ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

村上春樹版「グレート・ギャツビー」

グレート・ギャツビー
グレート・ギャツビー

愛蔵版 グレート・ギャツビー
愛蔵版 グレート・ギャツビー

 村上春樹ファン待望の訳書が出ました。米文学を代表する傑作スコット・フィッツジェラルドの「The Great Gatsby」です。ロバート・レッドフォードの代表作である映画「華麗なるギャツビー」で有名ですが、本書の題名は「グレート・ギャツビー」と従来からの書籍での題名を踏襲しています。

華麗なるギャツビー

村上春樹が人生で巡り会った、最も大切な小説を、あなたに。新しい翻訳で二十一世紀に鮮やかに甦る、哀しくも美しい、ひと夏の物語―。読書家として夢中になり、小説家として目標のひとつとしてきたフィッツジェラルドの傑作に、翻訳家として挑む、構想二十年、満を持しての訳業。(AMAZON解説より)

 この書については以前ご紹介した事がありますが、私にとっても思い出深い作品であるとともに、我々ハルキストが

村上春樹の作品の一つ」

として彼の訳を待ち望んでいた作品でもあります。彼は事ある毎に「グレート・ギャツビー」を生涯めぐりあった小説の中で一番大切な作品と公言してきましたし、同時に60歳になったらこの小説の翻訳を開始すると公言していましたが、それを前倒しして早くも出版されたことは嬉しい限りです。

 ということで11月に初版が出たのですがようやく読み終える事ができました。という訳で今日は思い入れたっぷりにいつもは気にしている記事の長さ制限も無視して思いのたけを述べてみたいと思います。長文覚悟でおつき合いくださいませ。

 私の場合以前にも書いたのですが、この「グレート・ギャツビー」は、

1:映画で初めて知り、字幕をみても何て言ってるのかさっぱり分からず、
2:原作を知りたいと思い生意気にも英語版の文庫本を買い、
3:出だしのあまりの難しさに即日本語版野崎孝訳)を買って平行して読み進んでいった。

という経緯がありました。この短編小説は

「成り上がりものが既成の権力階級に敗れさるという図式を悲恋物語に託した」

という何やら最近のヒルズ族を思い起こさせるような、ある意味陳腐な物語ではあるのですが、フィッツジェラルド特有の香り立つような名文が詰め込まれていることで傑作となっています。

 それだけに原書はかなりの難物で、しかも日本語訳のスタンダードである野崎孝先生の訳も年月を経るに連れ今の時代の方にはかなりの難物となってきているように思われます。今回の春樹氏の訳書はその意味でも絶妙のタイミングでの出版と言えましょう。

 さて一読してみて、野崎先生の訳とは全く別の作品に近い、ある意味

村上春樹の最新作」

を読んでいる気がしました。自身が原点としている作品なのにその気負いをいささかも感じさせず、平易な文章をリズミカルに重ねていく構成は、今の時代の読者にも十分受け入れることのできる仕上がりであると思います。

 といっても本書をご存じない方には全くピンと来ないと思います。少し具体的に検証してみましょう。自身の経験に重ねてみると、この作品の一番の難関は冒頭部分にあると思います。主人公ニック・キャラウェイが自身の生い立ちや人となり、ニューヨークに移り住んだ経緯などを長々とケレン味たっぷりに述べるため、話が一向に進まないんですね(^_^;)。だから原文も難しいし、野崎先生の訳も結構読み進みにくいんです。では冒頭部分を抜粋して見ましょう。

『 In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I've been turning over in my mind ever since.
"Whenever you feel like criticizeing anyone,"he told me,"just remenber that all the people in this world haven't had the advantages that you've had."
He didn't say any more, but we've always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that.I'm inclined to reserve all judgements, a habit that has opened up many curious natures to me and also made me the victim of not a few veteran bores.』(原文)

