ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

震災から20年(7) 追悼1・17; 最後に自らを見つめなおす Part-2

Junkoyamamoto
( 「junko yamaoto」,真ん中の斜めの筋は大震災の時にできたプラケースの割れ目です)

 実は震災についての記憶・思いを語ったのはこれが最初ではなく、ブログを初めてまもなくの頃に

山本潤子さんの歌声の力 2004/7/19

と題して書いています。この文章が掲載されたオーディオアクセサリー誌はもうありませんが、個人的な思い出として、とても大切にしています。

『 今日も神戸はかんかん照りでしたが局地的豪雨に見舞われた北信越地方の方々の映像には心が痛みます。このような天災が起こるたびに私たちのような大震災を経験したものは心が痛みます。今回の水害に会われた方には心よりお見舞い申し上げたいです。

 そういえばあの頃私を励まし続けてくれた音楽がありました。山本潤子さんの「JUNKO YAMAMOTO」という初ソロアルバムでした。その思い出をオーディオアクセサリーという雑誌に投稿した事があり、佳作をいただいて101号に掲載されました。(これは「思い出に残る音」という企画に応募したものです。)

 今日元原稿を引っ張り出してきたので載せてみます。久しぶりに読むと赤面してしまうような文章ですが、潤子さんの声の持つ力というものを感じていただけるかなとは思います。

 平成7年1月17日未明、突然の突き上げるような衝撃が我が家を襲った。家具は悉く崩れ落ち、ライフラインも途絶え、電話も通じない。静寂が怖い程重くのしかかってきた。相次ぐ余震や寒さ、更には顔を強打した長男が吐気を訴えはじめたことなどで家族の不安が頂点に達したころ、突然電灯が灯ると同時に「鍵があわない」のイントロが流れ出した。その頃一番好きだった、山本潤子さんの初ソロアルバム「junko yamamoto」の一曲目だった

 このアルバムを聴きながら眠りにつくのが習慣となっており、前夜もかけっぱなしで寝ていたので、崩れ落ちながらも壊れないでいてくれたオーディオセットが、電気の回復とともに奏で始めたのだった。時間の歯車がまた動き出したことが本当に実感でき、あの時ほど音楽が心に沁みたことはなかった。「潤子さんの歌声が帰ってきたよ、生きてるよ、大丈夫だよ」と、妻と泣き笑いに似たほほ笑みを交わしあった。  

 その日から我を忘れて働く日々が続いたが、三月に入りやっと少しは落ち着いた日々が戻ってきた。その頃ふとしたことで私は山本潤子さんが大阪でコンサートを開くことを知った。何とかチケットが取れ、まだ遠回りながら大阪に出ることができた私は、神戸以外の日本は全く日々が途切れず続いていることを思い知った。

 そして、山本潤子さんが暗闇の中から登場し「翼を下さい」を生ギター一本で歌い始められた。その突き抜けるように透明な歌声に、私の中で2ヶ月間張りつめ続けていた何かが崩れ落ち、それから2時間の間涙が止まらなくなってしまった。

 人の歌声が生きる勇気を与え、また生きていることの喜びを噛みしめさせてくれる、それを実感させてくれる希有な力を持った人の二度の歌声は私の心の中に一生響き続けることであろう。 』