ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

80年代ジャズベスト10

 前回の70年代ジャズ編に続きまして、80年代編です。とは言ってみたものの、ロック、邦楽でも書いたように、自分自身が音楽を聴く暇が無くなってしまいますし、特にジャズに関しては殆ど記憶が無く、選ぶのにはかなり苦労しました。スイングジャーナルの別冊なども参考にさせていたきました。

 80年代ロックについての私見の中でロック・アーチストもみんな優等生にならざるをえなかった旨書きましたが、それはジャズでも同じことだったと思います。ジャズメンで麻薬をやってないものなど無かった50-60年代を何とか生き延びたミュージシャンの殆どは80年代初頭までに亡くなるか、病に倒れています。前回紹介したビル・エヴァンスアート・ペッパーもその範疇のアーチストですね。また最後の破滅型天才と思えるジャコ・パストリウスも1987年にその生涯を閉じます。
 そう考えると、マイルス・デイヴィスが第一線に復活したのは奇跡的でこの80年代にも素晴らしい作品を発表し続けたのは驚異的で例外的でしょう。他の主要ミュージシャンはまあウィントン・マルサリスほどのエリートではないにせよ、優等生然とした人ばかりとなってしまいました。私の好きな村上春樹の作品の一つに「国境の南、太陽の西」という小説があるのですが、その小説中でジャズ・バーを経営する主人公が

「時に神がかった天才的な演奏をしてくれるジャンキーの問題児は今の時代には必要無い。いつでもある一定のレベルの演奏をしてくれる紳士的なプレイヤーでないと今のジャズ・バーの経営は成り立たないんだ」

という旨の発言をしていますが、まさにその通りの時代となったんだろうと思います。その様な時代の空気の中でどのような作品があったのか、自分でも再発見をするつもりで選んでみました。

1980
Bill Evans Trio 「Consecration」
Consecration
 一つの時代が終わった事を告げる挽歌とも言うべき傑作。80年9月ニューヨークでの公演中にビルは倒れ、帰らぬ人となりました。アルコールによる肝硬変並びに出血性胃潰瘍が死因でしたが、もう随分前から公演など無理な体になっていたのでした。それにもかかわらず彼は病院行きを拒否し、新しいマーク・ジョンソンジョー・ラバーバラとの新トリオに最後の情熱を注いでいました。このアルバムはその直前サン・フランシスコのキーストーン・コーナーでのライブで、スコット・ラファロポール・モチアンとのトリオに匹敵するような素晴らしい演奏が涙をそそります。今はコンプリート版しかないようで17000円はイタイですが、買って損のない作品であることは確かです。

Grover Washington Jr 「Winelight」

ワインライト
 グローヴァーは本邦では過小評価されていたきらいがありますが、この作品もおりからのメローブームに乗って大ヒットしてしまったために、ジャズファンからはそっぽを向かれてしまいました。でもマーカス・ミラーや元Stuff連中のリズム・セクションの作り出すグルーブは強力で、それに乗って伸び伸びとブローするグローヴァーのサックスももちろん一級品。タダの軟弱なイージーリスニングでない事は虚心坦懐に聴けば一発で分かるのですけれどね。とにもかくにもあの時代を代表する一枚であることは確かだと信じます。

1981 
Miles Davis 「The Man With The Horn」
The Man with the Horn
 まさしく「王の帰還」。アル・フォスター以外は殆ど無名の新人と組んで新しい音楽観を提示した作品に世界中が湧きかえりました。特に新人の中で「蚊トンボ」とマイルスが呼んでいたマーカス・ミラーが全面的にマイルスをサポートしています。ただ、昔と全く違うポップス的なサウンドに旧来のジャズファンは戸惑いを隠せませんでした。でもロックファンからすると十分にジャズでした、それもとびっきりかっこいいね。一曲目の「Fat Time」なんか本当にしびれました。もちろん完成度では後年の「You're Under Arrest」の方が上かもしれませんが、インパクトの点ではこのアルバムに勝るものは無かったと思います。

Micel Petrucciani 「same」
ミシェル・ペトルチアーニ・トリオ
ミシェル・ペトルチアーニ・トリオ

 80年代のアコースティック・ジャズ・ピアニストで、新たな感性を示してくれた人と言えばこの人でしょう。彼の演奏は、かのチャールズ・ロイドを奮い立たせ、再起に導いたほどでした。このアルバムは通称「赤ペト」と呼ばれる初リーダー作ですが、ハンディキャップをものともしない流麗で且つ力強い演奏は素晴らしいの一言。ビル・エヴァンスの後継者と目されていた時期もありましたが、やはりこの人の個性も唯一無二のものだったように思います、残念ながら彼も夭折してしまいますが、これはジャズ界にとっては大きな痛手でした。

