ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

解夏ー救い様の無い観光映画

 昨日TVで邦画「解夏(げげ)」をやっていたので、家内に押し切られるように見てしまいました。さだまさし原作ということで若干の不安はあったのですが、もろに当たってしまいました。どうしようも無い駄作で、その意味で涙なくして見られませんでした。我が愛しの原田知世様の故郷、長崎の情景がふんだんに出てくるらしいからまあいいかと思ってみ始めましたが、いやあ、こんなに情けない観光映画は珍らしかとです。

解夏
解夏

東京で小学校の教師をしていた隆之(大沢たかお)は次第に視力を失うベーチェット病に冒されていることを知り、職を辞して故郷の長崎に帰ってきた。やがて恋人の陽子(石田ゆり子)が後を追って長崎に現れ、隆之の家に留まることに。病状が徐々に悪くなっていく中、彼は聖福寺で出会った林老人(松村達雄)から仏教の“解夏”の話を聞かされる……。(AMAZON解説より)

 難病モノは嫌いな私ですが、これは極め付けですね。淡々と失明するまでの日常を追う、といえば聞こえはいいですが、なんとこの主人公、東京での教師という生活を捨てて故郷の長崎へ帰ってくるまではいいのですが、失明するまでの数ヶ月、

何にもしない

のです。実家に戻って母親に食わせてもらいつつ、目が見えるうちに

長崎を見て回るだけ

をいをい、もっと他にする事があるだろう。失明すると分かっていれば、点字を勉強するなり、これからの生計の立て方を必死で探るなり、もっともがけよ。歩くのも、まだ見えるはずという安易な判断で回りに迷惑かけっぱなし。一旦捨てたはずの恋人に迷惑をかけたり、ヒステリーを起こして追い返してしまったり、それでいて東京に追っかけていって「僕の目になってくれ」(ーー;)虫が良すぎやしないか?

 極めつけは、小学校の前年度の生徒からの手紙を恋人に読んでもらうシーン。「XXくんがいじめにあっているようです。助けてください。」---泣くだけ(T_T)

 情けなー。自分のヒステリーで追い返してしまった恋人を追っかけるためには東京に行くくせに、今度は泣いてるだけかよ。何とかしたれよ!思わず突っ込んだら家内から「うるさいわねえ、何とかしてるわよ」とのお叱りを受けてしまいました。でも映画の場合、出てこない行為はやってないのと一緒なんですけど。

 原作に忠実なのであれば、こんな原作を映画にしようとするほうがおかしいし、かなり違っているのであれば脚本、演出に致命的な欠陥があったとしか思えないです。はっきり言って仏教用語まで持ち出して目が見えなくなるまでの苦しみを「行」だというのであれば、もっと「行」らしい日常を見せて欲しい。だらだらくよくよしながら遊びまわっているのが本当に「行」ですか?母親にさえ自分で言い出せずに揚げ句の果て恋人に言ってもらってほっとするような心の持ちようは「行」ですか?ーー等々脚本家には小一時間問い詰めたいところばかり。

 こんな脚本だから、どんな芸達者な脇役で固めても白々しいばかり。主演の大沢たかおもいまいちですねえ。原田知世と共演したTVドラマ「デッサン」の頃から今一つ冴えない人だなあと思っていましたが「セカチュー」にしてもこの映画にしても情けない主人公ばかりをやるせいか、覇気も無くだらだらと役をこなしているだけという印象のぬぐえない俳優です。他にすばらしい演技をしてる映画があるのならごめんなさい。

 それにしても冒頭恋人が行ったというモンゴル、何の必然性があったのだろう?モンゴルの人は驚異的な視力の人ばかり、という皮肉ですか?