ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

善き人のためのソナタ

善き人のためのソナタ スタンダード・エディション
はむちぃ: みなさまこん**は、今回の映画レビューは「善き人のためのソナタ」をとりあげます。久々のドイツ映画でございますね。
ゆうけい: あまりにも能天気な脚本で辟易した後には欧州の重厚な映画を観ないと精神的均衡が崩れそうでね(^_^;)。まあ冗談はともかく、前からずっと観たいと思っていたんですが、ようやくレンタル屋さんでみつけました。
は: おっしゃるとおりドイツらしい重厚な作品でございまして、昨年度のアカデミー外国語映画賞を受賞しております。
ゆ: 原題は「Das Leben Der Anderen」で「他人の生活」と言う意味です。「他人の生活」を盗聴する旧東ドイツの秘密警察シュタージの一員を主役にした優れた心理ドラマです。

『舞台は東ベルリン、時は1984年。すべては単純な調査の任務から始まる。ゲルド・ヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は国家保安省シュタージの一員。この手の仕事のスペシャリストだ。有名な劇作家ゲオルク・ドライマン(セバスチャン・コッホとその恋人で女優のクリスタ=マリア・ジーラント(マルティナ・ゲデック)を監視することになる。ドライマンはブラックリスト入りしている演出家アルベルト・イェルスカ(フォルカー・クライネル)のような反体制派と関わりがあることで知られているが、記録には傷がない。だが、この実直に見える市民を監視する隠れた動機がヘムプフ大臣(トーマス・ティー)にあることがわかり、すべては一変する。すなわち、この監視には個人的な理由があったのだ。こうしてヴィースラーの共感の対象は政府から国民へ――少なくともこの一個人へと移行していく。危険は承知の上で、ヴィースラーは特権的な立場を利用しドライマンの人生を変化させる。ここでヴィースラーがおこなう神のような行動は些細で誰にも知られないものかもしれないが、すべてに大きな影響を与えるかもしれない。ヴィースラー自身に対しても。監督・脚本のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクは単純な設定から始めて、複雑な状況と感情的な関わりへと発展させ、見事な長篇第1作を展開させる。3つのエピローグはどう考えても多すぎるが、『善き人のためのソナタ』は全編にわたって気品があり、混乱のない映画だ。(Kathleen C. Fennessy, Amazon.comのレビューより抜粋)』

ゆ: 大変優れたレビューですね、もうこちらが申し上げることがないような(笑。
は: それではゆうはむレビューが成り立ちませんよ(-_-;)。
ゆ: 確かにね、それに「神のような行動」と言う指摘にはいささか異論もありますしね。

は: 以前「ヒトラー最期の十二日間」でもご紹介したように、ナチスドイツを描いた優れた作品はドイツには数多くございますが、旧東ドイツシュタージは崩壊してからの歴史が浅い事もあり、まだタブー視されておりようやく最近になって人々は重い口を開けはじめたそうでございます。
ゆ: 考えてみればベルリンの壁崩壊からまだ20年経っていないんですね。このころ西ベルリンではカラヤンが絶頂にあり、米英では「ライブ・エイド」なんていう催し物も企画されていたとは信じられない思いですね。
は: どちらかというとジョージ・オーウェルの「1984」の世界ですね。
ゆ: おおっ、はむちぃ君何と鋭い返しを(@_@;)。確かに社会主義の管理社会が描かれておりますね。
は: またドイツという国を考えてみますと密告と盗聴で人民を支配するという点でナチスドイツと共通点も多いですね。
ゆ: 全くそのとおり、はむちぃ君今日は切れまくっておりますな。そういう点では「ヒトラー最期の十二日間」と良く似た重厚な心理ドラマを作る事はドイツ映画の実力をもってすれば十分可能でしょうね。ただ、それを観る側にある程度の知識と見識がないと、やれ

ヒトラーも人間だった、良い人だったんだ」
「シュタージの中にも良い人はいたんだ」

と言うような愚かな見識を述べる人間が現れて歴史の教訓が反故にされる危険性があります。それがこのような優れた映画の両刃の剣と言えるでしょうね。

は: なるほど、いつもは内容を語らないゆうはむ映画レビューでございますが、それでは今回は主人公の心理を追いかけてみる事にいたしましょうか。シュタージのヴィースラー大尉は盗聴を開始した時点では職務に忠実な冷酷非情な人間です。
ゆ: 冷酷非情と言うのは自由社会から見た観点であって、シュタージととしては非常に優秀な人材であるわけです。ナチスドイツのゲシュタポにも同じような人材はいたでしょう。そのような社会体制を支持・維持する階層には共通する心理学的性向が備わっていると喝破したのは他ならぬドイツから亡命したエーリッヒ・フロムだったことを思いだしますね。
は: 名著「自由からの逃走」でございますね。
ゆ: そうそう、あまり知られていないことだけどこの本はただ単なる心理学書ではなく、ナチスドイツの成立過程を論じるのが主眼だったと言われています。その本の中でナチス支持階層に共通する心理的構造として

