ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

蜩の記 / 葉室麟

蜩ノ記 (祥伝社文庫)

 先日公開された同名映画の原作です。映画館の予告編を何度も見ていたので、もう見る気満々です。ただ、予告編で語られるある情報に疑問があり、まず原作を吟味してみることにしました。

 その疑問とは主人公が「10年後」の切腹を命じられていること。死罪に値する罪を得たものがなぜ10年も猶予を与えられるのか?あまりにも不自然ではありませんか。

 そこに説得性を持たせ、おそらくなされるであろう切腹をいかに劇的なものにするのか、そこが作家の腕の見せ所であろうと思いましたし、直木賞を受賞し映画化されるだけの価値のあるものなのかを見極めたいと思いました。

 結論を申し上げますと、十分に説得性がある納得のできるもので感嘆しました。これだけの綿密に組み立てられ、数多くの登場人物の心情を綿密に描いた原作を映画でどれだけ表現できるものなのか、それが楽しみでもあります。

『 豊後羽根藩の檀野庄三郎は不始末を犯し、家老により、切腹と引き替えに向山村に幽閉中の元郡奉行戸田秋谷の元へ遣わされる。秋谷は七年前、前藩主の側室との密通の廉で家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた。編纂補助と監視、密通事件の真相探求が課された庄三郎。だが、秋谷の清廉さに触るうち、無実を信じるようになり…。凛烈たる覚悟と矜持を描く感涙の時代小説!(平成23年度下半期第146回直木賞受賞作)

AMAZON解説より)  』

 さて物語の舞台は豊後の小藩羽根藩。その城内で親友との刃傷騒ぎを起こした若者檀野庄三郎は、家老の中根兵右衛門の温情で切腹を免れたものの、7年前に藩主の側室との不義密通・小姓殺害の罪で10年後の切腹と家譜の編纂を命じられ、山間の寒村に幽閉されている戸田秋谷を監視する役を命じられます。

 この家譜の編纂に亡き前藩主は「10年」の歳月を与えたわけです。その編纂には何か重大な秘密を明らかにしてほしいとの前藩主の願いがこめられていることが徐々に明らかになっていきますし、切腹が当然の若侍にわざわざ監視役を命じた家老にも何らかの思惑があることも容易に想像がつきます。

 また、文武両道の達人であり、高潔な人格の持ち主である秋谷に、庄三郎が敬愛の念を抱き、次第に秋谷の無実を確信するようになることもまた容易に想像がつきます。

 真実は徐々に明らかになって行きますが、それだけで終わっては並みの時代劇ですし、藤沢周平の焼き直しといわれても仕方がないでしょう。

 この小説が非凡なところは、秋谷が幽閉されている農村と農民を活写していることです。

 まずは冒頭部。庄三郎が徒歩で向かう山道。雨上がりの谷川の水しぶきの清冽さと視線をよぎるカワセミの美しい影。解説のロバート・キャンベル氏が「一筆書きの淡白なタッチ」と絶賛するその風景の中に見えてくる、見事な石つぶてを放つ少年。彼こそが秋谷の息子である十歳になる郁太郎。そして彼と同じ年頃の日貧農の息子で家族思いの働き者、源吉という親友。この二人の描写がその後の大事件の伏線となるのですが、ここでは詳しくは言及しません。

 更には昔郡奉行(在村行政役)であった秋谷を慕い今もその恩を忘れずに一家の面倒を見る源兵衛と息子の市松。市松は秋谷の娘薫をひそかに慕っており、庄三郎を恋敵と快く思っていませんが、これもまた横道にそれてしまうのでここでは語りません。

 これらの農民たちを丁寧に描いていき、やがては現在の郡奉行の無知無謀な圧政、一揆を企てようとする農民、裏で暗躍する藩上層部と結託した商人、等々の複雑なこの村の内情を手際よく筆者は捌いていきます。
 よくあるパターンと言えばそれまでですが、ここの農民はそんなに柔ではありません。必要とあらば鎖分銅という武器で侍の一人や二人は殺す腕を持っていますし、実際この物語でも二人の人間が殺されます。

 そして物語は庄三郎秋谷が問題の側室襲撃事件の裏に隠された、もう1人の側室の出自に関する重大な疑惑に辿り着くあたりで不穏な空気が流れ始め、源吉少年が殺人事件に関して父親を庇い壮絶な拷問死を遂げることをきっかけに一気に動き始め、思いも寄らぬ波乱・動乱の展開を見せ、一気にクライマックスに達します。そのダイナミックで骨太かつ切れ味鋭い筆致は庄三郎の居合いさながらの見事なものでした。

 もちろん秋谷切腹は避け得ないものでしたが、この事件の見事な落とし前のつけ方と、藩譜の完成とその周到な手配により、周囲の多くの人物に多大な影響を与えます。

 悪役ながら腹のすわった大物である家老中根兵右衛門に..

「(秋谷は)目立ったことをなすわけでもないのに、関わる者は生き方を変えていく」
「われらは源吉なる百姓の子を死なせてしもうた。本来ならば、わしが責めを負わねばならぬところを、秋谷はわしに代わって源吉に詫びるため切腹いたすのだ。なればこそ、百姓たちも秋谷の心を慮り、一揆を思い止まったのであろう」

と言わしめ、名僧慶仙和尚をして、この世に未練はもうないと語る秋谷に対して

「未練がないと申すは、この世に残るものの心を気遣うておらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残されたものが行き暮れよう」

と彼を慕うものの多さを暗に諭します。そこには庄三郎をはじめとする侍たち、秋谷の家族、源兵衛たち農民はもちろんのことですが、高貴なある女性も含まれます。慶仙和尚のその女性と秋谷に見せる粋な計らいも物語に深い余韻を残しました。

 「蜩の記」とは秋谷の日記の名前ですが、最後の一行はこのように結ばれます。まこと見事な小説であったと思います。読み終えた今映画が待ち遠しくてたまりません。

「蜩の鳴く声が空から降るように聞こえる。」