ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

モスラの精神史/小野俊太郎

モスラの精神史 (講談社現代新書)
 akiraさんがブログで紹介されておられたので興味が湧いて読んでみました。「モスラ」と言えば私の世代にとっては幼少の頃に「人類の味方」として刷り込みされたかけがえの無い怪獣ですから「悪く言うと許さないぞ」みたいな(笑)感覚がありますが、果たしてどう評価されてたんでしょうか。

 まず簡単に映画「モスラ」についておさらいしますと、昭和36年(1961年)に公開された東宝製作の怪獣映画でした。時代背景としては60年安保闘争により日米関係がギクシャクしていた時期で、この本でも考察されていますが本映画にもその影を落としています。そのような時期ではありますがアメリカのコロンビア社との共作という華々しい話題をふりまいた、日本最初のワイド・スクリーンの怪獣映画でした。
 本作で初めて登場した怪獣モスラは、名前の如く巨大な蛾の怪獣で、幼虫期、繭形成期、成虫期と変身(メタモルフォーゼ)するのが特徴でした。他の怪獣と違い人類の庇護者としての性格を持つが故に大変愛された怪獣であり、ザ・ピーナッツ演じる小美人が歌う「モスラの歌」とともにその後の多くの作品で活躍しました。ちなみにゴジララドンと並び東宝三大怪獣と称されています。

モスラ

『なぜ蛾の姿なのか?
あの歌の意味はなにか?
ゴジラとどこが違うのか?
多くの謎が、いま解き明かされる!

プロローグ─モスラが飛んだ日
第一章 三人の原作者たち
第二章 モスラはなぜ蛾なのか
第三章 主人公はいったい誰か
第四章 インファント島と南方幻想
第五章 モスラ神話と安保条約
第六章 見世物にされた小美人と悪徳興行師
第七章 『モスラ』とインドネシア
第八章 小河内ダムから出現したわけ
第九章 国会議事堂か、東京タワーか
第十章 同盟国を襲うモスラ
第十一章 平和主義と大阪万博
第十二章 後継者としての王蟲
エピローグー「もう一つの主題歌」』

 目次を見れば大体想像がつくと思いますが、モスラ自体ではなく、映画「モスラ」を作ったスタッフやキャストたちの思いや経験を通してその時代背景を探っていく試みがなされています。その検討はかなり詳細で、学術的に深入りしているところも多く、漠然としかモスラをご存じない方には確かに目からウロコだらけだと思いますので、話題になるのもむべなるかな、と言う感じです。
 私の場合は一応怪獣オタクで、しかも親と祖父が映画館を経営していたという環境にいましたので大筋においては知っている事実の再確認のような作業でした。それでも細かい事実関係の四分の一くらいは知らなかったので、なかなか面白かったです。例えば悪役を演じたジェリー伊藤さんが、アメリカ側(コロンビア社)からは「アメリカ人らしくない」と評価されていたなんて記述にはびっくりしました。また、東京タワーの鉄骨の三分の一は朝鮮戦争の戦車から流用されたとは知りませんでした。このあたり最近の昭和ブームの折柄、貴重なトリビアかもしれませんね。

 さて、その精神史を語る際に特に焦点が当てられているのは、東宝の大プロデューサー田中友幸の元に集った「七人の侍」たちです。すなわち、

原作: 中村真一郎福永武彦堀田善衛
監督: 本多猪四郎
特技監督 円谷英二
脚本: 関沢新一
音楽: 古関裕而

の7人です。ちょっと怪獣モノに詳しい方なら円谷、本多、関沢の三人の名前は一度は聞いたことがあると思います。田中氏とこの方たちこそ日本怪獣の生みの親であるのですが、彼らの本書に占める比重というのはあまり重くありません。ですからこの点に関してはあらかじめある程度の知識を持って読まれるべき本なのかなと思います。

