ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

紙屋悦子の青春

 黒木和雄監督の遺作にして原田知世主演の映画「紙屋悦子の青春」をようやく観てきました。実はシネリーブル系列の公開だと思っていたのですが、もっとマイナーな(失礼)シネカノン神戸での公開だったのでもうやってたんです、とりあえず気が付いてよかった。
Bana1

 日本中に感動の渦を巻き起こした「父と暮らせば」の巨匠・黒木和雄監督が、今年4月に急逝した。映画を愛し、戦争を憎み、平和を希求した75年の生涯だった。
 黒木監督が「TOMORROW/明日」「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」の戦争三部作を終え、次に選んだのが「紙屋悦子の青春」である。戦争の記憶の風化が叫ばれる今、戦時下を生き抜く庶民の日常と、生き残ったものの心情を、鮮烈に、かつ暖かく描き出した本作が黒木監督最後の作品となった。(パンフレット解説より)

紙屋悦子: 原田知世
永与少尉: 永瀬正敏
明石少尉: 松岡俊介
紙屋安忠(兄): 小林 薫
紙屋ふさ(義姉): 本上まなみ

原作: 松田正隆
監督: 黒木和雄

 舞台は昭和20年3月から4月にかけての鹿児島。紙屋悦子がひそかに慕う兄の後輩明石少尉が、ある日同僚の永与少尉を彼女に紹介する。明石も悦子の事を思っているのだが、彼は海軍特攻隊に志願する決心を固め、彼女を永与に託したのだった。

と、これだけの事が淡々と殆ど紙屋家のセットのみというシンプルな進行で描かれます。

 冒頭は現在のシーン。年老いて某総合病院に入院中の永与を悦子が見舞いに来て屋上のベンチに座って会話していると言うシチュエーションから映画は始まります。

これが長い。

遠くからのロングショットで始まり、徐々に近づいてパンしていき、老けメークの永瀬と知世さんのアップになっていくのですが、まあこれは映画としては良くある手法ではあります。しかしそのリズムが異様に遅く、その間あまり内容の無い会話が延々と続いているのですね。

「寒いですか」「寒くない」「毛布要りますか」「要らない」「この病院何階建て?」「7階建て」「九州一らしい」「点滴の時間じゃないですか」「よか」

とかいうまあありがちな会話がゆ~っくりとした鹿児島弁で途切れ途切れに続くんですね。私もパンフレットを読まずに前知識無しで臨んだものですから、面食らってしまいました。私なんか知世様の声が聞こえるだけで気持ちいいですが^^;、知世ファン、永瀬ファンで無かったらいきなりこれは辛いだろうなあと思いました。

 昭和20年代の設定も上述したように紙屋家の中で家族3人と明石、永与の5人が3人ずつくらいの組み合わせで会話し続ける事によって話が進むという、至ってシンプルな設定。紙屋家の兄夫婦がお互いを大切に思いつつも、ついつい喧嘩口調になって言い争いをしてしまう、というパターンがほのぼのと面白いので退屈はしませんが、なんとまあ静かな映画なんだろうと思いました。
 映画を終わってパンフレットの解説を読んでやっと判ったのですが、原作は松田正隆という方がご両親から聞いた実話をもとに書いた戯曲なんですね。それを黒木和雄監督が脚本の段階で敢えて大幅な変更はせず戯曲的に撮ったため、このような構成の映画になったようです。

 となると、五名の演技力が勝負の映画ということになりますが、本作は5人が5人とも設定を良く理解し好演していると感じました。5人とももちろん戦争を知らない世代ですが、おそらく戦争末期の日本の一般家庭ではこう言う状況であっただろう、と納得させるだけのリアリティを感じさせ、映画の中の世界にうまく引き込んでくれました。解説を書いておられる佐藤忠男さんや川本喜八郎さんといった戦中世代の方も納得できる出来栄えのようです。普段知世様命とか言ってますが、彼女がこれほどの演技をできるほどに成長していたのは新鮮な驚きでした。「大停電の夜に」も「さよならCOLOR」も彼女のハマり役どころだから好演できたと言う側面を感じていましたが、新たな可能性を提示していただいた黒木監督には感謝するしかないですね。

 黒木監督の演出も派手さは全くありませんが、うまく戦時下を演出しておられたと思います。しっかりものの姉がとっておいてあった小豆で悦子と姉が作ったおはぎが蝿帳(はいちょう)の中にあるのを明石と永与が盗み見るシーンなど面白くもほろりとさせられますし、明石が特攻に出る寸前の機中から永与に託した悦子宛の手紙が

全く開封もされず朗読もされず

に映画が終わってしまうところなども肩透かしを食らったとか言う印象は無くかえって深い余韻を残していました。

 我々の世代だと黒木監督と言えばATG(アートシアターギルド)のイメージが強く、原田芳雄出世作となった「竜馬暗殺」や竹下景子が初々しかった「祭りの準備」などが強く印象に残っています。あの監督がこれほど枯れた渋い映画を作るか、と妙な感心をしてしまいました。

 同じ戦争末期を描いたノンフィクションの原作に基づいた映画でも、先日ご紹介した「男たちの大和」のような映画と、本作のように砲撃の音一つ聞こえず、特攻も恋愛も劇的な展開は全くなく、「TOMORROW/明日」のように原爆投下と言う人類史上稀に見る惨事が翌日起こるわけでもなく、ただ食べる事を中心とした一ヶ月足らずの戦中生活を淡々と見せるだけの映画とでは、同じリアリズムでも全く異質といわざるを得ません。前者が我々に考える暇も与えないほどの視覚的聴覚的情報を与え続けてくれるのに比べると、後者は我々の側に沈思黙考を要求しているところがあると思われます。
 黒木監督はもちろんこれを遺作にするつもりは毛頭なかったのでしょうけれども、その問いかけを残したまま永遠に我々の前から去ってしまわれました。

 そう思うと、我々の世代だとかろうじてこの時代の残滓のようなものを肌で知っていますが、もう全く実感のない若い方はどう感じるのだろう、と終了後しばしもの思いに耽ってしまいました。戦時下を生きる人びとがこの様に美しい品性を保っていた事を今の時代の人々に知って欲しかったのかもしれないし、そのような一般の人が兵隊さんに「沢山敵国の人間を殺してください」と言う事に何の疑問も感じない、その感覚の麻痺から戦争の理不尽さを訴えたかったのかもしれません。

 「男たちの大和」ももちろん優れた映画であると思いますが、しばしの時間このような映画の中に心を委ねて彼等の生きてきた時代に思いを馳せてみるのも悪くないと思います。今からほんの60年ほど前の実世界なのです。

 最後に黒木和雄監督のご冥福をお祈りします。