ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

わが母の記

わが母の記 [DVD]
  お正月は観たいTV番組がそんなにあるわけもなく、やっぱりレンタルで映画を観るということになりますね。今年はこの映画を借りてみました。井上靖氏の後期作品「我が母の記」の映画化です。
 井上靖氏は多くの自伝的作品を書いていますが、私は「しろばんば」という作品がとても好きで、小中学生時代に何度も読み返していました。氏は5歳時から8年間、曽祖父のお妾さんと二人で伊豆湯ヶ島の本家の離れの土蔵で生活をしていました。母が長男一人を置き去りにして引越しをするのには複雑な裏事情があったのであろうと、子供心に思っていましたが、本作ではそのあたりの事情が、老いて認知症が進行していく母の描写を通じて丹念に描かれています。

『2012年日本映画 配給: 松竹

監督 原田眞人
原作 井上靖
脚本 原田眞人
撮影 芦澤明子

キャスト
役所広司樹木希林宮崎あおい南果歩キムラ緑子 他

井上靖の自伝的小説「わが母の記」3部作(講談社文芸文庫刊)を、「クライマーズ・ハイ」の原田眞人監督が映画化。役所広司樹木希林宮崎あおいら実力派キャストで10年間にわたる親子、家族の愛を描く。昭和39年、小説家の伊上洪作は、父が亡くなり母・八重の面倒を見ることになる。幼少期に母と離れて暮らしていたため距離を置いていた洪作だったが、妻や3人の娘、妹たちに支えられ、自身の幼いころの記憶と八重の思いに向き合うことに。八重は薄れゆく記憶の中で息子への愛を確かめ、洪作はそんな母を理解し、次第に受け入れられるようになっていく。第35回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門で審査員特別グランプリを受賞。(映画.com)』

 一言で感想を言えば、手堅い上にも手堅い磐石の態勢で製作された家族劇であるという印象でした。このあたりはやはり家族劇が十八番の松竹ならではと思います。
 良く練られた脚本、安定感のあるキャスティング、伊豆をはじめとするロケ地での四季の色彩を見事に切り取った深みのある映像、加齢による変化を丁寧に細部まで作りこんだ各俳優のメイクと演出、控えめながら効果的なBGM等々、映画作りの定石を忠実に守った、お手本のような映画であったと思います。
 一つだけ難点を言えば、台詞が聞きとり辛いところが何箇所もありました。演技に合わせた自然なしゃべり方を監督は求めたのだと思いますが、聞き取れなければかえって無意味だと思います。当然ながら井上靖氏の小説を読まずにご覧になる方もあるわけで、前半で主人公親子をはじめ三代にわたる多人数の登場人物の関係を把握出来なければ、途中でこの映画への興味をなくしてしまうのではないでしょうか。
 幸い私はDVDで見たので何回か巻き戻して確認することが出来ましたが、映画館で観られた方はそれができません。このあたりは本映画のみならず、日本映画全般の傾向であると思いますので、製作サイドには一考を求めたいところです。

 閑話休題、ストーリーは1960-70年代を中心に作家として成功した主人公と、認知症が徐々に進んでいく母を中心として進んでいきます。主人公は

「5歳時から8年間も母に捨てられた」

という恨みと心の傷が未だに癒えておらず、一方の母は記憶を徐々に無くしていきつつも、

「あの女(曽祖父の妾)に息子を預けたのは一生の不覚だった」

と、再び一緒に暮らすようになってからも自分になつかなくなった主人公を伊豆に置き去りにしたことを後悔しています。もちろんそれには戦前の家族主義が絶対であった頃のやむをえない事情があったことが後半に明らかにされますが、この親子の微妙な心の綾が随所にさりげなく描かれていて心に深く余韻を与えます。

