ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

新型インフルエンザ騒動の1年を振り返ってみる

感染列島 スタンダード・エディション [DVD]
 ふと振り返ってみて気が付いたのですが新型インフルエンザ騒動が勃発して丁度一年が経ちます。私のような職業の者にとってはこの一年はまさに嵐の渦中に放り込まれたような感覚でした。
 簡単に振り返ってみますと、事の発端は去年の4月頃アメリカで重症のインフルエンザが流行り始めたことで、程なくしてその初発地がメキシコであり、恐れられていたH5N1)ではなくからのインフルエンザウィルス(H1N1、以後このウィルスをH1N1pdmと呼びます、pdmはpandemicの略)がヒト→ヒト感染するようになったようだ、との推定がなされました。
4月下旬には水際作戦が始まったものの5月上旬には日本に侵入し、6月にはWHOが最終段階のphase VIpandemic、感染爆発)と認定し、以後今冬一杯まで大流行しました。死亡率は国によっても違いますが大体0.5~2%(季節性インフルエンザで約0.1%)で、亡くなられた方には大変お気の毒であったと思いますが、当初「moderate(中等度)」と予想されていた毒性が「弱毒型」であったのは幸いでした。

 この間の日本での国をあげての上から下への大騒動は今では何だったのか、と鎮静化した今でこそ言えますが、我々医療サイドは行政に振り回され、患者や病院に押しかける健常者に振り回され、揚げ句の果てにもう使い様の無いワクチンの大量の不良在庫に泣かされと、散々な目にあいました。

 ただ、冷静かつ客観的に振り返ってみて今回のパンデミック対策に関しては、厚労省をはじめとする行政は巷間些細なことで批判されてはいますが、まずまず良くやったと思います。去年の今頃舛添要一厚労相(あの頃はまだ自民政権だったんですねえ)が額に青筋立てて

「水際作戦で絶対に新型インフルエンザは日本に入れない」

なんて大見得を切っていましたが、おそらくその裏で厚労省官僚は鼻でせせら笑っていたであろうと思います。そのあたりにちょっとした悪意を感じないでもないですけれどもね(苦笑。
 大体潜伏期のある疾患に対して熱発の有無だけをチェックしていてH1N1pdmの侵入を防げるわけが無い。そんな事くらい専門家は百も承知であったはずで、舛添さんに世間の耳目を集めさせておいて、遅かれ早かれ入ってくる新型インフルエンザに関して世界中の情報収集に走り回っていたんだろうと思います。発症者が出てから弱毒型であるという見極めまで若干もたついたし、上に述べたように医療サイドにはいろいろと不満もありますが、その後の対策に概ね大きな失策はなかったと考えます。

 今回の騒動で一番愕然としたのは、読んでいただいている皆さんには失礼ながら

日本国民のエゴの強烈さ

でした。例えば初発地騒動。私もまさか地元の神戸から発症者が出るとは思いもよりませんでしたが、これにはいまだに誤解があると思います。

H1N1pdmを疑ってPCR検査をした開業医の先生がたまたま神戸におられただけ

の事で、おそらくその時点では日本中に感染者はいたはずです。医師会報にこの先生が顛末記を書いていらっしゃいますが、その後しばらく自分の医院が感染源であるかのように噂され、患者が激減するだけでなく、抗議電話の殺到などのいわれなき迫害まで受けたそうです。
 また、集団発生を出した大阪の高校の生徒は通勤の手段である公共交通機関に乗る事を疎んじられ、ひどい例ではバスの乗客から

感染るから出て行け!

と追い出された事さえあったそうです。
 マスクが飛ぶように売れるのは業界にはよかったのかも知れませんが、ネット社会の醜さをさらけ出すように案の定大量に買占めた輩がネットオークションに大量に出品しました。弱毒型と分かって殆どさばけなかったのは不幸中の幸いでしたが。
 とどめはワクチン。行政が優先順位をつけるのはトリアージ上ある程度仕方ない事ですが、それを無視した予約をねじ込もうとする人の何と多かった事か。
 このような状況であった上当初2回接種が必要と言われてましたから、国内分だけでは足りなくなる可能性があると国外からの輸入を検討したのも、行政も止むを得なかったのでしょうが醜いなあと思いました。

日本のように衛生環境の整い個人の栄養状態も良い国が弱毒型に対してどうしてそんなに焦るのか?

と海外のメディアはおそらく冷淡に、或いは理解できずに見ていたはずです。開発途上国で飢餓や貧困に苛まれている国にこそこのようなワクチンは必要であったはずで、国際機関を通じて優先的に流してあげることこそ先進国といわれる国の責務ではなかったのでしょうか。揚げ句の果てが大量に余ったから引き取ってくれでは国際的信用も何もあったもんじゃありません。

 H1N1pdmがほぼ弱毒型に間違いない、しかも高齢者での重症者・死者が少ない事が早期より判明していた以上、そのようなちょっと冷静に考えれば理解でき冷静に判断すべきである事に考えが至らない、あるいは強毒型に変異したらどうしてくれるというような恫喝に等しいプレッシャー、一体何という強欲な国になってしまったのだろう、と落胆しつつ新型インフルエンザの患者と接する毎日でした。

 今回のH1N1pdmに関してちょっとしたトリビアを付け加えますと、アメリカでは重症化した患者の45%が肥満ないし病的肥満であったそうです。ご存知のようにアメリカの病的肥満というのは日本と桁が違いますから(BMI40以上)、おそらく免疫低下をきたす糖尿病状態にあったのであろうと推定されています。高度文明の行きつく先の悲喜劇が見てとれますね。

 以上H1N1pdmは今後も当分は流行し続けると推測され、ハイリスク患者への対策は必要ですが、一般健常者がそれほど恐れる必要はありません。本当に怖いのはH5N1鳥インフルエンザがヒト→ヒト感染するようになり、新たな新型インフルエンザとなる事です。H5N1は明らかに強毒性であり死亡率60%と推定されていますから、それこそ映画「感染列島」の世界が現実に起こるでしょう。付き合いの深いアジア諸国が主たる鳥インフルエンザの感染地ですので、もし変異するなら当然そのあたりですから日本にもすぐ侵入すると予想され、そうなった場合ワクチンができるまでの人的被害、社会的損失は想像もつかない、というのが厚労相の本音です。映画「感染列島」自体は荒唐無稽もいいところでしたが、パニックという事に関してだけは現実にありえると思いますね。

 そのような中で期待されているのが、アジュバント入りの点鼻ワクチンです。これは広くA型インフルエンザに効くスペクトラムの広いワクチンで、新型が侵入してきてからでも十分前もって対策する事が可能となるはずです。まだ治験段階ですが、早期の実用化に期待したいです。