 この本が話題になっている要因のひとつは当時気鋭の新進純文学作家3人がリレーの形で原案となる小説「発光妖精とモスラ」を書いていたと言う事実でしょう。これもSFファンなら古典SF発掘家ヨコジュンこと横田順彌の詳細な研究でご存知と思います。
 しかし著者はその表層的な事実だけでなく、彼等三名がどういう動機で参加したのか、そのバックボーンはどういうものだったか、またその時代そのものの状況はどうであったのか、そして田中や関沢等とどのような齟齬がありそれをどう克服していったのか微に入り細を穿ち検討されており、これには感心しました。怪獣小説といえばゴジラ香山滋くらいしかまじめに検討されていなかったと思いますが、あの時代に純文学作家がここまで有機的に怪獣映画製作に関わっていた、と言う事実を詳らかにしたことは賞賛に値すると思います。

 さて一方この本に対する批判として、牽強付会に過ぎるという意見が多いようです。確かに私もそう思わないでもありませんが、このような研究本を本筋がぶれないように書きとおす場合ある程度止むを得ないのではないかと思います。こんな大作でないブログでのレビューを書くときにだってそんなことってありますもんね。
 ただ一点、後継者として王蟲を挙げておられる点は、色んな論証を経ても正直なところ納得しかねます。モスラへの愛着が深すぎるせいかもしれませんが。

 愛着と言えば、私の目から見て著者は今一つ「モスラ」という怪獣には感情移入していないように思えます。ただ、著者の生年を確認してみてそれもむべなるかな、と思いました。著者は1959年生まれなんですね。1950年代生まれの人なら怪獣映画はリアルタイムだろうと思われるかもしれませんが、子供時代の一年、二年の差というのは大きいんですよね。この本に出てきた主要な映画の製作年をちょっとおさらいしてみましょう。

ゴジラ:1954年
ゴジラの逆襲:1955年
モスラ:1961年
キングコング対ゴジラ:1962年
モスラ対ゴジラ:1964年(春)
三大怪獣世界最大の決戦:1964年(冬)
怪獣大戦争:1965年
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘:1966年

 親に聞いてみたら、私はモスラからエビラまで全部リアルタイムで映画館で見たそうです。でも記憶にはっきりと残っているのは「キングコング対ゴジラ」からで、ある程度内容も理解して観るようになったのは「モスラゴジラ」からでした。それ故か、自分にとっての怪獣映画ナンバーワンは今も他を圧倒して「モスラ対ゴジラ」です。

Godzillashehhh ちなみに映画収入としてのピークは「キングコング対ゴジラ」が最高でその後は徐々に下降線をたどり始めます。折りしもテレビが映画を徐々に駆逐しつつあり、映画産業自体に翳りが見え始めた頃で、「怪獣大戦争」に至ってはゴジラがシェーをするという怪獣映画としては堕落の一途をたどり始めた時期でした。

 さて、私より少し年下の著者がリアルタイムで見ていたとすれば物心ついて内容を理解できるようになったのは、早くてもその「怪獣大戦争」の頃からかではないかと思います。これでは感情移入しにくいですよね。彼にとってはモスラ安保闘争と同じように、ごく僅かに乗り遅れた歴史上の出来事であり同じ研究素材であったのでしょう。

 時の流れの中で平成になり今一度モスラは蘇りますが、当然ながら私には昔のような心のときめきは無かったですし、作品そのものもあまり評価できるものは産まれなかったように思います。モスラはやはり「モスラ」「モスラ対ゴジラ」の二作品までで封印しておくべき古き良き日本映画のアイコンだったのかもしれません。その点に関しては著者もエピソードの項で強調しておられます。それを少しだけ引用してこのレビューを終わりましょう。

 『モスラ』から見えてくるのは、「組織」や「動員」という言葉がまだまだ実体を伴っていた五〇年代から六〇年代が持っていた人的つながりに由来する豊穣な生産力である。『モスラ』がさまざまな要素を抱えることが可能だったのも、その時代の産物だったからだ。
 ポストモダンと呼ばれた時代の到来で、こうしたつながりはしだいに消えうせていった。観客の側もいまでは映画館に行かずとも映画やアニメは観られるし、製作者も多くを下請けや孫請けにアウトソーシングしてしまい、作り手は各パートを担当するだけで終わるようになってしまった。(中略)かつて映画はスタジオ・システムのなかで互いの知恵を広く利用できた。そして、戦前のモダニズムの洗礼を受けた作家や映画製作者や作曲家たちが、一つの作品で互いに協力し影響しあう状況があったのだ。(P272より引用)