ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

ミスター・ヴァーティゴ / ポール・オースター

ミスター・ヴァーティゴ
はむちぃ: 今日は久々の書評でございますが、ご主人様お気に入りの米現代作家、ポール・オースター様の作品でございます。
ゆうけい: ついでに言っとくとお気に入りの訳者柴田元幸先生の訳です、作品自体は古いのですが今回やっと文庫版が出ましたのでご紹介いたします。
は: 「ミスター・ヴァーティゴ(Mr Vertigo)」というご主人様の持病がそのまま題名になっておりますが、
ゆ: よけいな事はイワンの馬鹿(古、私の専門分野と言ってくれたまえ、柴田先生に「Vertigo(回転性めまい、グルグル)」と「Dizziness(動揺性めまい、ユラユラ)」の違いを教えてあげたいくらいじゃ、ふおっほっほ~、うっ、ああ、めまいが(@_@;)
は: はいはい、レビュー参りましょ、レビューに(-_-;)

『 「私と一緒に来たら、空を飛べるようにしてやるぞ」ペテン師なのか?超人なのか?そう語る「師匠」に出会ったとき少年はまだ9歳だった。両親なし、教養なし、素行悪し。超然とした師匠の、一風変わった「家族」と暮らす奇妙な修行生活のなかで、少年がやがて手にしたものとは―。アメリカ文学界きっての語りの名手が編む、胸躍る歓喜と痛切なる喪失のタペストリ、心に迫る現代の寓話。』(AMAZON解説より)

は: 題名の通り、めまいがするようなジェットコースター的な運命の変遷の物語でございますね。
ゆ: ポール・オースターは栄光の後には必ず挫折を、名誉の後には汚辱を、富を得たら喪失を必ず用意してますから驚きはしませんが、それにしても目まぐるしい展開でしたね、そう言う意味では最もハリウッド映画的な構成に近づいた作品かもしれません。読んでいてちょっと「フォレスト・ガンプ」を思い出してしまいました。
は: 実際映画を意識した記述がございますね。主人公の少年が空中浮遊をマスターし、舞台が次々に成功をおさめていく場面でございますが、少し引用して見ましょう。

『これが映画だったら、日めくりカレンダーが次々めくられていくところだ。田舎道と回転草を背景にカレンダーがぱたぱたとめくられ、黒いフォードがオクラホマ東部の地図の上を進んでいき、いろんな町の名が現れては消える。軽快なリズムの、レジの音に似た、シンコペーションの効いた音楽が鳴り響き、ショットは目まぐるしく変わっていく。コインのあふれたバスケット、道路脇のバンガロー、拍手する手や地面を踏みならす足、あんぐり開いた口、目を丸くして空を向いた顔・・・・・・そういった映像が十秒くらいのうちにかわるがわる出てきて、終わったときには一か月間の物語が観客全体に伝わっている。古きよきハリウッドの手口。』(文庫版pp179-180)

ゆ: まことに見事な描写で、洋画ファンにはお馴染みの画面が目に見えるようです。
は: ちなみに1994年にこの作品が上梓されておりますが、その後オースター様は本当に映画制作に進出されておいででございますね。
ゆ: 「スモーク」(1995)「ルル・オン・ザ・ブリッジ」(1997)などがそうですな、彼にとってはポストモダン的作風から脱して本格的にストーリーテリングへ比重が移っていった時期なのでしょう。その後の「ティンブクトゥ」(1999)では正直言って少しパワーダウンした感がありましたから、90年代前半ー中盤が一番乗っていたのかもしれませんね。

は: 年代と言えば主な舞台が主人公の幼少年時代の1920年と言うのも巧みな設定のように思いました。
ゆ: おっ、良いとこ見てるね、はむちぃ君、TVと言うメディアが成立してからでは、地方と都会の文化度の違いも少なくなってしまうし、情報の伝わり方のスピードも桁違いになってしまうしね。確かに空中浮遊と言う如何にも怪しげな芸がどさ回りの舞台として成立し得た「古き良き時代」を持ってきたのは計算尽くだったように思います。TVの時代にあんな芸をやればきっと瞬時に食い物にされちゃっただろうね。
は: 人種差別、貧困、KKK団、大恐慌、大リーグ創生期、禁酒法、ギャング、リンドバーグの大西洋横断そして第二次世界大戦等々、面白いほど劇的な展開に事欠かないネタが満載の時代でもありましたし。
ゆ: それらを一人の男の人生の変遷に組み込んでいく、強引な力技はオースターならではですけどね。特に今回は人種構成が見事です、主人公が修行時代を暮らすど田舎の農場の登場人物を挙げてみましょう。

ウォルト(主人公): 父親はベルギーで毒ガス殺(つまり多分ユダヤ人)、母親は売春婦
イェフーディ(師匠): ハンガリーのジプシー、ユダヤ教教師
イソップ(兄貴分の天才少年): 捨て子の黒人
マザー・スー(世話役の女性): 有名なインディアン、シッティング・ブルの弟の孫
ミセス・ウィザースプーン(師匠のパトロンの未亡人): 金持ちの白人

と名前も意味深ですし、全てに意味がある設定となっています。そしてそれを伏線として後で大変な事件がおこるわけですが、これがもう痛切と言うしか言い様がないですね。それが実際あの時代のアメリカでは日常茶飯事として起こっていたと言うことには背筋が寒くなる思いです。

は: ちなみに師匠の名前は、あの稀代のマジシャン「ハリー・フーディニを連想させるようにはむちぃメ思うのですが?
ゆ: 作中で直接の言及はありませんが、フーディニハンガリー出身で20年代に活躍したマジシャンですから、先ず彼を下敷きにした人物造形と考えて間違いないでしょうね。いつもスピノザを読んでいたかどうかは分かりませんが(苦笑。
は: イェフーディ師匠がいつもラテン語スピノザの本を読んでいると言う設定でございますね、あれは一体何の本なのでございましょう?
ゆ: 多分「エチカ」でしょうけれど、ユダヤ教教師と言う設定のイェフーディが、ユダヤ教に批判的であったスピノザの本をこよなく愛していると言う設定は、自身ユダヤ系でもあるポールー・オースターの複雑な胸の内を垣間見る気がします。

は: 最後に柴田元幸先生の訳はいかがでございました?
ゆ: 地口の多いオースターの作品ですから随所に苦労の跡は見られますが、やはり柴田氏独特のテンポの良い語り口は健在ですし、主人公のスラングの多い喋り方をうまく表現されていると思います。

は: と言うわけで、めまいを快感にされているご主人様にはぴったりの作品でございました、旧来の作品に飽きて何か面白い小説はないかな?と考えられている方は是非どうぞ。そう言えば今回はご主人様のお好きなポストモダンネタは不発でございましたね(^_^;)
ゆ: ストーリーについて殆ど語らないレビュー自体がポストモダンですな(-.-)。でも、あるぞよ、ネタは。
は: た、例えば?
は: 主人公の甥の大学教授の名前がダニエル・クィンですな、そいでもってティンブクトゥ(はるか遠い場所)の地口が早くもこの小説で登場してたんですな、最後にやっぱり、西がオースター作品の登場人物には鬼門ですね。もいっちょいっとくと、表紙絵がアート・シュピーゲルマンさんです。分かる人限定でお楽しみくださいませ(^^ゞ