ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

ゲド戦記の世界観

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Map of Earthsea from official website of Ursula le Guin, free download permitted)

 今回から「Earthsea Quartet(ゲド戦記)」の原作を検討していきたいと思います。あらかじめお断りしておきますが、原作、映画ともに重要な点もネタバレになりますのでご了承ください。

 まずこの世界の概要について検討したいと思います。幸い2001年に発表された「Tales of Earthseaゲド戦記外伝)」に詳細なアースシー世界の解説が載っていますので、それを参考に簡単にまとめてみました。またWeb上で参考になるサイトもありますのでここに掲げておきます。

ル=グイン 公式サイト(Mapあり)
Wikipedia: 「ゲド戦記

Earthseaの世界観
 舞台は多島世界・アースシーで、太古の昔Segoyという偉大な魔法使いが島々を海上に引き上げたのが始まりとされています。冒頭の地図がそれですが、詳細はル=グ インの公式サイトで見る事ができます。

 このアースシーの島々や広大な海を舞台とした、魔法使いゲドにまつわる物語がゲド戦記です。しかし「戦記」という和訳題名は適切とは言いがたく、戦争の記述は全くと言っていいほどありません。 第一巻の冒頭にゲドの故郷ゴント島にカルガド帝国の軍隊が略奪にやってくるシーンがある程度で、国と国との大規模な戦争シーンは全く出てきません。ドラゴンとの戦いもあるにはありますが、これも種族間の闘争ではなく個対個の戦いです。

 もちろん原題に「戦記」に該当する単語もありません。敢えて言うと「Deeds of Ged 」と言う伝承歌が時折出てきますが、これも戦記と訳すには無理があるでしょう。日本語版ではdeedは武勲(いさおし)と訳されているようです。

 世界三大ファンタジーの一つにあげられていることもあり、他の二本「指輪物語」「ナルニア物語」のようにCGを駆使した派手な戦闘シーンを映画に期待する向きも多いかとは思いますが、原作通りに映画化した場合そのようなシーンは全く期待できず、その点で映画化してヒットさせるには難しい面があると思います。

 リンク先にはTVドラマ化されたと書いてありますが、私は残念ながら見たことはありません。今回のジブリの映画でも最後の最後にやっと派手なアクションシーンが出てくるだけなので「冗長」と言う評価が多かったのだと思います。しかしそれでさえ、原作とはかけ離れた映画用に作られた対決シーンなのですが、この辺はまあジブリの苦労も理解できないことはありません。
 
Earthseaの魔法観
 ゲド戦記に出てくるWizard(魔法使い)とは概ねローク島の魔法学院を卒業したものを指し、それ以外のものは土地土地に根付いたまじない師でしかありません。魔法使いの才能は先天的なもので男女問わず生まれつきある者とない者に分かれます。しかしローク島で学べる高等魔術使いは例外なく男性であり、女性と交わってはならないという規律があります。このテーマに対する自問が20年の歳月を超えてル=グイン女史にフェミニズムを一つのテーマとした「帰還」を書かせることになりますが、映画ではこのテーマは全く無視されたまま「帰還」の舞台装置だけを拝借しています。

 真の魔法使いの駆使する魔法の最大の特徴として「真の名前」があります。映画はこの前提をそのまま借用しており、この前提を知らずに映画をご覧になった方には戸惑う点が多かったと思います。
 簡単に解説しますと、ドラゴン族の言語である太古の言葉が魔法の力を発揮するこの世界では森羅万象に「真の名前」が存在します。例えば主人公は、Ged(ゲド) が真の名で、Sparrowhawkハイタカ)が通り名です。ローク学院での修行の多くはこの真の名前を学ぶことにあります。
 それを知る者は相手を従わせることができるので、だから人は己の真の名をみだりに知られぬように、通り名で呼び合いますが、高等な魔法使いの中には相手の真の名前を直感で知ることが出来る者も存在します。
 ゲドもその例外ではなく、例えば第一巻においてゲドは生身では敵うはずのないドラゴンを、その真の名を呼ぶことにより金縛り状態にして交渉を成功させますし、真の名を分かち合ったVetchという友の妹の真の名を直感で当てて彼を驚かせ、更には「影」との最後の戦いでついに「影」の真の名を悟って呼ぶことにより影を消滅させます。

 こういう思想が中世西洋の黒魔術系にあったのかどうかは知らないのですが、私は日本の「言霊(ことだま)」思想を思い浮かべてしまいました。ル=グイン女史は西洋思想だけにこだわらない方なので、ひょっとしたら東洋の宗教思想に興味がおありだったのかもしれませんね。

 さて、個人的読後感としてこの四部作全体を通して感じるのは、アースシー世界の自然描写の美しさです。海に浮かぶ島々、海洋、山岳、農村、漁村、そして世界の果て、更には空、雲、月、星まで生き生きと描写されており、その描写が瑞々しい分、死の世界(Dry Land)の荒涼と静寂が恐ろしく、その対比を際立たせているように感じました。
 映画にもその自然描写の美しさは反映されていますが、舞台が極く限られた地域であるのが少々残念です。

 また、その自然の中での人々の営みも地域によって緻密に描き分けられています。民族による言語、容姿(特に皮膚色)、習慣の違いも詳細に描かれており、ル=グイン女史はアースシーが他民族世界である事を一つの大きなテーマにする事により、暗に現実世界での民族差別を批判をしているように思われます。
 映画ではその事については全く触れられていません。短時間の映画でそこまで描ききれない、という意見もあるでしょうけれど、例えばテナーを魔法使いだから白眼視されているという設定をするくらいなら、昔海賊行為を繰り返していたカルガド帝国から来た白い皮膚の女ということで差別されているという設定の方が原作にも近く、話に深みを与えたのではないかと思います。

 日本語版は岩波書店から出版されており、試しに神戸の市立図書館を検索したら殆どの図書館に「児童書」として収蔵されていました。ここまで検討してきたように児童書として死蔵しておくのはもったいない思想的内容を持っていると思いますので、映画で興味を持たれた方は地図を片手に是非読んでいただきたいと思います。

 以上で概論は終了し、以後3回に分けて四部作と映画の関連について検討していきたいと思っております。