ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

うらなり

 久しぶりに小林信彦氏の作品を読みました。知的好奇心を満たしてくれる佳作です。
うらなり

坊っちゃん』から100年、“うらなり”が見た人生の真実。明治、大正、昭和を生きたひとりの知識人の肖像を卓抜な着想と滋味あふれる文章で描き出した著者渾身の小さな大傑作。

 夏目漱石の「坊っちゃん」は日本人なら(少なくとも昭和世代までの人なら、と断りを入れねばならない時代かもしれませんが)一度は読んだ事のあるはずのポピュラーな作品でしょう。
 実は漱石の作品でこんなに明るい青春小説はおそらくこれっきりだったと思います。ロンドンで鬱に陥った事のある漱石ですが、逆にこの時期は躁だったのかもと思わせるほど。しかも創作ノートによると「猫」と同時進行で短期間で書き上げたとの事で、勢いに任せて書いた面は否めません。その勢いが乗り移ったような主人公の江戸っ子坊っちゃんは、四国の田舎の学校を引っ掻き回してさっさと東京に帰ってしまうわけですが、そこで誰もが感じる違和感をずばりついたのがこの小説です。

 小林氏の執筆の動機は

「本当はうらなり先生にとって坊っちゃんははた迷惑なだけの理解不能の人間だったのではないか」

マドンナをめぐる騒動の主人公は、うらなり山嵐教頭赤シャツであって、坊っちゃんには何の関係もないのに何故あんなに張り切っているのか」

というところ。そのあたりを大正の世の中まで生きたうらなり山嵐の東京での再会を軸に丹念に描いています。

 日本文学はもとより、古典芸能、喜劇、TV界に精通し、東京をはじめとする日本の昭和からの変遷を肌で感じてこられ、そして何よりも常識というものをしっかりわきまえておられる小林氏の筆致は、漱石の原作の雰囲気を少しも損なうことなく、後日談として立派な作品に仕立て上げられたと思います。
 また、創作ノートは一つの「坊っちゃん論」「漱石論」としても読めるほどしっかりしたものです。敢えて言うとこちらの方が面白いと思われる方があってもおかしくないほど。

 個人的には「マドンナ」という大層なニックネームをつけられているとは言え、当時で言えば「片田舎」の育ちのよい美人が、その後どのような人生を送ったのだろう、栄華の夢は見られたのだろうか?と長年思ってきましたが、この小説の設定には結構納得してしまいました。

 また、坊っちゃんの名前は××××、という点については全く忘れていました。小林氏も驚いたようですが確かに興味深いです。

 また漱石の本を読みたいな、と思わせれば小林氏の本望でしょう、今度実家に帰ったら読んでみようと思いました。