ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

瞳子 / 吉野朔実

瞳子(とうこ) (ビッグコミックス)

 先日の突然の吉野朔実さんの訃報には驚きました。

 彼女の作品で知っているのは「少年は荒野を目指す」のほかに三、四作だけ。そんな私が彼女について語れることなど殆どないのですが、とにかく彼女の死はとても悲しいし、惜しくて仕方がない。同世代(彼女は1959年生まれ)ですし、洋楽を始めとする彼女の嗜好も一致するところが多いので、勝手に親近感を抱いていました。

 そんな彼女の異色作で、等身大の吉野さんを知ることが出来る作品が「瞳子」です。何が異色かというと、ビッグコミックスピリッツという男性誌に突如連載されたのですね。そのあたりは後書きで彼女が経緯を述べておられます。

 というわけで、Kindleにあったので追悼をかねてダウンロードして読んでみました。やっぱり懐かしくて涙が出ました。

 両親、姉と四人暮らしで、大学を出て就職もせず自宅でプー太郎をしている少女が主人公。父と、バブル時代を絵に描いたような姉は働きに出ているので、必然的に母と家に二人でいることが多くなる。当然ぶつぶつと文句を言われる。こちらも十分大人であるから、必然的に衝突する。「産まれて来たくなかった」とまで言い放つ。父がさりげなく連れ出してポツリという。

あれだけは産んでくれた人に言ってはいけない。」

 わかっている。そんな自分が悲しい。これから先どうしたらいいのか明確なビジョンは持てないけれど、それでもなんとなく日常は流れていく。

 男友達は二人いる。でもまだ恋をするだけの自信がない。だからある男とデートしてキスされそうになっても自分に自信がなくて拒絶してしまう。

 結局気心の知れた二人の男友達の元へ戻る。そんな自分を見つめつつ、こんな思いを残して、この短い物語は終わります。

明日は今日の続きじゃない。傷は癒える人は変わる、今日何が起こるかわからない。だからこそ人間関係は常に危うい。

 最後にこの物語に出てくる音楽について。イーノの新作やブライアン・フェリーの新作、そして「クリムゾン」の来日が出てきます。
 このあたり、私ももろにツボなのですが、キング・クリムゾンが1980年代に来日したのは、フリップ翁、エイドリアン・ブリュートニー・レヴィン、ビル・ブルフォードのLineup IVで1984年に一度だけです。あとがきで舞台を1980年代後半を設定した、と書いてあるのと矛盾はしますが、これはまあフィクションであるから仕方がないですね。

Boys & Girls

 その上でイーノとフェリーの新作を推理してみましょう。あの頃のこの二人の傑作と言えばおそらくイーノが「Music For Films Vol.2」か「Pearl」、フェリーはほぼ間違いなく「Boys & Girls」でしょう。

 同じ時代に生まれて同じ音楽を聴いて同じ本を読んで同じ時代の波に揉まれて。。。
 先に旅立たれた吉野さんのご冥福をお祈りします。合掌。