故人生幸朗師匠とともにぼやき漫才で一世を風靡した生恵幸子師匠がお亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りします。
リンク: 「責任者出てこい」生恵幸子さん死去(日刊スポーツ) - 芸能 スポーツ総合サイト:Sports@nifty.
『ぼやき漫才で一世を風靡(ふうび)した人生幸朗・生恵幸子の生恵幸子さん(いくえ・さちこ=本名赤田松子)が5日午後4時17分、脳出血後遺症のため大阪市内の病院で死去した。83歳。通夜・告別式は未定。02年に脳いっ血で倒れ入院。その後、約4年半にわたり闘病生活を続けていた。
幸子さんは54年(昭和29年)に16歳年上の人生幸朗さんとコンビを結成。82年に幸朗さんが亡くなるまで夫婦漫才の第一人者として活躍した。ぼやき倒す人生さんの「責任者出てこい!」という決め言葉に「出てきはったらどないすんねん?」と返し「謝ったらええねん」と締めるパターンが人気だった。夫婦は深いきずなで結ばれており「お父ちゃんが生きている時は憎たらしくて仕方なかったけど、今は好きでたまらない」と話していた。また、頻繁に刑務所慰問に出掛け、慰問先からもらった感謝状は100枚を超えた。』
リンク先の題名は正確に言うと間違っています。
「責任者出てこいっ!」
と叫ぶのは幸朗師匠で、それを受けての幸子師匠の決め文句は「何しょうもない事言うてんねん」に続いて発せられる名文句
「この~ドロガメッ!」
でした、私も時々ゆうはむ漫談で使わせていただいてますが(苦笑。これに対して幸朗師匠が
「おかあちゃん、ごめんっ!」
と返すところが可愛げがあって、説教老人臭い幸朗師匠が憎めなかったんですよね。
実生活では幸朗師匠は大変な人で(悪い意味で)幸子師匠は大変な苦労をされたようですが、お一人になられてからは懐かしく思い出しておられたようです。天国で幸朗師匠とまた漫才してください。