 特に印象的なのは映画冒頭の、主人公5歳時の母との別れの場面。土砂降りの雨の中、軒下でじっと自分を見つめる若い頃の母親が自分を見据える視線。その刺すような視線は冷徹さをも感じさせるほどであり、主人公の心の傷を端的に表現しています。少し赤みがかったセピア色のモノトーンの色彩とも相まってとても印象に残るシーンです。ちなみにこの若い頃の母役は主演の樹木希林の娘である内田也哉子さんですね。作品の趣旨をよく理解した凛とした佇まいであったと思います。

 その心の傷も認知症の介護を通して徐々に氷解していきます。もう自分を認識することさえままならなくなった母が、小学校時代に書いてとっくの昔になくしたと思っていた詩を大事に持っていて、今でもそらんじて読めることを知った時の驚きと感動の涙。
 徘徊が止まなくなり、ついに行方不明になっていた母が向かっていたのは昔自分が学生時代に泳いでいた沼津の海岸。そこで母をおんぶする主人公の心にはおそらくもうわだかまりは消えていたでしょう。

 もちろんそこまでに至る過程はきれいごとばかりではありません。当初呆けているのか、いるふりをして意地悪をしているか疑心暗鬼になり振り回される(特に実家の長女)家族、介護制度や施設もない時代、子供が順番に引き取らざるを得ないことから起こる悲喜こもごもの騒動、宮崎あおいをはじめとする子供世代の考え方の違いに怒り戸惑う主人公。60-70年代という家族主義から個の時代への端境期にある時代背景をふまえつつ、それらの周囲事情を描くことで、物語に深みを与えていました。

 個人的に面白かったのが、井上靖という偉大な小説家を主人に持った一家の裏事情。今では廃れてしまいましたが、当初は検印を一冊一冊貼っていましたから、何万部も売れるベストセラー作家になると家族総出で一日中貼らされる羽目に陥ったり、その小説自体に自分たちが描かれることになったり。特にそのことに対する不満が強い末妹(宮崎あおい)との葛藤が本作のストーリーのもう一つの軸になっています。

 それら様々のエピソードを積み重ね、母は長女の介護する伊豆の実家で息を引き取ります。母に対して様々な感情を抱いていた人々が見せる涙には、さすがにこちらも涙を禁じえませんでした。特に「使用人」と言われ続けながらも最期を看取った長女が、電話口で主人公にねぎらいの言葉をかけられた後の号泣。キムラ緑子の渾身の演技には泣かされました。

 ということで、今更個々の俳優の演技をどうこう言うのも野暮と思いいますが、去年見ていれば、昨年最後の記事「今年の映画レビューを振り返る」で主演、助演女優賞に該当者なしとすることはなかったですね(苦笑。
 もちろん、主演が樹木希林、助演がキムラ緑子さんです。
 樹木希林は、最近TVCMでも認知症を演じていますが、巧過ぎる。この方はどんな映画でも巧過ぎて逆に気に障ってしまうのですが、あれだけ自然体で認知症を演じられると、職業として認知症の方を見続けている私にとっても今回だけは脱帽でした。

 主人公の役所広司も「堅実」のきわみ。まあこの人以外の人選は考えられないだろうな、というキャスティングに応えていました。
 娘役の宮崎あおいはのびのびとした演技。何と中学生時代から演じるのですが、童顔ですからそれなりに中学生に見えました。監督からは特徴である「アヒル唇」を少女時代までで封印するように演技指導をされたそうで、なるほどこれが演出の妙かと思いました。
 それ以外も的確なキャスティングでしたが、先ほど述べたようにキムラ緑子さんの演技が特に光りました。「使用人」といびられて激怒する前半、そして最期を看取って号泣するラスト、強い印象を残す名演でした。

 というわけで、井上靖氏のファンはもちろん、どなたにでも勧められる優れた家族劇であると思います。最初に述べたように台詞で聞き取りにくいところがありますので、ボリュームは大きめにして観て下さい。

評価: B: 秀作
(A: 傑作、B: 秀作、C: 佳作、D: イマイチ、E: トホホ)