ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

つめたいよるに / 江國香織

つめたいよるに (新潮文庫)

 本は読むもの、当然のことですが、朗読を聴く、という手もあります。皆子供のころは幼稚園の先生が、そして母が読み聞かせてくれたものだ、ということを普段は忘れてしまっていますね。

 で、何の話かというと、先日の原田知世さんのon-doc.の朗読が良かったという話の続きです。江國香織さんの「デューク」という掌編の朗読がとても素敵でした。
 おさらいすると、ちょっと幻想的で、ちょっと物悲しい、こんなお話。

  長年飼っていた牧羊犬デュークを老衰で亡くなった。デュークは横顔がジェームス・ディーンに似ていて、キスがとてもうまかった。
 翌日バイトに出かける私は涙が止まらない。そんな私を電車の中で周囲の視線から庇ってくれた少年にコーヒーをおごり、バイトは休むことにした。それを知った少年に連れられて私はプールで泳ぎ、美術館でインドの細密画を鑑賞し、最後に少年が好きだという落語を聞きに行く。それまでは気が紛れていた私だがデュークが落語を好きだったことを思い出し再び悲しくなってしまい気分が落ち込む。そして夜の銀座の街角、別れ際に突然少年は私にキスをする。主人公は驚く。それは突然だったからではなく、、、「その感触」「なつかしい目」。「僕もとても、愛していたよ」という一言を残して去っていく少年の横顔はとってもジェームス・ディーンに似ていた。私はそこに立ちつくし、いつまでもクリスマス・ソングを聴いていた。銀座に、ゆっくりと夜が始まっていた。

 ね、素敵な話でしょう。知世さんの柔らかな語り口、伴奏の伊藤ゴローさんの柔らかで控えめなボサノバギターの音色。まるでそこに私と少年二人の姿が目に浮かぶようで、キスは息が止まるようで、そして走り去っていく少年を追う主人公の視界とクリスマスソングが流れる銀座の街角が実際に見えるようで、、、

 で、早速その話の収録されている「つめたいよるに」を買って読んでみました。江國香織という名前は知っていても読むのは初めてです。

 短いものは数ページ、長いものでも十数ページ、殆どが10ページ程度という掌編が集められた短編集で「つめたいよるに」が冒頭の「デューク」を筆頭に9編、「温かなお皿」が12編で構成されています。
 
 個人的には現代版「夢十夜」とも言うべきちょっと幻想的で、異世界を垣間見るような「つめたいよるに」の方が好みでした。特にデビュー作とは信じられないほどの完成度を見せる「桃子」。
 寺に預けられた7歳の少女桃子の世話係となった19歳の修行僧。二人は道ならぬ恋をしてしまう。ならぬ事ゆえ引き裂かれる二人。桃子はきゃしゃな白い小鳥に姿を変え、修行僧の頭には。。。本当に「夢十夜」の世界観そのもの。

 そのほかにも心に沁みる、あるいはふと笑わせる、ちょっと考えさせられる佳編がたくさん入っています。子供のころの何気ない情景への好奇心と恐怖心、老いていくことの寂しさと哀しみと喜び、日常のちょっとした情景がいとおしくなる、とても素敵な作品集でした。

 最後に「夏の少し前」に出てくるこの詩を紹介。どこかできいたことがある独特のリズムのある詩、いいでしょう。

ははそはのははもそのこも、
はるののにあそぶあそびをふたたびはせず。」

ヒント: ははそはの、は母にかかる枕詞。作者は日本語では海の中にははがあり、フランス語ではははの中に海がある、と言った詩人。