ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

カート・ヴォネガット氏を悼む

Birdcage_2
 アメリカの作家Kurt Vonnegutカート・ヴォネガット)氏が4月11日永眠されたそうです。謹んでお悔やみ申し上げます。
 近年は執筆活動を行っておられず「タイムクエイク」以後彼の小説を読む機会もありませんでしたが、最近トルーマン・カポーティの伝記を仕事の合間に拾い読みしていて、丁度ヴォネガット氏のインタビューを読んだところでした。ひょっとしたら「俺はそろそろ逝くよ」と教えてくれていたのかもしれませんね。今頃

So Be It. (そんなもんだ)」

と、ニヤリとしておられるかも。笑って送ってあげたいですが、公式サイトの開け放たれた鳥籠を見たら少しほろっとしました。

 私が彼に熱中していたのは大学生時代で、その頃は「カート・ヴォネガット・ジュニア」と言う名前でした。むこうでは「カルト作家」として一部に熱狂的なファンを有する作家でしたが、日本では一風変わったSF作家として扱われていたように思います。伊藤典夫氏をはじめとするSF翻訳家が主に早川書房などに細々と紹介されていました。

 というわけでまあ正直言って当時日本ではドマイナーでした。「Slaughterhouse-5」などは最初「屠殺場5号」という邦題で全く売れず、後に「スローターハウス5」と名前を変えてそこそこ売れるようになった、なんて話もありました。この本こそ、諦観とアイロニーに満ちた彼の作品群の根底を成す、自身のドレスデン大空襲体験を小説化した代表作なんですけどね。
 もう一つの代表作「ボコノン教」で有名な「Cat's Cradle(猫のゆりかご)」を日本の新しい世代の作家達が認めるようになって徐々に日本でも人気が出てきたように記憶しています。私もなんやかや言いながらこの小説が一番好きです。

「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、
みんなまっ赤な嘘である。
ボコノン教徒としてのわたしの警告は、こうだ。
嘘の上にも有益な宗教は築ける。
それがわからない人間には、この本はわからない。
わからなければそれでよい。」
ボコノンの書より)

Cat's Cradle

 そう言えば社会人2年目の頃でしたか、同門会誌に彼の事を紹介したのですが見事に誰も知りませんでした。その前の年に石田波郷について生意気な文章を書いたもんで、先輩の先生方から次の年もその調子を期待されていたのですが、見事に肩透かしを食らわせてしまったわけですね(^_^;)。でも個人的にはこちらの文章の方が余程気にいっていたんです、というわけで昔の恥ずかしい文章を抜粋して彼への追悼としたいと思います。

『 (冒頭数行略)
 カート・ヴォネガットは日本ではまだ一部のSFマニアにしか知られていないが、アメリカでは

「one of the best living American writers」(Graham Green)

として名声を馳せている。処女作は「プレイヤー・ピアノ」であるが、彼がカルト作家として一部インテリ層に熱狂的信者を集めるようになったのは「猫のゆりかご」をものしてからである。映画化もされた「スローターハウス5」で彼の純文学作家としての名声は決定的となったが、彼の独特の文体の出発点が「猫のゆりかご」であることに変わりはない。

 では彼がどんな作家であるかと云われると非常に困るのだが、一言で云うと

"foma" =  harmless untruth

を書く作家という事になろう。「スローターハウス5」「スラップスティック」等彼の自伝めいた作品でさえuntruthのオブラートに包まれる。

 彼の作品中の人物の多くは、小男、どもり、白痴、奇人等である。彼はそれらの人物に余分な愛情も過度の軽蔑も示さない。淡々とした「馬鹿なりの」生活を描いていくうちに。彼の人生に対するほろ苦い諦観が浮き彫りにされていく。例えば「スローターハウス5」は第二次大戦で連合軍が行ったドレスデン空襲(広島より多くの犠牲者が出た。彼は実際に空襲される側の人間としてこの空襲を経験した)を扱った作品であるが、作中で登場人物が次々に死んでいく。その度に彼はこう付け加えるのだ。

「そういうものだ = So be it. or So it goes.」

と。これ程人を喰った表現も珍しいと思う。しかし、人類の為した無類の暴挙愚行を通り過ぎた彼のほろ苦い哀しみと解釈すれば、ホモ・サピエンスへの彼の愛着の裏返しの表現とも思えてくる。
 事実彼は「猫のゆりかご」「スラップスティック」「プレイヤー・ピアノ」等で、人類文明を何度か破滅させるのだが、作中で何度と無く次の意味の文章が顔を覗かせる。

「Love may fail, but courtesy will prevail」

彼の文中のあまり世渡りの上手くない人物は決して愛してくれとは云わない。ごくありふれた親切さえあれば人生をそれだけで生きていけるのである。そして死に直面すれば素直に従うのだ。So be it.と。そんな情けの無いと言えば情けの無い、しかしこれ程穏やかな人生は無いと云える日常を、彼独特の奇想天外なシチュエーションの下に描き出したfoma、それが彼の作品である。

 彼のそんな思想(と云えるかどうかわからないが)を、fomaで塗り固めたのが「猫のゆりかご」に出て来るボコノン教である。是非ご一読頂き、その綿菓子のような毒気にあてられて頂きたいと思うが、ここではその白眉を記しておく。

第14章:
Q:  " What can a thoughtful man hope for mankind on earth, given the experience of the past million years? "
A: " Nothing "

(以下略)』

合掌。