ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

利休にたずねよ

Rikyuu
(パンフレット表紙より)

 先日レビューした山本兼一原作の映画化「利休にたずねよ」を観てきました。原作も素晴らしい小説でしたが、映画の出来栄えも見事なものでした。本年観た邦画の中でも抜きん出た一本だったと感じ入りました。

 時代劇には絶対の自信を持つ東映のスタッフが総力を結集した舞台で、松竹歌舞伎の至宝市川海老蔵が演じる新・利休像。その凛と張り詰めた映像美と、所作の美しさに圧倒的なオーラを感じさせる海老蔵・利休。久々に、日本映画の底力というものを見た気がします。
 それにしても私の親が映画館をやっていた頃には、東映と松竹が手を結ぶなどという事はそれこそ日が西から昇ってもあり得ないことでした。もうとうの昔に、と言われそうですが、時代は変わりましたね。

2013年 日本映画、配給:東映

スタッフ
監督: 田中光敏
原作: 山本兼一
脚本: 小松江里子

キャスト:
市川海老蔵中谷美紀市川團十郎伊勢谷友介大森南朋 他

『 茶人・千利休の人生を描き、第140回直木賞を受賞した山本兼一の同名小説を、歌舞伎俳優・市川海老蔵の主演で映画化。豊臣秀吉のもと「天下一の宗匠」として名をはせるも、やがて秀吉に疎まれ、武士でないにもかかわらず切腹しなければならなかった利休。その謎を、ある女性との秘められた恋とともに描き出していく。若かりし頃、色街に入り浸っていた利休は、高麗からさらわれてきた女と出会う。その気高いたたずまいと美しさに心を奪われた利休だったが、やがて別れの時が迫る。かなわぬ恋に対する利休の情熱は、ある事件を引き起こす。中谷美紀が利休の妻・宗恩、伊勢谷友介が信長、大森南朋が秀吉にそれぞれ扮する。監督は「化粧師 KEWAISHI」「火天の城」の田中光敏

(映画.comより)』

 ストーリーに関しては原作のレビューの方を参考にしていただくとして、まずはその映像美。

・ 利休屋敷の完璧な造型。特に利休切腹の朝の利休屋敷に降り注ぐ雨と轟く雷鳴。屋敷を取り囲む三千もの兵に降り注ぐ雨。

・ 切腹21年前の天下人織田信長が堺の街中を馬で駆け抜ける情景。そして奇抜でいて不自然さを感じさせないいかにも信長好みの衣装。

・ 切腹6年前の秀吉が天下を驚かせた北野天満宮大茶会

・ 「火天の城」を髣髴とさせる安土城大阪城

 全てに東映京都撮影所の美術チームの伝統と自信が感じられる、日本の美を世界に知らしめるに相応しい見事な出来栄えであったと思います。

 そして今回は茶道を極めた利休が主人公とあって、小道具の誂えも美術展顔負けの豪華さ。様々な名品が登場しますが、その中でも一際光っていたのが

・ 切腹21年前に宗易(当時の利休)が名物狩りに来た信長に披露した何の変哲も無い硯箱。その蓋を裏返し、描かれた象嵌の上に水を張り、そこに空に浮かぶ満月を映し出した見事な演出。その映像の美しさには息を飲みました。

・ ラストシーン。畳の上に置かれた茶碗と香合。見事切腹して果てた利休のために妻・宗恩が点てた末期の茶。その器は実際に利休が所持し、万代屋(もずや)宗安伝来の長次郎黒樂茶碗。その銘「万代屋黒」。そしてその横に置かれたこの映画の鍵を握る緑釉の香合。じつはこのシーンは原作にはなく、ストーリーの結末を大きく変えた演出なのですが、そうするに値するだけの説得力を持つ見事な一幅の絵となっておりました。

 さて、東映を誉めたら次は松竹。

 市川海老蔵。松竹歌舞伎の看板を背負って立つ男だけのことはあります。冒頭の場面、切腹の日の朝、白装束で縁側に正座する姿勢の美しいこと。利休という人物の器の大きさ、美を探究するために重ねてきた齢の重みを、一瞬にして表現してしまいました。

