ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

100000年後の安全

100,000年後の安全 [DVD]
 東日本大震災により起こった福島の原発事故により、思わぬ脚光を浴びたヨーロッパのドキュメンタリー映画があります。それは無害になるまでに10万年と言う途方もない時間がかかる「核廃棄物」の問題を扱った映画「10万年後の安全」です。今回DVDになったのを機会に観てみました。

『2009年、デンマークフィンランドスウェーデン、イタリア映画
配給・宣伝:アップリンク

監督・脚本:マイケル・マドセン
脚本:イェスパー・バーグマン
撮影:ヘイキ・ファーム
編集:ダニエル・デンシック
出演:T・アイカス、C・R・ブロケンハイム、M・イェンセン、B・ルンドクヴィスト、W・パイレ、E・ロウコラ、S・サヴォリンネ、T・セッパラ、P・ヴィキベリ』

 日本でも高レベル放射性廃棄物地層処分は論じられていますが、まだ建設に至ってはいません。その地層処分を世界に先駆けて政府が決定し工事が始まっているのがフィンランドのオルキルオトにある最終処分場オンカロです。
 映画はオンカロに関わる企業や役所の関係者、工事現場の作業員、専門の学者等へのインタビューと、オンカロの現場の映像を交互に描いていきます。

 このような構成はドキュメンタリーではありふれた手法にもかかわらず、とてもシュールで非現実的な印象を観るものに与えます。
 この映画ではまず章ごとに暗闇の中で監督がマッチを擦って火をともし、カメラに向かって語りかけるのですが、その相手として想定しているのが未来の人々なのです。すなわち、10万年という途方もなく長い期間の中のどこかの時点の未来でこのオンカロの施設を発見し侵入しようとしている人に話しかけているのです。
 もちろん観ているのは今現在の私たちですが、こういう語りかけをされるとどうしても10万年という途方もなく長い年月を考えざるを得ません。この年月を強く意識させることが非現実感につながっているのだと思います。

 一体この間に人類はどう変化しているのか?
 途中で氷河期が来るといわれているが絶滅しないのか?
 今現在の言語は通用するのか?
 しないとすればどうやって核廃棄物の危険を未来の人類に伝えるのか?
 言語が通用しないのなら未来の人類は放射性廃棄物の入った容器をなんだと思うだろうか?
 考古学者が遺跡を発掘するように、この容器の封印をとかないという確証はあるのか?
 或いは内容が分かったとして、それを何かに利用する可能性はあるのだろうか?

 インタビューでこのような非現実的な質問を突きつけられた人たちは、戸惑いながらもある程度の回答はしますが、最終的には

「それほど先のことはわからないとしか言いようがありません」

という答えざるを得ません。当然と言えば当然なのですが、そのような長い間有害である物質を人類は作り出してしまったことにあらためて慄然とします。

 この非現実感に更に追い討ちをかけるのが、オンカロの映像。一時貯水プールの無機質な美しさや、掘削現場のトンネルの非現実感。未来の人間が見ているとすると確かに何かの遺跡に見えなくもありません。もちろんこれは映画スタッフが撮影や編集、背景に流れる音楽等を用いてその効果を狙っているのですが、どのシーンも良く考え抜かれていると思います。

 とにもかくにもあと百年もすればフィンランドだけで作り出される廃棄物でこのオンカロは満杯になるそうです。では世界レベルではどれほどの地層処分場がいるのか?地震国日本はどうなのか?10万年という時間を突きつけられると考えようにも考えようがなく、茫然としてしまいます。しかし現実には山のような放射性廃棄物があります。

 今回の原発事故が「神話」を崩壊させて安全性の再検討を現実としましたが、それでもなお代替エネルギーだけでは不十分で原子力発電は必要、というのが「今現在」の現実のようです。しかし今の需要だけの問題ではなく、このもう一つの「10万年」の問題をも含めて考えないといけないことをこの映画は教えてくれます。