ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

オラクル・ナイト / ポール・オースター(柴田元幸訳)

オラクル・ナイト
 明日から「読書週間」だそうで、お勧めの新刊を一冊。またオースター&柴田かよ、と言われそうですが、その通りでございます。
 実はポール・オースター・ファンを自称する私にも、長編処女作「The Invention Of Solitude(孤独の発明)」から最新作「Invisible(未訳)」までの彼の長編のなかでただ一冊だけ未読の小説があり、ずっと気にかかっていました。それが2003年に発表された「Oracle Night(邦題ラクル・ナイト、神託の夜という意味)」です。

 何故未読だったかと考えてみるに、前年に出た「The Book Of Illusions(幻影の書)」の印象があまりにも強烈だった(これに関してはリンク先のブログ記事参照)ために、あまり間をおかずして出たこの作品を読む気力が残っていなかった。それで機会を逃したままその後も、傑作と絶賛された2004年の次作「The Brooklyn Follies(未訳)」以降、続々と作品が出版されるため、ついつい新しい方へ目が向いてしまっていた、というところかと思います。
 というわけでそろそろ読むか、と思っていたところに、シンクロニシティではありませんが、オースターファンにはお馴染みの柴田元幸氏の訳本が出版されました。オースターの地文を良く知っているものにとって、柴田訳は

「オースターと柴田双方のストーリー&文章が楽しめる」

という美味しいメリットがあります。これを買わない手は無い(笑。もちろんオースターの原文の特徴を知らない方でも、柴田氏の訳はオースターの特徴をうまく捉えつつ、とても上質な日本語に転化されておりますので安心して手に取ってください。本の装丁も青を基調とした非常に上質で美しい仕上がりとなっています。

『重病から生還した34歳の作家シドニーはリハビリのためにブルックリンを歩き始める。不思議な文房具店を見つけ、そこで買ったブルーのノートに新しい物語を書きだすと…。美しく謎めいた妻グレース、ダシール・ハメットのエピソード、ガーゴイルのように動き出す物語の渦。ニューヨークの闇の中で輝くものを描き出す、感動の長編。 (AMAZON解説より)』

 訳者あとがきで、オースター自身が

「この前の『幻影の書』が交響曲だったとすれば今度の本は弦楽四重奏だね」

と訳者に語った、と書いてあります。まさにそうで、この本の内容を簡単にまとめようとすれば、

「病み上がりの経済的に困窮した作家兼編集者シドニー・オアの、妻グレースとの愛、互いの裏切り、そして回復を描いた、ほんの1、2週間の物語」

と、これだけの文章で済んでしまうくらいシンプルなものです。しかしそこはオースター、主人公夫妻にこれでもかとばかり、事件や厄災やハプニングを振りかけ、謎を孕みつつストーリ-は目まぐるしく展開していきます。

 そしてオースターの小説には無くてはならない「小説中小説(今回は柴田氏が物語中物語と読んでいるので以後そちらを用います)」もふんだんに盛り込まれています。今回は特にそれが顕著で、オースターも実生活でこんな風に小説を仕上げていくのかな、と想像させるような小説草稿書きのシーンはとても興味深いです。そしてその草稿の中にも「物語中物語」があり、まさに「物語中物語中物語」....ご丁寧なことにこれが題名となる「Oracle Night」という架空の天才小説家の未発表原稿なのです。この、小説の奥底で宝石のような光を放つ、半ばSF仕立ての悲劇の梗概も暗喩に満ちており非常に興味深いものです。

 この三重の構造をとるややこしさに加えて、今回は脚注が多く、序盤においてきっちりと「小説内の現実と非現実」を把握するのは結構大変です。原文でなく柴田訳で良かった、と思いました(苦笑。

 また、1990年代に「Smoke」「ルル・オン・ザ・ブリッジ」等のハリウッド映画にも関与しているオースターの実生活を思いおこさせるような物語中物語も出てきます。主人公がハリウッドからH.G.ウェルズの名作「タイムマシン」の映画化シナリオのオファーを受け、金のために急造ででっち上げたシナリオなんですが、これが結構面白い。
 でも結局ボツになり、主人公も『まったくの出任せ、とびっきり安っぽい夢想のカス』だからしかたないとさらっと受け流しているところなんか、オースターも意外と照れ屋ですね(笑。

 更には主人公だけではなく、彼等夫婦にとって重要な鍵を握る人物ジョン・トラウズも有名作家という設定で、彼の未発表小説『骨の帝国』はさすが「大作家」(ちなみにTrauseはAusterのアナグラム)の未発表原稿だけあって、構想が壮大で面白い梗概となっています。不確かな記憶ですが、これが後年の「Travels in the Scriptorium(未訳)」の物語中物語にちょっと似ていたりもして、まだまだオースターもポストモダンやなと(笑。まあ普通はこっちを先に読んでいるわけで順番逆ですが(汗。

 また彼の他小説とのかかわりで面白いなと思ったのは主人公がこだわるノートの色。彼はニューヨーク三部作以降、一貫して「Red Notebook」に異常なまでのこだわりを見せているのですが、今回は「Blue Notebook」を選択しています。違う色を選んだのは意外でしたが、話が進んでいくにつれ「」のノートブックは厄災を招き、やがては一行も書けなくなる、という設定ににやりとしてしまいました。
 そしてのノートブックを主人公は後半で手に入れようとしますが、どうしても手に入らないばかりかひどい目にあってしまいます。このあたり旧来からのファンを楽しませてくれると同時に、展開に絡んでくる妙な中国人との関わりも新味があってなかなか楽しませてくれました。

 その他にもオースター独特の語り口は健在。彼独特の言葉遊びもあり、ユダヤ人としてのこだわりも見せ、暴力やセックスも村上春樹とはまた違ったアングロサクソン的な筆致で頻繁に描かれています。まあ、手癖で書いてるとかマンネリであるとか言う批判も甘んじて受けなくてはいけないかもしれませんが。。。

 ただ、マンネリのジェットコースター・ストーリーとはいえ、この小説には前の「幻影の書」の喧騒とは違った妙な静謐さを感じます。そのあたりをオースターは、オーケストラのような華やかさではなく弦楽四重奏のような室内楽的な調和の取れた落ち着いた美しさに喩えているのでしょう。

 それがどのようなものなのか、オースターファンなら肌で感じることができると思います。オースターをあまり知らない方には、一読されてどこが静謐やねんと突っ込まれそうですが、とにかく読んで面白いことだけは受け合いです。秋の夜長の読書週間の一冊としていかがでしょうか。