「支配者への盲目的従属のマゾヒズム、自分より下の者への苛烈なサディズム

を挙げているんですね。
は: まさにヴィースラー大尉、ひいてはシュタージ全体にも通じますね。
ゆ: 社会主義体制への盲目的従属のマゾヒズム政治犯への48時間尋問と言う非人道的な容赦ないサディズム、この二つをヴィースラー大尉は自分の心理的性向とは自覚せず、国家への忠誠と職務の忠実な遂行という行動論理にすり変えていた、とフロムなら分析したでしょうね。
は: 自分の薄汚い欲望から劇作家宅の盗聴を命じる大臣も全く同じような心理的性向の持ち主だったと言えるでしょか。
ゆ: まさにそうでしょうね、彼にはヴィースラーと異なり全く心理的成長が無かった故に壁の崩壊後ものうのうとそのまま生き続けるのがヴィースラーとは対照的で憎憎しかったですね(苦笑。

は: さてヴィースラー大尉は盗聴相手の劇作家と恋人の愛の会話や交歓に感情移入して行き、更には「善き人のためのソナタ」というピアノ曲を聴いて涙を流し、劇作家の西側への秘密情報漏洩を見逃してやると言う行動に出ますね。
ゆ: 表情一つ変えずに心理的変化を演じるウルリッヒ・ミューエの演技は見事ですね。「善き人のためのソナタ」を聴いた時に流す涙も見事でした。彼に劇的変化をもたらすものが、政治的感化による転向でなく「セックス」や「音楽」であるところがやはり極めて心理学的だと思います。
は: ヴィースラー大尉の上司の

レーニンベートーベンの激情ソナタを人民に聴かせてはいけない、何故なら悪人になれなくなるからだ、と言った」

と言う台詞が象徴的でございましたね。
ゆ: そう言う台詞からすぐに「社会主義=悪」と論じると、ヴィースラーはこの時点で悪人から善人に、社会主義者から自由主義者に変わったと言う事になります。しかしこの変化はそういう単純な善悪や政治思想の切り替えではなく、盲目的受動的な隷属から主体的思考の獲得と言う心理学的変化だと思うんです。そういう心理学的成長の一助となるものが音楽であり、そのような人民の心理的成長は社会主義支配にとって障害になるという事をレーニンは熟知していて敢えてそう言う言葉を使ったのでしょうね。

は: そのヴィースラーの行動の結果、劇作家は壁の崩壊まで生き延びる事ができましたが、一方で恋人の女優を結果的に死に追いやりました。
ゆ: ヴィースラーは彼女を尋問し白状させる一方で二人を助けようとある行動を取ります。心理的変化がついに具体的行動を伴う場面なのですが、その後に起こる彼女の死は予想外の出来事であり、彼の心に深い傷を負わせた事は想像に難くありません。
は: 東西統一後についた郵便配達夫としての演技の演出がその事を暗示しておりましたね。
ゆ: 落魄の余生という感じでしたね。それは女性を死なせた罪悪感であったかもしれないし、シュタージという既成の「権威」によりかかっていた男がそれをなくしたかわりに手に入れた「自由」が実は深い孤独感や無力感しかもたらさなかったということかもしれません。これもフロムの受売りですが(笑。まあそのように推測するしかない誰も知らない内面を監督のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクは上手く演出していると思いました。
は: だからこそ、自分と恋人の生活を完全盗聴されていた事を知り愕然とした劇作家がついに彼を探し出した時、敢えて声をかけずに立ち去ったのでしょうね。
ゆ: もちろん怒りをぶつけるためではなく、嘘の報告により自分を助けてくれた事への礼も言いたかったんでしょうし、彼にとって最後に残されたあるも尋ねてみたかったのだと思いますが、とぼとぼと郵便を配達して回る彼を見た時に直感的に全てを理解したのでしょうね。

は: その後劇作家はこの経緯を「善き人のためのソナタ」という本に著すのですが、その謝辞が暗くて重いこのドラマに一筋の光明をもたらしたように思いました。
ゆ: シュタージの一員の勝手な心理的成長が全く関係のない「他人の生活」に劇的な変化をもたらしてしまう、ということは本来あってはならない事であり、実際彼も落魄の余生を送らざるを得ないわけですが、それでも最後に本屋で本の謝辞を見てかすかに微笑むところには何か救われる思いがしましたね。
は: 彼も「善き人」と認めてあげてよいのかなと思わせましたね。
ゆ: その辺が危ないところだと言ったでしょうが(^_^;)。最後にこちらも謝辞ですが、ドイツ語の原題名につき、もなこさんに貴重なご意見を賜りました。この場を借りてお礼申し上げます。