ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

岩手旅行(3)イーハトーブの里を行く

Igirisukaigan
 さて、2日目は花巻温泉に宿泊し、3日目は夕刻のフライトまでフリーなのでレンタカーを借りて花巻市を回ってみる事にしました。

 花巻と言えば何をさておき宮沢賢治縁の地ですよね。という訳で冒頭写真は市内を流れる北上川の「イギリス海岸」です。賢治が

「全くもうイギリスあたりの白亜(はくあ)の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。」

というイギリスへの憧れから名付けたと言われる泥岩層の川岸です。そして写真の向こうに見えるのは早池峰山。これも雪を被った美しい山です。

 それにしても市街をこれだけゆったり広々とした清流が流れているのは東北の雄大な自然ならではなんでしょうね。残念だったのは桜が満開の展望所が閉鎖されていた事。勿体無いですね~、花見客防止のためなんでしょうか?

Yotakanohoshi
 市街を少し外れた新幹線新花巻駅の近くの小高い丘の上に、宮沢賢治記念館がありました。写真は建物のそばに立っていた「よたかの星」のモニュメント。賢治の作品の中でもとりわけ美しくて大好きな話なので嬉しくてパチリ、でも余計な姿が映しこまれてしまいました(>_<)。
 中はいろいろと工夫された展示がありましたが、やっぱり「永訣の朝」の原稿が印象深かったです。

「(あめゆじゅとてちてけんじゃ)」

を実際に見てみると涙腺が緩みます。

Takaumrasansou
 この写真は賢治と親交のあった高村光太郎先生の住まわれていた高村山荘です。ガイドマップで花巻市の南西の外れに見つけ、高村光太郎ファンの私としてはこれは行って見なければ!と車を走らせました。いやあ、NAVIって便利ですねえ(^_^;)
 高村先生は太平洋戦争末期の昭和20年5月、以前から知己だった賢治の弟清六の家に疎開しました。しかしその家も戦災を受け、転々としたあとこの杉皮葺の小さい山小屋で孤独な生活を始められました。齢62歳だったそうです。
 外は晴れており、ミズバショウも綺麗に咲いていましたが、建物の中に入ると底冷えがして寒かったです。本当に中は農家の蔵みたいな感じの粗末なもので、このようなところであの十和田湖の裸婦像の構想を練っておられたのか、と驚きました。パンフレットから抜粋してみましょう。

「氷点下二十度の厳寒、吹雪の夜には寝ている顔にも雪がかかり、生きているものは自分と何匹かのネズミだけ。炎暑の夏には蚊やブヨに悩まされての厳しい毎日でした。

 亡き妻智恵子の幻を追いながら、自らの手で自らの生活を守り、真と善と美に生きぬこうとした高潔そのものの理想主義的な生活でした。この”山林孤棲”の日常から愛と美の結晶というべき作品が生まれていきました」

 日本文学史の中でもとりわけ気高い精神性を示したこの二人の芸術家を育んだ、東北の厳しい自然がほんの少しだけ理解できた気がしました。