ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

ティファニーで朝食を / 村上春樹訳

ティファニーで朝食を
 去年随分カポーティにこだわって記事を書いていましたが、最後の記事が「ティファニーで朝食を」でした。その記事の中で翻訳が古くなっているので、村上春樹氏か柴田元幸氏あたりが新しい翻訳を出してくれないかな、と書きました。ところがなんと本当に村上春樹訳のティファニーが出ました。AMAZONから予告がきた時には本当にびっくりしたともに大変に嬉しかったです。早速予約注文していたのですが、先日届き、その日から原著片手にじっくりと再読しました。

 いつも思うことですが、村上氏の翻訳は平易な文章を用いた柔らかい語り口が特徴だと思います。これは簡単なようで難しいんですよね、試しに自分でやってみて良く分かりました。逆立ちしてもこれだけ分かりやすくて無理のない日本語の文章を連ねていくことは出来ません。氏の重要視している「リズム」がちゃんと保たれているところにも感服します。

 今回ももちろんさらさらと簡単に訳しているわけではないでしょうけれど、「グレート・ギャツビー」に比べると楽しんで軽快に仕事をされているように感じます。例えばホリー・ゴライトリーの語り口やブラジル人のこなれていない珍妙な英語の訳し方などにそれを感じました。特に印象に残ったのは、あるブラジル人が自分の従兄弟のことを「she」と表現するところ。あまりに不自然なのでひょっとしたらミスプリントかなとさえ思っていたのですが、村上氏は「あれ」と訳されています。やっぱりheとsheの区別がついていないんでしょうね、面白い訳し方でした。

 自分が幾つか誤解していたところや、どういう意味なのかが分からなかったところもすっきりとすることが出来ました。たとえば主人公がホリーにサンオイルを塗りながら自分の作品をけなされて腹を立てるところ。ホリーに

"You will be if you hit me. You wanted to a minute ago: I could feel it in your hand; and you want now."(最初の文章は「すまながるのは私をぶってからにしたら」と言う意味です)

と煽られて次の文章が

「I did, terribly」

となります。このdidの解釈なのですが、ぶったのか、ぶとうと思っただけなのか、このすぐあとに、

「ここからドアまで歩いてだいたい4秒かかるんだけど、それをきっかり2秒で行ってちょうだいね」

というホリーの名文句が入る場面ですのでこのあたりの解釈は重要です。個人的にはああぶっちゃたんだなあ、と思っていたんですが、村上訳では「 did=want 」でした。前後関係をもう一度じっくりと読みなおし納得しましたし、よく考えたらカポーティがそんな野暮なことは主人公にさせませんよね。その他にもFat Womanって一体誰なのか(実は死神のことなんですよ、ホリー独特の表現です)とか、いくつかのもやもやがすっきりしました。

 そして村上ファンには嬉しいのがあとがきです。氏は自分の作品には一切あとがきをつけないんですが、翻訳には丁寧な解説をつけていただけるので楽しみにしています。今回も楽しませていただきました。私もそうであったように、村上氏も映画の瑕疵を認めたうえで

「映画は映画として面白かった。あの時代のニューヨークの風景がとても美しく楽しく描かれていた。」

と感じておられたと知り、大変嬉しく思いました。

 最後に一点だけ、フレッドが兄なのは幾つかの事実からそれが正しいのだと思いますが、ホリーの愛し方は弟に対するもののように思えてならないんですよね。