ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

夢十夜 / 夏目漱石

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)
 そろそろ夜が暑くて蒸して寝苦しくなってきましたね。私も睡眠障害の気があるせいか、最近あまり楽しい夢は見ないです。それはさておき、そろそろ残された人生の長さを気にするようになってきたので、今まで読み損ねた世界文学の歴史的名著を片っ端から読んでいます。。。。。と、やっぱり結構疲れるんですよね、傑作というやつは(苦笑。
 そんな時、いつも手にとって読み返す、と言うよりはもう殆ど一字一句知り尽くしているので、ぼや~っと眺めていると言ったほうが適切かもしれない本があります。夏目漱石の「夢十夜」です。

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に (のちのおもひに)

という立原道造畢生の名詩がありますが、私の場合

読書はいつも「夢十夜」へかへつて行つた

という感じですね。

 「こんな夢を見た。

という有名な書き出しで始まる、十の夢が綴られている幻想的な短編集です。いや、短編というほどの長さも無く「小品」と呼ばれる事が多いと思います。川端で言えば「(たなごころ)の小説」、星新一で言えばショートショートでしょうか。

 もちろん短いから読み返しやすいというのもありますが、更には読むたびに受ける印象が変わってしまう不思議な物語でもあります。明治の時代にこんなある種不道徳な話ばかりが新聞に10回も掲載された事自体不思議な気もしますね。

 一般には第一夜が有名です。出だしの

こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。

という文章を皆さんも一度は目にした事があるのではないでしょうか。この美しい女が死んで百年、百合に変わって現れるまで待つ男の話です。百合と言う花のある種の隠微さも手伝って十夜の中でも際立って妖艶で幻想的な夢です。だからやっぱりいつもこの話から読んでしまいますが、かといっていつもいつもこの話が一番と思うわけでもありません。

 例えば第5夜の神代に近い太古の時代の馬を駆る女に惹かれたり、第七夜の船から落ちる男に妙に感情移入したり。

 とにもかくにも、漱石の作品群の中でも一際異彩を放っている作品です。夢の話であるのでこれぞとばかりに漱石の神経衰弱に関連付けて内面の不安や西洋と東洋の葛藤について論じてみたり、フロイトユング流心理学で彼の性的抑圧を解説したりした評論には何度も御目にかかりました。

 でも正直なところそんな解説などいらない。この作品を傑作たらしめている、その根幹をなすのは漱石の文章の上手さなのだ、と私は信じて疑いません。鴎外の理系の文章、芥川の天才の文章、それぞれに魅力はありますが、私は漱石のこの「夢十夜」の文章には敵わないと思います。
 夢を文章にするのは実に難しい技で、凝りすぎていてもいけないし、夢そのままの支離滅裂な文章でもいけない。そのあたりの虚実皮膜を実に上手くするリと乗り越えて、一流の文学足り得ている、神経衰弱を乗り越えた漱石の真骨頂がこの作品に結実していると思います。

 興味のある方は青空図書館に全文が掲載されているのでどうぞ。ちなみに70年を超えて著作権が切れているので、こうしてネットに掲載しても良いそうです。

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
(立原道造 のちのおもひに)