 宗易、利休の時代の彼の所作の一つ一つの折り目正しさ、美しさは実際映画を観て堪能していただきたいと思います。そしてよく海老蔵の魅力のひとつとして語られる「目力」の強さも、スクリーンを通して感じ取ることができました。

 一方で人格形成のできていない遊び人の与四郎(後の宗易、利休)との演じ分けも見事。海老蔵といえば私生活でも話題を振りまいてしまった過去がありましたが、こういう場面での芸の肥やしになっているのではないか、とさえ思いました。

 父の故團十郎の出番はそう多くはありませんでしたが、さすがの貫禄でした。良い思い出を作って冥土へ旅立たれたのは幸せなことではなかったでしょうか。ご冥福をお祈りします。

 そして他の俳優陣も見事な演技をみせています。特に中谷美紀。演技の上手さはもう折り紙つきですが、先日の「清須会議」での寧役でのはしゃぎっぷりとは対照的なの演技で稀代の芸術家利休の妻を演じきりました。
 そして心の奥に抱えていた女としての煩悩を最後に爆発させるシーン。切腹して果てた夫の懐から抜き取った緑釉の香合を庭に投げつけようとする際の表情。先程も述べたとおり、原作とは違う結末なのですが、あの演技だけで原作者もその変更に満足したのではないかと思えるほどの凄みがありました。

 続いてはやはり大森南朋。先日の清須会議での大泉洋もそうですが大体において秀吉をやる俳優は得をしますね。大泉洋は出自の卑しさと人たらしの上手さを好演していましたが、今回の大森南朋は藤吉郎、羽柴秀吉豊臣秀吉と出世していくにしたがって変わっていく様を、きっちりと演じ分けていました。演技巧者という点ではやはり大泉洋よりも一枚上です。だからどちらが良いともいえないのが映画の面白いところですけれどね。
 一番の見せ所は最後に利休の切腹を知って大笑いしながら涙を流すところでしょうか。ざまあみろという気持ちの奥底に潜んだ、それとは裏腹の利休への憧憬という難しい心情を演じきったインパクトのあるシーンでした。

 そう言えば彼がこの秀吉を演じている頃、父の麿赤児も以前拙ブログでも紹介した劇団新感線の「Zipang Punk」で秀吉を怪演していました。海老蔵とともに親子共演だったわけですね。

 さて、原作を読んで一番気になっていたのが利休の若き日の一目惚れの相手である高麗の高貴な女性役。敢えて情報は仕入れずに観たのですが、クララという初めて見る女優さんでした。それもそのはず、スイス生まれで韓国で活躍している方だそうです。演技としては可もなく不可もなく、美貌も(こちらが期待しすぎていたのも悪いのですが)それほど圧倒的なものではありませんでしたが、口元を隠して一口お粥をすする所作の高貴さには見惚れました。

 その他、ほんの短い出演で強烈な印象を残したのは信長役の伊勢谷友介。馬乗りの見事さ、傍若無人でいながら審美眼の確かさを見せつけるあたりの上手さが光っていました。「あしたのジョー」でもそうでしたが、役作りにかける情熱と頭脳の明晰さ、俳優として一流ですね。今度の「るろうに剣心」での四之森蒼紫役も楽しみです。

 さて、最後に称賛すべきは監督田中光敏。芸達者の俳優陣を巧みに舞台の中に溶け込ませ、映画化するのに難しい原作の構成を上手く紐解き、原作とは微妙に異なった、映画としての「利休にたずねよ」という作品を作り上げました。その手腕には前作の、同じ山本兼一原作の「火天の城」以上に光るものがあったと思います。

 というわけで、日本の映画製作の底力を知ることができる秀作であったと思います。邦画ファンには是非お薦めしたい一本です。そうそう、エンドロールでの岩代太郎の静謐で風格のある音楽も印象に残ります。

評価: B: 秀作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)