ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

ある疑念

 往く夏や 昭和は遠くなりにけり
なんて盗句をひねらなければならないほど太平洋戦争についての知識が若い人には乏しいらしいですね。とにかく8月6,9,15日だけは何の日か知っておいてほしいものです。という事で今日は8月9日、黙祷。

リンク: asahi.com:「毎年参拝私の思い」 小泉首相、メルマガでメッセージ�-�政治.

 上記の記事で小泉首相は6,9,15日の式典には必ず参列するとおっしゃっておられます。必ず靖国問題とセットで出てくる話題なのでかすみがちなのですが、とにもかくにも首相がこの式典に参加し続ける事は大事だと思いますし、その点では評価できる方だと思うのです。

 ところが、去年のみならず今年も、広島での平和記念式典での彼の挨拶がどうも気になって仕方がない。原稿棒読み丸出しなのは日本の政治家として仕方ないのかもしれませんが、どうにも不愉快そう、面倒くさそうに読んでいる感じが否めないのですね。故意ではないかと言う疑念がどうしても頭から去らないのです。

 自分だけかと思ってたら「世に倦む日々」でも取り上げられてました。やっぱりそう感じているのは自分だけではなかったのですね。私よりはるかに直截に小泉批判を繰り広げておられる方ですから、舌鋒も事のほか鋭い。少し引用させていただきますと、

昨年と同様、中身がなく、文面を読み上げる態度が不真面目そのもので、中継を見守る者を苛立たせる不誠実なものだった。あの態度は意図的なもので、慰霊の 日を貶める卑劣な挑発であり、平和を祈念する国民の真摯な感情を逆撫でする悪意の揶揄である。原爆で命を落とした犠牲者を冒涜し、生きながら後遺症に苦し む被爆者を侮辱し、そして唯一の被爆国である日本国と日本国民の立場を傷つける許すべからざる行為である。(中略)態度で表出している小泉首相のメッセージは、自分は被爆者の苦痛にも原爆の惨禍にも特に興味関心はなく、為政者として非核三原則を厳守する意思も平和憲法を遵守する思想も持っていないということだった。(thessalonike4さんの文章より)

あれだけ戦没者にこだわる方が原爆の被災者には何の興味もないのでしょうか。岩手日報に掲載されていた挨拶要旨をここに引用しておきます。この文章を故意に気に障るように読む、ということはある意味至難の技だと思いますけれどもね。

『 原爆の犠牲となった方々の御霊(みたま)に謹んで哀悼の誠をささげる。また今なお被爆の後遺症に苦しんでいる方々に心からお見舞い申し上げる。

 政府は被爆者の方々に対し、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきた。昨年秋からは、海外の被爆者がわが国の在外公館を通じて手当の申請ができるよう制度を改正した。今後とも、被爆者の実情を踏まえた諸施策を誠心誠意推進していく。

 広島は焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長している。広島の復興、発展に尽力された多くの皆さまに敬意を表する。

  わが国は人類史上唯一の被爆国として、その経験を国際社会に語り継ぐ責任がある。広島、長崎の悲劇はどこであっても再び繰り返されてはならないとの決意の 下、わが国は戦後61年の間、不戦の誓いを体現し実行してきた。わたしは犠牲者の御霊と広島市民の前で、今後とも憲法の平和条項を順守し、非核3原則を堅 持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立ち続けることをあらためて誓う。』 (岩手日報2006年8月6日)

原爆症認定の訴訟はまだ延々と続いています。

追記(8月10日):

本日のきっこのブログを見て怒り心頭に発しました。本当に卑劣な男です。