ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

Beethoven Overtures / Sir Colin Davis

ベートーヴェン:序曲集 サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団
 好評いただいている、、、かもしれないし、、、そうで無いかもしれない(笑、SACDレビューですが、こうなったら中央突破あるのみと、サー・コリン・デイヴィスの「ベートーベン序曲集」のSACD/CDハイブリッド盤を取り上げてみました。泣く子も黙る菅野沖彦大先生が監修されています。

 前季ステレオサウンド宮下博先生が詳述されておられますが、この演奏は1985年にデジタル録音されたもので、名演奏な上にオーディオチェックソースとして最適と菅野先生がお誉めになっていたのですが、残念なことに廃盤となっておりました。ところが、菅野邸でこのCDを聴いて感激したエソテリックの大間知社長がこれは再発売せねばと尽力され、ソニーの協力も得てアメリカからマスタ-テープを取り寄せ再発にこぎつけた、という経緯があったそうです。当然ながらエソテリの誇るRbクロック、MEXELケーブルも用いてリマスタリングされ、SACD/CD hybridに仕上げられています。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
1.「アテネの廃墟」序曲Op.113
2. 序曲「コリオラン」Op.62
3.「レオノーレ」序曲第1番Op.138
4.「プロメテウスの創造物」序曲Op.43
5.「エグモント」序曲Op.84
6.「レオノーレ」序曲第3番Op.72b
7.「フィデリオ」序曲Op.72b

『 私にとってこのディスクは大切な愛聴盤であるが、同時にまた、オーディオシステムの調整用にはなくてはならない1枚なのである。巷では、オーディオ用のディスクというと、やたらに高音と低音が派手に目立つ音楽が多いが、そういうプログラムソースは、デモンストレーションならともかく、システムの質感や音楽的なバランス調整用としては必ずしも適当だとは思わない。このディスクのように、音楽として芸術性が高く、快い音響空間で美しく演奏され、録音されたものが最適である。このバイエルン放送響が最高の音色と質感のアンサンブルで聴かせるベートーヴェンの音楽のように、美しく繊細かつ重厚でダイナミズムに満ちた管弦楽曲こそが理想的であると思う。(菅野沖彦氏ライナーノーツより)』

 菅野先生もライナー中で述べられておられますが、16bit、44.1kHzのPCM録音で記録されたものをDSD変換してSACDにする意味があるのか、という疑問を検証すべく先ずはSACD層とCD層の音の差異を聴き比べてみました。
 正直なところ、それほどの違いはありません。ただ、それは良い意味であって、CD層の音質が相当高度なのです。ライ・クーダーのアルバムのような一部の例外はあったものの、Rock/Pop分野のデジタル録音初期の悲惨さを考えると、確かにクラシック担当のエンジニアの見識は高かったのだなと思いますね。
 ただ、SACDと全く変わらないというのではなく、ホールトーンの深さや弦楽器の質感の柔らかさなどで僅かなアドバンテージを感じました。ちなみに菅野先生も興味深かったと書いておられるだけで、優劣はつけておられません。

 さて次はいよいよ菅野先生がこれを聴くだけで

「オーディオシステムの素性が全て分かる」

と評されている恐怖の「コリオラン序曲冒頭14小節」を検証してみましょう。ベートーベンはこの時期「傑作の森」と評されるほど脂が乗り切っていたのですが、この曲も序曲とは言えベートーベンらしい勇壮な雰囲気に満ちた出だしとなっています。

 簡単にいうと弦楽器群がC音をffのユニゾンで弾きその後従属和音のトゥッティを受けて全休符となります。これが従属和音を変化させながら3回続き、その後弦楽器群がやや不安定に搖れる旋律を奏で始めるという展開になります。この最初の3回の「ff-全休符」のリフレインが冒頭14小節に当たります。

 オーディオファイル以外の方は不思議がられると思いますが、特に全休符の部分が再生の醍醐味なんですね。菅野先生のライナーを引用すると

「楽譜に無い音が響きとして実在する。そこにはホールトーンという時空間現象が漂い、響きとしてエネルギーが実在する」

のです。簡単に言うと残響ということになりますが、これが録音されるホールやマイクのセッティングなどで実にデリケートに変わってくるのですが、実に品が良い、という印象がありますね。拙宅は再生音の残響が多くて困るのですが、それでも程の良い後の引き方であると思いました。

 勿論弦のユニゾンやトゥッティーの音色や質感、ハーモニーの再現なども重要で、ルームチューニング対策を怠っているととんでもない音になると菅野先生は書かれています。そういう意味では幸い拙宅では特に破綻無く再生されていると思いました。モニターライクなウィルソンオーディオのSPですから、ffの弦の音がきつすぎる(特にCD層)と感じられる方もおられるかもしれませんが個人的にはこれくらいの方が気持ちいいです。

 さて、サー・コリン・デイヴィスバイエルン放送響の演奏の方はどうかというと、実に威厳に満ちた悠揚迫らざる重厚な演奏です。でも、一聴したときには

「やけにゆっくりだなあ」

と感じました。というのも、今まではアナログのバーンスタイン&VPO盤をリファレンスとしていたので、それと比較するとややテンポが遅かったわけです。実際測ってみると、

冒頭14小節:デイヴィス:28秒
        バーンスタイン:24秒
全体:    デイヴィス:9分39秒
        バーンスタイン:8分54秒

と、バーンスタインのテンポが明らかに速い事がわかります。以前マーラーの6番を検討した時にバーンスタインはかなりゆっくりとしたテンポで深い演奏をするという印象がありましたから、それより遅いデイヴィスさんは実にじっくりと腰を据えて取り組んでおられるのだなあと思います。慣れてくるとどちらも良いと感じますが、刷り込みのあるせいか、バーンスタインのリズムの方が好ましい気はします。ちなみに菅野先生は

「最近のディスクで14小節を18秒で演奏する指揮者がいてせわしなかった」

と書いておられます。確かに18秒は速いですね。最近というくらいですからショルティ翁ではないと思いますが(^_^;)。

 さて、このコリオラン序曲の冒頭ですが弦の強奏と全休符の繰り返しというのは、聴衆にとってはかなりの緊張を強いるように思います。クラシック素人の私が言うのもなんですが、当時としては結構斬新なビート感覚だったのではないでしょうか。

Led Zeppelin
 という事で我田引水になりますが、このリフのパターンって、ロックの文法と通じるところがあると思うんですよね。ちなみに私はいつもLed Zeppelinの「Good Times Bad Times」のイントロを連想してしまいます。

試聴はこちら

 この曲は彼らのファーストアルバムの冒頭曲で、ハードロックの夜明けを高らかに告げたジミー・ペイジ畢生の名リフなんです。弦の全休符時にボンゾのコンチキチンが入るのはご愛嬌という事で(^_^;)。

 そう言えば葉加瀬太郎クライズラー&カンパニーも、コリオランと同じ「傑作の森」期の「第五番:運命」とDeep Purpleの「Burn」を見事に融合させた「交響曲第五BURN「炎のベートーベン」」でロック・ファンを刮目させましたし、ベートーベンってロック・ミュージシャンにとっても偉大な先達だったんですね。「Roll Over Beethoven!」は「ぶっとばせ!」じゃなくて「乗り越えろ!」だったのかも。