Jaco Pastorius 「Word Of Mouth」
ワード・オブ・マウス
 自他ともに認めるジャコの最高傑作で80年代最高のジャズ作品であると思います。ウェザー・リポートでも主要レパートリーであった「Three Views Of A Secret」をはじめ、彼の作編曲能力が演奏能力と同じほど素晴らしい事を世に知らしめたアルバムです。
 しかし意外な事にこのアルバムはアメリカ本国では余り注目されず、翌年ウェザー・リポートを離れてからは持病の躁鬱病と酒及びドラッグ中毒による奇行が喧伝され始め、ついに87年に至って野垂れ死にのような無残な死が彼を襲います。稀代の天才にしてはあまりにも哀しい最期でした。

1982 
Shakatak 「Night Birds」
ナイト・バーズ
 イギリスのジャズ・ファンク・シーンから現れたグループで、このアルバムは日本でも大ヒットしました。私も社会人になりたての頃でしたがカーラジオにカセット突っ込んで良く聴いていました。何と言ってもビル・シャープの新鮮なキーボードのメロディ・ラインの心地よさがこのグループの生命線ですね。実は現在でも現役バリバリのグループで毎年来日しておられます。

1983
Kieth Jarrett 「Standards, Vol.1」
スタンダーズ Vol.1
 70年代の記事にも書きましたがキースは電化音楽には否定的な立場をとっています。その彼がスタンダードを演奏するトリオという伝統的スタイルに取り組んだ最初の作品で、スタンダードもキースゲイリー・ピーコックジャック・ディジョネットという凄腕の人間がやるとこれだけ斬新なものになるか、と当時大絶賛を持って迎えられました。そしてその後20年以上の長期間にわたり所謂「スタンダーズ・トリオ」としてレギュラーな活動を続けて行く事になります。ただ、このトリオが他の追随を全く許さないというところに逆にこの時代以降のジャズ・シーンの弱さが見え隠れしてしまいますね。

Herbie Hancock 「Future Shock」

Future Shock
 一曲目「ROCKIT」が80年代ジャズの新しい形を決定付けた、と言っても過言ではないでしょう。ハービーという人は本当に何でもできる才人で、このアルバムではヒップホップ・ロックを貪欲に取り込んでジャズの範疇を超えあらゆるジャンルのリスナーを虜にする傑作を作ってしまいました。後年「Futue 2 Future」で自らに落とし前をつけるまで、彼のこの作品に匹敵するようなバーサタイルな傑作を作れる人はいなかったように思いますね。

1984
David Sanborn 「Straight To The Heart」
Straight to the Heart
 サンボーンという人は泣きのサックスとか言って軽く見られがちですが、マーカス・ミラーと組んでいたこの頃は素晴らしいアルバムを連発していました。そしてこのアルバムはスタジオ・ライブを収録しており、バリバリ吹きまくるサンボーンを聴く事ができます。またそれ以上にと言ってはサンボーンに失礼ですが、マーカスのキラー・チューンとして有名な「Run For Cover」でのスラッピングは最高です。

1987
Pat Metheny Group 「Still Life (talking)」
Still Life (Talking)
 80年代を代表するギタリストとしてはパットかリー・リトナーを挙げないといけないのですがどういうわけかあと一枚しか選択の余地が残っていません(・_・;)。という事で、一番聴いていたアルバムを最後に推すことにします。PMGには他にも「オフランプ」や「アメリカン・ガレージ」などの傑作はあるのですが、聴いていてひたすら気持ち良い気分にさせてくれるこのアルバムを好きだという人は多いですね。南米音楽の影響が入っているのもその一因かもしれません。A面の「Minuando」に始まり「Last Train Home」に終わる流れの美しさは最高です。B面も佳曲揃いですが、手前味噌なことを言わせてもらうと、オーディオが良くなればなるほど真価を発揮するちょっと難しいサイドですね。

 寺島某に言わせれば「パット・メセニーというのはジャズの辺縁にいる人」だそうですが、裏を返せばコアな4ビートファンがいつの間にか音楽の周辺に追いやられていったのが70-80年代だった、、、のかもしれません。