ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

シド・バレット氏を悼む

Syd
 ようやくココログのメンテが終了いたしました。メンテ中も色々な事がありました。ジダンの頭突き後の騒動、、、日本外交の失態、、、、元アイドル歌手の自殺、、、キヨシローの入院、、、何れも哀しい事ばかりですが、その極め付けがシド・バレット氏の逝去でした。享年60歳、心よりご冥福をお祈りします。

2006年7月12日 (水)(AFP時事より)

【ロンドン11日】英国のロックバンド「ピンク・フロイド」の結成時のメンバーだったシド・バレット氏が死去した。60歳だった。バンドのスポークスマンが11日、数日前に同氏が静かに息を引き取ったことを明らかにした。

 バレット氏は1965年に、友人のロジャー・ウォーターズピンク・フロイドを結成。21歳でロック界の大スターとなった。しかしその後、麻薬中毒となり、演奏活動にも支障をきたすようになったため、68年、バンドを抜けてソロに転向した。晩年はケンブリッジで好きな絵を描くなど、隠遁生活を送っていた。

 バンド名のピンク・フロイドは、バレット氏が、好きだった2人のマイナーなブルース歌手、ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルの名前を合成して命名したといわれている。

 ピンク・フロイドは今でこそプログレッシブ・ロックの代表として扱われていますが、デビュー当時の60年代後半は「サイケデリック・ロック」と呼ばれていました。別名アシッド・サウンドとも呼ばれていたように、麻薬による音覚と視覚の幻惑と混沌から産まれた音楽の異端児、鬼子とも言えるものでした。とは言え超大物だって麻薬にどっぷり浸かっていたわけで、ビートルズ「ホワイト・アルバム」クリーム「カラフル・クリーム」も当時の世相にかなりの衝撃を与えてました。
 しかし、麻薬に縁のなかったはるか東国の私のような厨房から見ても「これこそサイケデリックだ」と感じさせたのは初期のピンク・フロイドだったと思います。

ピンク・フロイドの道
ピンク・フロイドの道

 シド・バレットの作り出した音楽は、デビューアルバム「夜明けの口笛吹き」とシングル主体ののベスト集「ピンクフロイドの道」、ギルモアが参加して事実上解雇された「神秘」の3作で聴く事ができます。「アーノルド・レイン」「シー・エミリー・プレイ」「天の支配」「バイク」等々の傑作は今聴いても新鮮で、彼の才能、資質の特異性を感じざるを得ません。

 彼の在籍時とその後のピンクフロイド(=ロジャー・ウォーターズ)の音楽性の違いは一目瞭然です。「狂気」「偏執」を孕んだ「天才」がシドの資質であるとすれば、彼を思慕・嫉妬しつつ「完成度」「構成力」「普遍性」を血の滲むような努力によって獲得していったのがロジャーであったと思います。

 よく天才と狂気は紙一重といいますが、医学的に言えば統合失調症のような精神疾患の患者が芸術と呼べる作品を想像する事は不可能です。ですから如何に天才とは言え、本当に精神を蝕まれてしまったシドがそれ程長くこの世界に留まる事は不可能でした。1970年にソロ作2作を発表した後はもう第一線に復活する事はありませんでした。

 「狂気」「炎~あなたがここにいて欲しい~」においてシドを思慕し続けたロジャーは痛ましくさえありましたが、シドの隠遁後我々はロジャーというフィルターを通してシドを神格化していた節さえあります。そう言う意味では今日のこの世界まで彼が現実世界で生活していた事さえシュールな出来事のように感じてしまいますが、実際訃報を耳にすると胸にこみ上げてくるものを押さえる事はできません。ロジャーの心境も察して余りあるものがあります。彼は今こう呟いているかもしれませんね。

I'll See You On The Dark Side Of The Moon, maybe  someday-----