ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

柴田元幸訳への些細な疑問

 私が好きな小説家の一人に村上春樹氏がいます。彼はご存知の方も多いと思いますが翻訳も数多くこなしておられ、「翻訳夜話」という本を東大助教授の柴田元幸氏と二人で上梓しておられるほどです。この本には訳例としてレイモンド・カーヴァー(春樹氏推薦)、ポール・オースター(柴田氏推薦)の二人の短編が原文のまま載っています。どういうわけかP・オースター氏の歯切れのいい英語と巧みなストーリーテリングを気に入ってしまった私は暇を見つけては原書の方もチャレンジしております。

 そういう風に春樹ファンを経てオースターファンになられる方は多い(というか王道らしい)ようで、その鍵になっているのが柴田氏であり、柴田氏抜きのオースターファンは日本人では殆どいないのではないかと思われるほどです。

 私も柴田氏の翻訳文は大好きですが、一回だけ引っかかりを感じた事があり、それは今でも尾をひいています。どなたかこの問題を解決してくれないかなあとずっと思っています。

 作品は彼の出世作であるニューヨーク三部作のひとつで「Ghosts」(幽霊たち)という作品です。疑問に思っているのは冒頭の一節中にある

"The place is New York, the time is present, and neither one will ever change."

という文章です。この文の真ん中のところの柴田氏訳が「時は現代」となっているのです。この話は1947年3月の話と途中で出てきますし、この本の初版は1986年ですからちょっと疑問に思ったわけです。そして私が思うにはこの文章はこの小説全体の文体とかかわっているのではないかと考えられるのです。というのは、「Ghosts」はまだオースターが「ポストモダン派」に分類されていたころの代表作で、登場人物がすべて色の名前だったり、殆ど事件らしい事件がおこらない探偵小説だったり、雑多なアクネドートをはさんであったりと、内容も大変シュールで独特ですが、文体も独特で、途中の挿話文などの一部例外を除いてすべての文章が現在形で語られているのです。だから私が訳するのならば

「場所はニューヨーク、時制は現在形、この二つはこの小説の最後まで変わらない」

とでもなりますが、いかがでしょうか。確かに”time"に時制という意味はないし、1940年代というのは「現代」で間違いではないかもしれませんが、なんとなく違うんじゃないかと今でも思っています。よろしければどなたかコメントください。

なお参照した文章の載っている本は日本アマゾンの方にリンクしてあります。