ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

内田光子&クリーヴランド管弦楽団@兵庫県立芸術文化センター

Uchidamitsuko101112
 昨日兵庫県立芸術文化センターで開館5周年記念事業の一環として「内田光子クリーヴランド管弦楽団」のコンサートがあり、いそいそと出かけてきました。
 と言うのも、オーディオファイルにお馴染みのスキンヘッド柳沢功力先生の講演で内田光子のピアノを聴いてハンマーで殴られるような衝撃を受けて以来(ハンマークラヴィアではなかったと思いますがw)、ピアノではずっと彼女にはまっておりまして、生演奏を聴く機会を心待ちにしていたのです。しかも名門クリーブランドを弾き振りされるとのこと。これは美味しい。というわけで至福の時を過ごさせていただきました。

Hhogopac101112
日時 2010年11月12日(金)  19:00 
会場 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール

ピアノ・指揮  内田光子 (ピアノ&指揮*)
管弦楽  クリーヴランド管弦楽団 

プログラム 
モーツァルト:ディヴェルティメント ヘ長調 K138 
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K488 *
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K491 *

『 英国在住の世界的ピアニスト、内田光子。これまでの数々の輝かしいコンクール歴はもとより、ベルリン・フィルニューヨーク・フィルボストン交響楽団コンセルトヘボウ管弦楽団などとの華麗な共演歴、そして、モーツァルト弾きとして数々の録音と演奏活動で、名声を得ている内田光子が、兵庫県立芸術文化センターに初登場する。
 共演するオーケストラは、録音で共演したクリーヴランド管弦楽団。このアメリカのオーケストラは、ヨーロッパ的な響きを聴かせる1918年設立の名門。アメリカのビッグファイブ(5大)オーケストラとしても人気と名声を博している。
 コンサートはただ一度きりのもの。大切なその一回。宝物となる極上の一夜を選びたい。(オフィシャルHPより)』

 まずはクリーブランド管の弦楽パートによるディベルトメントK138で幕が上がりました。さすがジョージ・セルが鉄の規律で鍛え上げた伝統を持つ世界有数の弦楽パートだけあって、その音色の美しさとコク、深さは絶品。統制の取れた寸分の狂いも無いユニゾンパートは目を閉じると、まるで弦楽五重奏を大音量のスピーカーで聴いているような錯覚を起こすほど。K136とともに有名なK138のひたすら美しい旋律を楽しませていただきました。

 終了後スタインウェイのグランドピアノがステージ中央に鍵盤を客席に向ける形で置かれて、オケが着席。オケは1stヴァイオリンが向かって左手、2ndヴァイオリンが向かって右手の対向配置です。これはアメリカで初めて導入したクリーブランド管の伝統ですね。主題の受け渡しなどステレオ的でオーディオファイルにはとても興味深かったです(w。
 そしてピアノの向こうの雛壇に管楽器と打楽器のパート。ここの構成は十人程度で、弦楽と合わせても、後世のマーラーなどの大規模な構成と比べると視覚的にもこじんまりとしておりました。

 さて、颯爽と登場した内田光子さん、思ったよりずっと明るくて立ち居振る舞いも若々しく軽やかで少々意外な印象を受けました。指揮の動作はエモーショナルで、音楽そのものに同化しているよう。その身体のうねりに見事にオケが感応して音を紡いでいく様は見ていて気持ちの良いものがありました。「モーツァルトの内田」というくらい得意にしていて最近はクリーブランド管と演奏を重ねているだけあってその辺はもう阿吽の呼吸ですね。

 さていよいよ彼女自身のピアノ演奏が始まります。さすがモーツァルトの内田、典雅で美しいパートも球を転がすような高速パッセージも完璧。芸術性の高い難曲二つを通してミスタッチかなと思うところは一箇所くらいしかなかったですね。
 ちょっと驚いたのは予想と全く違うタッチ。CDで聴くよりずっと軽やかでまろやかです。しかし考えてみればモーツァルトと言われて連想するピアノの音そのものでもあります。「モーツァルト的な、あまりにモーツァルト的な」と変なフレーズが頭をよぎりました(笑。

 さて、K488(第23番)はいかにもモーツァルト的な分かり易い構成とメロディで安心して楽しめます。典型的なソナタ形式の様式美が明快で親しみやすい第一楽章、シチリアーノ風のピアノの旋律が印象的な耽美的な第二楽章、そしてロンド形式で盛り上がる第三楽章。ピアノ、弦楽器の美しさはもちろん、クラリネットの演奏も印象的でした。

 20分の休憩を挟んで後半はモーツァルトのP-Conとしては珍しい短調曲(これを含めて二曲のみ)のK491(第24番)です。この曲が作られた時期にはモーツァルトの人気に翳りが見えてきていて、その原因の一つとしてあまりに曲が芸術的になり過ぎた事が挙げられると言われています。
 確かにK488に比べると暗い情熱を感じさせる曲調で幕を開け、その後の構成も複雑になっています。K488のわずか20日後(1786年3月24日)に完成された作品とはとても思えません。このような最後まで緊張を強いられるような曲は当時は歓迎されなかったのでしょうね。
 しかしベートーヴェンなどのもっと暗くて複雑な曲も聴きなれた現代人にとっては、これくらいの曲の方が緊張感があり、しかも聴き甲斐のある曲と感じます。第三楽章最後の、ライブらしいデュナーミクを効かせた全強音のフィニッシュまで見事に統制の取れた名演を聴かせて頂いて感極まりました。
 唯一残念だったのは観客の方。後半で緊張が途切れたのか、はたまた季節柄か、あちこちで演奏中に咳が聞こえ、度々緊張の糸が途切れそうになりました。

 しかしそれを乗り越えて上述した見事なフィナーレが終わった瞬間から嵐のような喝采スタンディングオベーション内田光子さんのカーテンコールも4回に及びました。最後はコンマスとダンスを踊るように退場していかれましたので、会場の音響の良さと相まって彼女にしても会心の出来だったのではないでしょうか。
 チケットは少々お高うございましたが(笑、行って良かったと思える内田光子体験でした。