『 ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。
「人を批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」
 父はこれ以上多くを語らなかった。しかし、父とぼくとは、多くを語らずして人なみ以上に意を通じ合うのが常だったから、この父の言葉にもいろいろ言外の意味がこめられていることがぼくにはわかっていた。このためぼくは、物事を断定的に割り切ってしまわぬ傾向を持つようになったけれど、この習慣のおかげで、いろいろと珍しい性格にお目にかかりもし、同時にまた、厄介至極なくだらぬ連中の御相手をさせられる破目にもたちいたった。』(野崎孝訳)

 私の場合挫折数回、先ずこの文章から読み返しすことになりますので、今となっては何を言ってるかすんなりと理解できますが、日本の標準的高校生では、この文章を原文、日本語訳を含めてたちどころに理解できる人は殆どいないんじゃないでしょうか。では春樹訳を抜粋してみましょう。

『 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、おまえのように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」
 父はそれ以上の細かい説明をしてくれなかったけれど、僕と父のあいだにはいつも、多くを語らずとも何につけ人並み以上にわかりあえるところがあった。だから、そこにはきっと見かけよりずっと深い意味が込められているのだろうという察しはついた。おかげで僕は、何ごとによらずものごとをすぐに決めつけないという傾向を身につけてしまった。そのような習性は僕のまわりに、一風変わった性格の人々を数多く招き寄せることになったし、また往々にして、僕を退屈きわまりない人々の格好の餌食にもした。』(村上春樹訳)

 以前にも述べたことがありますが、春樹氏の文章は本当に句読点の使い方がうまい。このリズムなら比較的すんなりと頭の中に入ってきますし、読み進むのも難しくなさそうだ、と思わせてくれます。

 さて、この小説は最後の最後にフィッツジェラルド渾身の燦然と輝く美文で幕を閉じます。キャラウェイが、主ギャツビーを失った邸宅から対岸の上流階級の象徴である緑の灯を見つめながらギャツビーを回想する場面ですが、

Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that's no matter-tomorrow we will run faster, stretch out our arms further....And one fine morning-
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.』(原文)

『 ギャツビーは、その緑色の光を信じ、ぼくらの進む前を年々先へ先へと後退してゆく狂躁的な未来を信じていた。あのときはぼくらの手をすり抜けて逃げて行った。しかし、それはなんでもないーあすは、もっと速く走り、両腕をもっと先までのばしてやろう......そして、いつの日にかー
 こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。』(野崎孝訳)

ウ~ン、何回読んでもそのたびに感動してしまいます。ここは野崎先生も苦労して名文をお書きになっています。「ゆく」はこういう風に使うんだと、どこかのだれかさんに教えてやりたい気もします。
 さあ、春樹訳は、、、、、是非手にとってお読みください。実は春樹氏、このセンテンスだけは以前「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」と言う著書の「ロックヴィル巡礼」と言うエッセイの中で一度訳文を公開されています。その文章と今回の訳書の文章は随分異なっており、大変な努力のあとが伺えます。「old sport」の訳とともに最も苦労された部分でしょう。

 さて、村上春樹ファンには嬉しいことにこの訳書には大変長いあとがきがあります。氏の文章に餓えている方には絶好のエッセイと申せましょう。実はこの拙文の草稿を書き上げてから読んでみたのですが、私が語るまでもなく、氏がリズムの重要性、苦労した部分等を率直明快に述べられていました(T_T)。特に冒頭終章は

「全力を尽くした」

と述べられていました。我が意を得たり!と嬉しい反面、レビューとしては丸写しかよ、と言われかねないものになってしまいました(・_・;)。まあ、そういうことで少しでもこの名作の理解に役立てば幸いです。

 と言うことで最終的に原文に挑戦してみよう!という方には、

1: 先ず映画を観る
2: 興味が湧けば村上春樹訳を読む
3: 感動したら、原書に挑戦する

と言うコースがいいんじゃないでしょうか。ちなみに愛蔵版には「『グレート・ギャツビー』に描かれたニューヨーク」という付録冊子もついております。これをグーグルマップを眺めながら読むのも一興かと思います。