ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

コロー展@神戸市立博物館

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 前記事の「冬ざれの街」の写真に写っているルミナリエのアーケード通りを横切り、京町筋を少し南に下ると、ドリス様式の円柱が印象的な新古典様式の建物が見えてきます。昭和の名建築の一つとして名高く登録文化財に指定されているこの建物が神戸市立博物館です。そこで催されているコロー展を観てきました。

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(1F記念撮影用ブース、「モルトフォンテーヌの想い出」)

コロー: 光と追憶の変奏曲

数々の詩情あふれる風景画や人物画を生み出した、19世紀フランスの画家カミーユ・コロー(1796-1875)。本展はルーヴル美術館所蔵の《真珠の女》《モルトフォンテーヌの想い出》など、国内外からコローの名作約90点を集めた大回顧展です。コローの影響を受けた印象派の作家やキュビストの作品もあわせて展示します。(上記オフィシャルHPより) 』

 厳重に温度湿度管理がされている会場は肌寒かったですが、自画像で始まりカンディンスキーで終わる綿密な構成が素晴らしく、とても充実した時間を過ごせました。コローの絵を目にする機会は、例えばバルビゾン派であったり、あるいは印象派の先駆者としての比較出展であったりと結構多いのですが、私の記憶する限りコローだけに焦点を当てた展覧会は今までなかったのではないかと思います。

 そのせいか、コローに関しては樹木の描写に新展開をもたらした、あるいは光による風景の変化を意識的に描いて後の印象派に多大な影響を与えた、風景画の巨匠としてのイメージが強くありました。
 しかし今回ルーブル美術館の全面的な協力もあり、風景画以外にも多数の人物画等が展示され、今まで知らなかった彼の一面を知ることが出来たのは収穫でした。

 その中でも特に今回の目玉になっているのが「真珠の女」「青い服の婦人」の2点です。確かにこの2点、乃至は女神像(「水浴するディアナ」等)は典型的な美女像で魅力的です。

 しかし彼の人物画の本領はむしろそうでないところにあるように思いました。彼は生涯肖像画を商売にしなかった事もあり、実在の人物の描写はとても素朴かつ写実的で、そのような作品の方が圧倒的に多かったです。つまり、老人は老人として、おたふくさんはおたふくさんとして、ありのままになおかつ活き活きと描いており、そのような絵の方がむしろ好もしく思えました。

 さて、その例外的な「19世紀のモナリザ」と呼ばれる「真珠の女」ですが、髪の毛がとてもキラキラしており、はじめは珪酸系の光るような材料を絵具に使っていたんだろうかと思いました。しかしどうもそうではなく(ガラス越しなので断定は出来ませんが)細かい多数のクラックが入ってしまっているようです。18-9世紀の絵画だと、天下のルーブル美術館でも保存が難しいのでしょうかね?

 そう言えば彼の作品はキャンバス地ばかりでなく、紙もあったり、木に直接描いているものまでありました。彼は決して貧困に喘いだような家柄ではなかったですから、まだそう言う時代だったんでしょうか。例えばアクリルのケースで覆われた絵が何点かあったのですが全て木の上に直接油彩の作品でした。おそらく特に劣化しやすいんでしょうね。
 また、彼が使用していた絵具も比較的地味でくすんだ色合いでした。例えば青にしても、フェルメールが好んで使ったラピスラズリのような目の覚めるような美しい青はなかったです。時代的にはフェルメールの方が100年以上昔の画家なので何か不思議な感じがしました。

 さて、彼を語る場合どうしても後世への影響を語らざるを得ないんですが、今回も多数の関連作品が展示されていました。ドニドランセザンヌモネルノアールシスレーモンドリアンピサロゴーギャンロートマティスブラック等々絵画史を彩る錚々たる画家の作品が展示されており、それだけでも見応え十分でした。
 このブログでもたまに「守・破・離」という伝統形式からの展開の話をしますが、コローという人は自らは意識せずに「」のとば口に立っていた画家なんでしょうね、だからを積極的に展開した印象派や、更にはに進んだキュビズムの画家からも習作の模範とされることが多いのではないでしょうか。

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(「木の間越しの春」、モネ)
 特に風景画においてその影響は多大である事は確実で、その中でも今回はモネの「木の間越しの春」、モンドリアンの「農家の前の水辺の木々」とコローの作品の比較が印象的でした。特にモネのコロー的絵画からの思いきった展開には、ジャポニズムの影響も加えられ、ため息が出るほど美しかったです。

 人物画で印象に残ったのは「マンドリンを持つ女」3点です。
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 先ずこれがコローの「マンドリンを手に夢想する女」です。、暗い部屋の中での慎ましやかな光の使い方が、そのままこの少女の慎ましやかな美しさを表現しているように思えます。これが後世の画家のイマジネーションをかきたてたのでしょう、

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左がアンリ・マティスの「マンドリンを持つ女」、右がジョルジュ・ブラックの「マンドリンを持つ女、コローに基づく自由な習作」と変化していきます。感じ方は人様々でしょうし、それぞれが素晴らしい作品だと思いますが、立体感、色彩、女性の表情、楽器の描写など、全ての要素が次々と解体されデフォルメされていく様は、手前味噌ですがまさに守・破・離の醍醐味ではないかと思います。

 出口には樹木のイメージを大胆にデフォルメしたコローカンディンスキータペストリーがあり、適価なら本気で買おうかと思いましたが残念ながら売ってませんでした。横の壁に書いてあった二人の言葉を最後に掲げて締めくくりとさせていただきます。

「現実は芸術の一部であり、感情はこれを完全なものとする。」コロー

「ただ感情によってのみ、芸術における真実に到達できる。」カンディンスキー