そこからタオとタオの聡明な姉スー(アーニー・ハー)との交流が始まり、ウォルトはこのアジア系の隣人を理解し好感を持つようになる、タオ一家も彼に心を開いていく。

ゆ: スマートなまとめありがたう、はむちぃ君、さすが昨日奥様に洗ってもらっただけの事はあるな(笑。
は: おそれいります(-.-)、それにしても本当にイーストウッド様しかできないような役柄ですね。
ゆ: 彼の当たり役ダーティ・ハリーを彷彿とさせますね、持ち込み脚本との事ですから、先ず間違いなく彼を念頭に置いて書いたんでしょうね。

は 序盤での状況説明も見事ですね。テンポ良く話が進んでいくとともに彼の置かれている状況がはっきりしていきます。
ゆ: ついに現実でもクライスラーが倒産しましたが、まさにデトロイトははむちぃ君が説明してくれた通りの状況なのだろうなと思わせる説得力がありますね。息子たちが

「父さんはまだ50年代を生きているつもりなんだ」

と語るように、時代の流れと人種問題の深刻さが見事に重層的に描かれています。
は: 主人公の癒しがたい記憶の中で朝鮮戦争を、CIAが偵察に利用したために東南アジアを追われてアメリカに移住せざるを得なかったモン族の登用でベトナム戦争を語ることにより、アメリカの病根をさりげなく抉り出しておりますね。
ゆ: そのアジア系移民を嫌い、黒人を嫌う白人層も決して単一民族では無い事もちゃんと提示しています。彼自身がポーランド、飲み仲間の理髪店店主がイタリア系、建設現場監督がアイルランドで、お互い聞くに耐えないような差別用語で相手を罵り合いながら仲良く日常会話を交わす様がとても興味深かったです。しかしどんな映画でもアイリッシュは飲んだくれなんですね(^_^;)。

は: 東南アジアのモン族の登用はおそらくハリウッドで初めてでしょうね。
ゆ: 脚本家の着眼点をちゃんと理解してそのまま現実化させるところが彼の見識の高さですね。モン族のコミュニティは本当に小規模でしょうし、まして俳優など殆どいないでしょうから、普通なら他の民族に置き換えてしまうんじゃないでしょうか。それをせず、モン族の全くの素人を何の逡巡もなく主役級に登用し、また、モン族の慣習も積極的に見せています。そして主役の二人はその期待に見事に応えていますね、まさにイーストウッド・マジックの醍醐味でしょう。
は: それではその後の展開を説明させていただきます。

 タオを自分なりの流儀で教育し、就職の世話もしてやり、タオの成長を喜ぶウォルト。しかし、タオが従兄弟のチンピラ・ギャングたちに報復のいじめを受けた事に激怒した彼は暴力的な行動で相手をねじ伏せてタオに手を出さないように警告するが、結局それは取り返しのつかない事態を招いてしまう。警察を信用せず届け出ないタオ一家をに痛切な責任を感じたウォルトは、怒り狂って報復しようとするタオを彼の自宅に閉じ込め、正装し、初めて神父の勧めに従い懺悔を行い、独りで決着をつけるべくでかけるが。。。

ゆ: 先ほどダーティ・ハリーを髣髴とさせると書きましたが、ハリー・キャラハンは悪を倒すためならどんな暴力も辞さないキャラクターでした。今回ウォルトに扮したイーストウッドはそうでは無い解決方法を選択します。
は: その自己犠牲の高潔さは感動的ですが、ずばりご主人様の好きな解決方法ではありませんでしょう。
ゆ: そうだね(^_^;)、個人的にはあれしか無いのか、という疑問はもちろん持っていますよ。結局

あんな奴らに対話による説得は意味が無い

というスタンスではハリー・キャラハンと何ら変わってはいませんから。
は: 「衝撃のラスト」を用意しないとハリウッド的傑作は産まれませんものね。

ゆ: ほ~、今日のはむちぃ君は奥様に洗ってもらっただけあって(以下略)、でもネタバレしない程度に一応説明しておきますと、実は「衝撃のラスト」というのは看板に偽りありで、物語はもう少し続くんですね。そのエピローグにより重苦しくも深い感動を残して映画は終わるわけですが、実は私がこの映画で一番素晴らしいと思ったのはラストシーンからエンドロールに移るところなんですよ。
は: 青く澄み切った空、ミシガン湖と思われる綺麗な湖。その湖岸道路をのそばをタオが駆るグラン・トリノが走り抜けていきますね。そこへクリント&カイル・イーストウッドマイケル・スティーブンス、英国のジャズシンガー、ジェイミー・カラム共作の主題歌が滑りこんで参ります。本当に美しい映像と音楽でございました。
ゆ: ややロング・ショットで湖岸道路を捉えられる場所にカメラを固定し、グラン・トリノが走り去って見えなくなってからも後続の車を延々長回しで撮ってそれをエンドロールのバックにしているんですね。その映像も故意に彩度を落として古き良き時代をイメージさせています。
は: なるほど、それで延々と車が走り去るだけのシーンなのに言い様の無いノスタルジアを感じたのでございますね。
ゆ: 主人公のウォルトが一番輝いていた、そしてフォードが世界に自慢できるグラン・トリノを作った時代古き良きアメリカへの祈りにも似た思いがこの長回しのシーンには込められていたと思うんです。
は: クリント・イーストウッド様を名監督と呼ぶに相応しい技でございますね。というわけで、GWに何か一つ素晴らしい映画をみたい、と思われておられる方がおられましたら是非ご覧下さいませ。