ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

Ladies Of The Road / King Crimson

hLadies of the Road
 去年ボズ・バレル氏の追悼記事を書いたばかりだと言うのに、また第2期キング・クリムゾンから一人天に召されてしまいました。DGMのニュースによりますと、ドラマーのイアン・ウォレス(Ian Wallace)氏が2月22日食道癌のため逝去されました。謹んでご冥福をお祈りします。

 冒頭のリンクはフリップ翁お得意の企画モノ(KCファンの間では「お布施」と言いますが)で、1971-2年のライブ・コンピレーションです。2枚組みで2枚目のCDは「Schizoid Men」という「21st Century Schizoid Man」のインプロ部分だけを延々とつないであるという、

イクラナンデモソリャナイダロドレダケボリャキガスムンダ

的なトホホ企画で、まあ余程の好事家にしかお勧めできる代物ではありませんが、Ianの「Notes from the Drum Stool」というライナーノートが載っていて読み返してみると涙を誘います。
 当時のKCのメンバーはバンドを可能な限り「西寄り=ジャズ」へ持って行こうとしていたようですが結局KCそのものであったフリップ翁が良しとせずバンドは解散してしまいます。そのあたりIanがKCに加入した時、そして解散する時にどのように考えていたか、抜粋してみましょう。

Then I came along. Oh Joy! At the time, all I ever wanted to be was either Tony Williams or Elvin Jones or both, with maybe a hint of Ringo Starr thrown in for good measure. The wind of this permetuation definitely blew the tree of King Crimson even further to the West. It was sort of like swapping Benjamin Podemski playing Rimsky-Korsakov's "Capriccio Espangnole" for Miles Davis' "Mademoiselle Mabry," ( I wish!)

By now the tree had been struck by lightning, three dead branches pointing to the West and the living part of the tree, though slightly singed, leaning back to the East.

Robert has been quoted as saying, "King Crimson was unfair opportunity for these exceptional players." On the contrary, I prefer to think of it more as "these exceptional players were unfair opportunity for King Crimson."
( By Ian Wallace Oct 7, 2002 )

 この後もイアンだけは奇跡的にフリップ翁との親交が続いていたようで、その西方向の念願がかなう形でクリムゾンの衛星企画としてのThe Crimson Jazz Trioで健在振りを最近でもアピールしておられ、我々ファンも第2作を期待していました。しかしもうそれが叶うことも無いと思うと寂しい限りです。合掌。