ゆうけいの月夜のラプソディ

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辺見庸のインタビュー: 転換期を語る - 戦後70年の視点

Henmioyou

 今朝の神戸新聞に「転換期を語るー戦後70年の視点」という題名で辺見庸さんのインタビューが載っていました。

 辺見さんの本と言えば以前「しのびよる破局 」という本を紹介したことがありましたが、NHKで彼が発言していた頃は2009年、リーマンショックに端を発する金融恐慌や新型インフルエンザによる「パンデミック」が起こっていました。彼は左脳出血で右半身が不自由で見当識も障害されていたにもかかわらずそれらを冷静に分析し、その垂れ流し的な報道を「自省がない」と切り捨てていました。その内容は今の時代にも十分通用する内容であり、彼のぶれない視点にあらためて敬服します。

 そんな辺見氏のインタビューを読むのは久しぶりでした。脳出血後遺症は残っていると書いてありますが、今なお知性はしっかりと保たれており、冷静な分析と曖昧さのない発揮とした物言いは相変わらずでした。要点を紹介してみます。

 まず戦後70年の意味を問われ、

「敗戦後70年たち、これから続く状態が戦争とは逆の平和かどうか、疑わしい。現代は日常の中に戦争が混入しているのではないかと思う。」

と問題提起をされます。そして

「 盧溝橋事件が起こった年は歴史上戦争に突入した年と記憶されているが、実はその年日本では旧国鉄が「ミッキーマウストレイン」を走らせており、大阪タイガースの優勝に沸き、連続優勝で横綱に昇進した双葉山に国民が熱狂していた。当時の新聞紙上からは戦争に傾いていく危うさが感じられない。」

「 それと同じように安部政権が現状を躍起になって変えようとしているのにそれに対する恐怖感があまりにもメディアには足りないと思う。」

と、盧溝橋事件を例に出し、平和に慣れてしまっているうちにどんどん戦争準備が進んでいるのではないかという恐怖感を持つべきだと主張されています。

 次に今はどんな時代かと問われ、

「フランスの哲学者レジェ・ドゥプレは90年代に「グローバル化で等質化すればするほど世界は(分裂や分断化が進む)バルカン化する」と語ったが驚くほど当たっている。ウクライナの紛争や「イスラム」の出現はまさにそれで、国家の衰退と封建制の復活に立ち会っているのではないか。旧来の国家像が崩壊し始めている。」

「資本の活性化、収奪力はすさまじく、人間は人間であり得たという圏内からどんどはじき出され、疎外されている。(中略)ストレスが一人の人間としては耐えられないくらいのものになりつつある」

と、冷静かつ精密に現状分析をされています。その情報収集力と解析力はいささかも衰えていないようです。

 最後に民主主義の行き詰まりについて質問され、日本の右傾化を心配している欧州自身ネオナチ的に右傾化しているし、民主主義の根付いているはずの米国でも最近の黒人襲撃に見られるように差別が原始的な形で暴力的に噴出していると分析し、現代は歴史的な危機を経験しつつあると警鐘を鳴らします。

 昔のような階級的アイデンティティーではなく、民族的人種的アイデンティティーがそれを凌駕していると分析し、それはロシアでもウクライナでも中国でも同じことで、翻って日本を見ても、戦後史上例を見ないほどの勢いで嫌中嫌韓に人々の意識が向かっていると指摘します。

日常というのは、急にこの日から崖っぷちですという変化の仕方はしない。暗転はゆっくり、大規模にいくわけで、その過程は見ることができない。でも敏感に耳を立て、目を見開き、五感を研ぎ澄ませていれば感じることはできると思う。」

 私はあまり論客という種類の人を信頼していませんが、この辺見庸内田樹には一目置いています。自らの立ち位置が明確でぶれず、権威におもねることなく、かといって何でも反対のリベラルでもなく、「敏感に耳を立て、目を見開き、五感を研ぎ澄ませて」その後の時代の流れを的確に言い当ててきた人だからです。時代が危ない方向へ向かわないようにまだまだ活躍していただきたいです。