ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

Gaspard de la Nuit (Ravel) / Martha Algerich

Argerich
ラヴェル:夜のガスパール
(リンク先はCDです)
 先日ポリーニのレビューにいただいたコメントの中で、「夜のガスパールはどこがいいんだろうと未だに良く分からない」と書いてしまいましたが、私の尊敬するラヴェルにも失礼ですし、世の中にあまたおられる「夜のガスパール」ファンのお目汚しにもなった事とも思いますので、レビューというほどのものは書けませんが思い出など書いてみようかと思います。

Maurice Ravel
A-1. Gaspard de la Nuit
B-1. Sonatine
B-2. Valses Nobles et sentimentales

Martha Argerich, Piano, recorded at Berlin, Nov.,1974
Deutsche Grammophon ( MG2501)

 1974年録音、すなわちこのアルバムの発表当時私はまだプログレ命でクラシックには殆ど興味がなかったのですが、そんな私の目にも止まるほどクラシック専門誌以外の雑誌でも華々しく取り上げられる注目盤でありました。でもって

「新進の天才女流ピアニスト」「アルゲリッチという何となくカッコよさそうな名前の響き(笑」「ラヴェルの作品集(当時もボレロは大好きだった)」 

という3点セットにそそられて思わず買ってしまったのでした。まあ結果論ですが、一言で言うと無謀な選択だったわけです(^_^;)。以下ライナーノートを書いておられる平島正郎氏の解説を頼りにしながら、A面全体を占める「夜のガスパール(Gaspard de la Nuit)」について書いてみます。

 「夜のガスパール」はもともとフランスの無名詩人だったアロイジウス・ベルトランの64編からなる散文詩集でした。もちろん筒井康隆パソコン通信初期の実験作「朝のガスパール」もこの作品を意識しているものと思われます。

 ラヴェルは1908年にこの詩集からとりわけ幻想的で怪奇趣味の強い3篇「水の精」「絞首台」「スカルポ」をイメージしてピアノ独奏曲を作曲し、1909年1月9日にリカルド・ビニェスのピアノによってパリで初演されたそうです。
 各楽章は、ソナタ楽章―緩徐楽章―ロンド楽章の順に構成されており、古典的なピアノ・ソナタが意識されていますが、MAO.Kさんが言及されたように非常に高度なテクニックが要求され、特に第3楽章「スカルポ」は当時最も難しいとされたバラキレフの「イスラメイ」をも凌ぐ演奏技巧が必要だとラヴェル自身が述べています。

 ソナタ形式を意識しているという解説と実際聴いて見た印象とは程遠く、古典的ピアノソナタ定型詩だとすれば、これは非常に抽象的な自由詩であるという印象を受けます。若き日のラヴェル

「音楽的知識と感性、想像力が高度に統合された、ラヴェルピアノ曲中の最高傑作」(Wikipediaより)

と言う解説を読めばそんなもんか、という気もしてくるのですが、最初聴いた時には怪奇ドラマ、例えば「トワイライトゾーン」とか「世にも怪奇な物語」とかのOSTかと思ったくらい、何とも捉えどころのない浮遊感と気味悪さだけが印象に残りました。
 マニアックな喩えで申し訳ありませんが、「世にも怪奇な物語」第三話「悪魔の首飾り」のボールを持った白い少女のような妖しげな美しさを持つ音楽です。

 しかし、とにもかくに感心したのは初めて聴いたアルゲリッチと言う人の大胆素敵な演奏。同じラテンの血のなせる業か、女性離れしたタッチの強靭さ、繊細さと大胆さの振幅の激しさにひたすら呆然としました。クラシックにもこんな演奏をする人がいるのか、という感じですね。
 ただ、それが災いしてか、それ以後他の有名な作曲家の曲を弾くアルゲリッチを聴いてもあまり魅力を感じないようになってしまったのも選択ミスだったのかもしれません(苦笑。

 というわけで折りに触れアルゲリッチを聴きたくなった時にはこのアルバムを引っ張り出して聴いておりました。ただ、何度聴いても、オーケストレーションの天才と言われたラヴェルの真骨頂を示す「ボレロ」「展覧会の絵」の様な親しみ易い華麗な展開や「ピアノ協奏曲」第二楽章のような夢見るような美しい旋律が無いため、ついつい上の空で聴いてるうちに終わってしまう、ということの繰り返しになってしまいます。
 第一楽章冒頭のさざなみをイメージしたと思われる細かい音の揺れと最終楽章のおどろおどろしいフォルテッシモの連打までの間の記憶が無い、という事もしばしばでした(苦笑。

 逆に言えば、怪奇詩からぐいっとその粋をつかみ出して組み立てられた音が何かを連想させそちらに意識が向いてしまうわけで、自由詩から自由なイマジネーションを引き出す音楽を作るというラヴェルの術中に嵌っているのかもしれません。
 また、怪奇ドラマのOSTのようだと申し上げましたが、そのようなドラマのBGM自体がこのような先達の音楽のエッセンスを利用させていただいているのでしょう。彼のピアノ協奏曲の第三楽章の一部が伊福部昭氏の「ゴジラのテーマ」を連想させるのも、年代的に見れば伊福部先生がラヴェルからイメージを拝借したと言う考え方もできます。

 フランス音楽の粋がここにあると言われれば確かにそうだ、と思います。絵画鑑賞において抽象画を理解できるようになるまでにはそれなりの修練と経験が必要なように、この曲を理解するのにはおそらく楽譜を読み解くだけの理解力と数多くの曲を聴きこなした経験が必要なのでしょう。
 でも音楽を聴く事がそんな難しいものなのかと言われるとそれも疑問で、私のようにアルゲリッチのピアノタッチからぼ~っとあれやこれや夢想に耽けるのもそれはそれで良いのではないかとも思います。